ハチソン・ワンポア・リミテッド
和記黄埔有限公司
Hutchison Whampoa Limited
種類株式会社
市場情報SEHK: 13
ハチソン・ワンポア・リミテッド(英文社名:Hutchison Whampoa Limited/略称:HWL, 中文社名:和記黄埔有限公司、SEHK: 13)は、かつて存在した香港の多国籍コングロマリット[1]である。もともとはイギリス商人のジョン・ハチソン(John Duflon Hutchison)が設立したイギリス系同族企業だったが、その後長江実業が約半数の株式を取得し、2015年のグループ再編に伴い長江実業と合併してCKハチソン・ホールディングスとなった。 HWLの源流はハチソンが設立した1861年の香港黄埔ドック(香港黄埔船塢有限公司、Hongkong and Whampoa Dock Company (HWD))、及び1877年のハチソン・インターナショナル(和記企業有限公司、Hutchison International(HI))の2社にさかのぼる。 ハチソンは阿片戦争を機に香港を地政学的な拠点としたのち、香港初の法人登録として前者を1861年に設立した。その後、共同経営者のジョン・クーパー(John Couper)がアロー戦争中に行方不明となるなどの困難に直面したが、1865年にようやく紅?に香港初の埠頭を造成し、1877年に小売・卸売業者として後者を設立し、広東と九龍を連絡する九広鉄道から臨港線を敷設するなど、海運業及び不動産業、後者を卸売業および小売業の中核的企業に成長させた。
沿革
創業から戦後まで
長江実業グループへ「長江実業」も参照
1979年、李嘉誠率いる長江実業がHWLの株22.8%を取得した。ダグラスが支援していた李は日中戦争のさなか1940年に広東省から難民として香港に移り、造花のホンコンフラワーの大量生産で財を成した人物である。1981年、李はウィリーに代わってHWLの会長となった。1984年、HWLは6.71億ドルの利益を計上し、このころ元フランス外人部隊のサイモン・マレー(Simon Murray)がマネージング・ディレクターとして入社した[1]。1985年に香港における電力供給を独占していた香港電灯を子会社化して電力事業に、また同年にハチソン・テレフォン・カンパニーを設立して移動通信事業に参入し、香港初の携帯電話サービスを展開するなど経営の多角化を進め、同年23億ドルの利益を計上した。 1990年、HWLはケーブル・アンド・ワイヤレスおよび中国国際信託投資公司(CITIC Group
移動通信事業の拡大
香港返還の1997年、HWLがボイスストリーム(VoiceStream Wireless PCS)の前身企業を買収した。1999年HWLはOrange株の45%をデュッセルドルフのマンネスマン(Mannesmann AG)へ146億ドルで売却したが、2000年2月にボーダフォンがマンネスマンを買収し、HWLがボーダフォン株の5%を取得した(この三割がすぐに130億ドル超で売却された)。一方で1999年にボイスストリームがオムニポイントを買収すると、HWLの株価が30%以上も上がった。2001年、ボイスストリームはドイツテレコムに売却されT-Mobile USとなった。1999年11月、HWLはグローバル・クロシング(Global Crossing)と12億ドルの光ファイバー合弁事業を香港でスタートしたが、しかし2002年1月までに相手方が財政破綻してしまい、債務整理で合弁事業の相手方持分をHWLが買い取った。このころHWLは第3世代移動通信システム (3G) を中心として、世界中のモバイル事業ライセンスへ資本参加した(日本・オランダ・イタリア・オーストリア・デンマーク・オーストラリア・ニュージーランド、2003年に投資先がさらに拡大)。[1]
2015年1月、グループ代表の李嘉誠がテレフォニカにO2というプロバイダー事業を買収したいと申し出たが、しかしこのBTグループとセキュリコア(Securicor)の合弁事業がもともと巨大であったことなどが理由となり、2016年に欧州委員会の反トラスト委員会が取引をやめさせた。