ハチミツ二郎
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ハチミツ.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}二郎(じろう)

本名高野 二郎(たかの じろう)
生年月日 (1974-11-20) 1974年11月20日(49歳)
出身地 日本岡山県倉敷市
血液型O型
身長177cm
言語日本語
方言標準語岡山弁
出身NSC東京校1期
コンビ名東京ダイナマイト
相方松田大輔
芸風漫才(ツッコミ)
立ち位置右
事務所トンパチ・プロ
オフィス北野
オスカープロモーション
フリー
吉本興業
活動時期1996年 -
同期品川庄司など
配偶者斉藤瞳(2010年 - 2011年)
一般女性(2012年 - 2021年)
公式サイトプロフィール
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ハチミツ二郎(ハチミツじろう、1974年11月20日 - )は、日本お笑い芸人であり、お笑いコンビ東京ダイナマイトのツッコミ担当。相方は松田大輔。本名は高野 二郎(たかの じろう)。
人物

岡山県倉敷市出身。吉本興業所属。冷めたツッコミが特徴。長いこと金髪をトレードマークとしていたが、2010年半ばから黒のモヒカンにし、舞台では相方の松田に「ちょい悪キューピー」といじられるようになった。その後2011年から坊主頭、2012年からは髪を伸ばして再び金髪に戻し、2018年からは坊主頭に髭という風貌に変化した。

身長177cm、体重100kg。血液型O型。趣味は世界旅行、飲酒、プロレス。特技はプロレス。メキシコでプロレスライセンスを取得し、お笑いプロレス団体西口プロレスの所属レスラーとしても活動していたが、腰と膝を悪くし不定期参戦となった。2019年にアンドレザ・ジャイアントパンダと引退を賭けて敗戦し丸刈りにされレスラーを引退した。

なお、稀に「ハチミツ次郎」と表記されることがあるが、誤りである。
概要

東京都立代々木高等学校卒業、東京吉本総合学院(東京NSC)の第一期生であり品川庄司と同期である。

NSCの社員から、「おまえ俺にケンカ勝てるか?」と言われ、「5秒あったら」と答えた所、NSC卒業の日にクビにされた[1]

浅草キッド主催の『浅草お兄さん会』で活動開始。その後インディーズのお笑い事務所「トンパチ・プロ」の社長を務めていた。その頃に、曽根卍と(初代)東京ダイナマイトを結成。そのかたわらマキタスポーツサンキュータツオらとカミナリボーイズという名義のトリオユニットで大川興業主催のライブ『すっとこどっこい』などで活動していた。また、当時ハチミツ主催のライブにたびたび出演していた猫ひろしの名付け親、師匠でもあり、猫ひろしのネタやプロフィールはほとんどハチミツが考えたものである。

トンパチ・プロのライブに定期的に見に来ていたAV監督・バクシーシ山下の誘いで撮影現場を訪れた際に、AV男優の人手が足りなくなり急遽出演、以降80本近く出演、その時も芸名は変えていなかった。

2001年、(二代目)東京ダイナマイトを結成。オフィス北野にマネジメント預かりという形で所属する。一時期、浅草キッドの付き人をしていた。

2005年7月の『M-1Dynamite』という日比谷野音で行われた単独ライブの際にエンディングで元々持っていた椎間板ヘルニアが悪化。そのまま8月5日に入院。8月14日に立ち始め8月20日に退院した。予定よりも2週間早い退院だったらしく周りの人々に「凄い、凄い!」と言わせたほど超人的なスピードだった。また高血圧でも入院したことがある。その時の血糖値は577だったという。

自称『日本一もてる肥満体』。2007年のバレンタインデーでは蒼井そらとの交際が明らかになったためチョコの量は減った。

東京ダイナマイトのライブの時に自分でグッズをデザインしている。ほとんどのTシャツや帽子はもりやすバンバンビガロ製作である。そして2006年から東京ダイナマイトブランドのことをTKDと統一することになった。

自身のブログを旅日記としてたまに更新している。

メロン記念日との付き合いは、この頃にはすでに始まっていたとの噂が流れている[2][信頼性要検証]。

2008年6月20日、オフィス北野を退社[3]

2008年9月5日、オスカープロモーションとマネジメント契約[4]

2008年11月5日に鍋料理店「Dining二郎」を開店した[5]

2009年3月15日、オスカープロモーションから退社(退社については、東京ダイナマイトを参照)。相方松田も3月でオフィス北野を退社した。

2009年4月、コンビ揃ってフリーとなる。

2009年8月24日、公式ブログで、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属になったことを発表[6]

9月11日AGE AGE LIVEにてMCを務めた際、メキシコにてプロレスラールチャリブレ)のライセンスを習得したことを発表している。

舞台に上がるときに首にチェーンを巻いて登場することがある。これは新日本プロレス真壁刀義をオマージュしたものである。

2010年8月3日、Twitterにて元メロン記念日・斉藤瞳との入籍を報告した。なおハチミツはメロン記念日のファンであることを公言していた。同年12月11日、「ルミネtheよしもと」で、一般ファンが観覧するイベント形式の結婚式を行った。

ゲームイベントのインタビューで、好きなゲームはアイドルマスターと発言した[いつ?]。

2011年10月14日、2011年8月に離婚していたことが報じられる[7]。なお、相方の松田も同年10月に離婚したため、コンビ揃ってのバツイチとなった。

2012年5月、再婚したが[8]、2021年12月に離婚したと著書で記述。

2015年1月4日、先述の再婚相手である夫人と共にTV番組『新婚さんいらっしゃい!』に出演。番組内では夫人の母との交流や夫婦間の子育て、また、お互いに不満に思っている点が語られた。それによると、ハチミツは寝る前にキャラメルを食べる習慣があり、夫人は子供の教育上良くないとのこと。逆に夫人は大のゴキブリ嫌いで、一度ゴキブリを見ようものなら何も出来なくなってしまい、ハチミツが対処するしか手が無く、「ごきぶりホイホイ用意するとか、対策を考えれば?」との提案が出た時の返答は、「その手の品に描かれている、絵のゴキブリもダメなので無理」であった。

2017年8月18日、東京都千代田区のプロレスショップ闘道館で会見を開き、大仁田厚と電流爆破デスマッチで対戦することを表明した。対戦に至った経緯について「およそ20年前(1997年頃)、当時週刊プロレスの編集長を務めていたターザン山本の糞付き下着を天敵である大仁田のもとへ持っていくというロケを行った際に「責任者は誰じゃ」と激怒した大仁田をみて思わず、「私です」と言ったところ、今では刑事事件になるくらいボコボコにやられた。10月に引退すると聞いて大仁田を一発ぶん殴りたい」と語った。10月7日に神奈川・鶴見青果市場で行われた「ノーロープ有刺鉄線電流爆破&有刺鉄線電流爆破バット ストリートファイトキャプテンフォール イリミネーションデスマッチ」で対戦し、3度の爆破を受け、敗れるも、試合後には「Yahoo!コメントになぁ、茶番だなんだ書き込んだやつら、お前らにこれが出来るのか!死んだかと思ったよ」と電流爆破の神髄を味わった恐怖を語った。そして「10代の頃、川崎球場で大仁田厚の電流爆破を一番後ろの席で見ていた。


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