ハッカーニ・ネットワーク
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ハッカーニ・ネットワークは、アフガニスタンパキスタンを拠点とする、ターリバーン内の派閥であるとされる[1]。ターリバーン内の最強硬派として目されているが、指導者として名指しされているハッカーニは同組織の存在を否定している。

ハッカーニ・ネットワーク
Haqqani Network
ソ連・アフガン戦争
アフガニスタン紛争 (1989年-1996年)
アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)
ワジリスタン紛争に参加

上:ターリバーンの旗
下:ムジャーヒディーンが頻繁に使っていた旗
活動期間1980年代 - 1995年
1980年代 - 現在
活動目的イスラーム主義
構成団体パシュトゥーン人アラブ人
指導者ジャラールッディン・ハッカーニ(英語版)(1980年代-2018年)
シラジュディン・ハッカーニ(2018年-)
活動地域 アフガニスタン
パキスタン
統合先 ターリバーン
関連勢力 アメリカ合衆国(1980年代)
CIA(1980年代)
パキスタン(1980年代-?)
アフガニスタン・イスラム国 (1992-1995年)
アフガニスタン・イスラム首長国 (1995年-)
アルカーイダ
パキスタン・ターリバーン運動
敵対勢力 ソビエト連邦(?-1989年)
アフガニスタン民主共和国(?-1992年)
北部同盟 (1996-2001年)
アメリカ合衆国
パキスタン(2001年?-?)
アフガニスタン・イスラム共和国(2001-2021年)
民族レジスタンス戦線 (2021年-)
ジュンビッシュ
イスラム統一党(英語版)
タジキスタン
インド
アラブ首長国連邦
イギリス
NATO
オーストラリア
イスラエル
イスラム国
ホラーサーン州
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日本では報道される機会が少ないが、2018年に創始者が死亡した際にはハッカニグループとして報道された。
概要

1983年頃、アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) を通じて武装抵抗活動をしたジャラールッディン・ハッカーニが、アフガニスタン南東部でパシュトゥーン人を中心に組織化。同紛争中、アメリカのCIAやパキスタンのISIといった情報機関から支援を受け、ムジャーヒディーンの派閥の一つとして成長していった[2][3]。1992年に人民民主党政権が倒れると、ハッカーニは臨時政府で法務大臣に任命された。1996年にターリバーンが首都カーブルを制圧すると指導者のムハンマド・オマルに忠誠を誓い、ターリバーンに合流した。2001年にターリバーン政権が崩壊した後は、パキスタンの北ワズィーリスターン地区やアフガニスタン南東部で勢力を維持。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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