ハスカー・ドゥ
[Wikipedia|▼Menu]

ハスカー・ドゥ
Husker Du
フロントマンのボブ・モールド(2005年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国 ミネソタ州 セントポール
ジャンルオルタナティヴ・ロック
ハードコア・パンク
パンク・ロック
活動期間1979年 - 1988年
レーベルSSTワーナー
共同作業者シュガー

メンバーボブ・モールドギターボーカル
グレッグ・ノートンベースギター
グラント・ハートドラムス

ハスカー・ドゥ (Husker Du) は、アメリカロックバンド1979年ミネソタ州セントポールにて結成。
概要

デビュー当初はハードコア・パンクバンドとして始まり、後にオルタナティヴポスト・ハードコアバンドとして高い評価を受ける。最初の3枚のアルバムをインディーズレーベルのSSTレコードからリリースし、1986年にメジャーレーベルのワーナー・ブラザース・レコードと解散まで契約した。

1980年代のアメリカのインディー・シーンで最も重要なバンドの一つと見なされ、その後のオルタナティヴ/インディー・ロックバンドに多大な影響を与えた。ニルヴァーナクリス・ノヴォセリックも、ニルヴァーナの音楽について「何も新しくない、ハスカー・ドゥが前にやったことさ」と語っている[1]
来歴
バンド結成

1979年[2]ボブ・モールドグレッグ・ノートングラント・ハート、チャーリー・パイン(キーボーディスト)の4人で結成したBuddy and the Returnablesというバンドが前身[3]。モールドとハートは共にラモーンズのファンであり、2人はノートンとパインを誘い一緒に演奏するようになるが、パインのキーボード音が乗ったサウンドに他のメンバーは嫌悪感を示すようになり、パイン抜きで演奏の練習をするようになる。この頃からバンド名を「ハスカー・ドゥ」に変更した。バンド名のハスカー・ドゥ(H?sker D??)とは1970年代に発売されたボードゲームの名称であり、デンマーク語ノルウェー語で「覚えてる?」という意味である。
デビュー

1980年までバンドはミネアポリスで定期的にギグを行い、アメリカ中西部のオリジナル・ハードコア・パンクバンドとして認知されていった。バンドを気に入ったブラック・フラッグのグレッグ・ギンは自身のレーベルSSTレコードにバンドを契約させる。1982年ライブ・アルバム『Land Speed Record』、1983年に1stアルバム『Everything Falls Apart』、EP『Metal Circus』をリリース。この頃までバンドはパンキッシュなサウンドを展開していたが、メンバーはハードコア・パンクの制約的な音楽性からより飛躍しようと画策する。
ブレイク

1984年に2ndアルバム『Zen Arcade』を発表。コンセプト・アルバムであり、LP2枚組で70分の大作だったが、レコーディングにかけた時間はわずか45時間であり、制作費用もたった3,200ドルだった[4]。アルバムは発売当初から賞賛され、パンク・ファン以外からも注目を浴びる結果となった[5]。SSTは作品の内容からか当初3,500枚?5,000枚程度しかレコードをプレスしなかったが、発売から数週間でレコードは売り切れ数ヶ月間在庫切れとなり、それがセールスに影響しバンドはSSTに不満を抱くようになる。1985年1月に3rdアルバム『New Day Rising』、8ヵ月後の9月に4枚目のアルバム『Flip Your Wig』をリリース。
メジャーデビュー、解散

バンドは『Flip Your Wig』レコーディング中からメジャーレーベルであるワーナー・ブラザース・レコードから契約のオファーを受け、契約を結んだ。1986年3月に5枚目にしてメジャーデビューアルバム『Candy Apple Grey』をリリース。バンドにとって初となるビルボードにチャートインを果たし、MTVラジオでも取り上げられるが、最終的に最高140位にとどまった。1987年1月に6枚目のアルバム『Warehouse: Songs and Stories』をリリース。『Zen Arcade』に続く2枚組の大作だったが、ツアー直前にバンドマネージャーのデヴィッド・サヴォイが自殺。モールドがマネジメントを管理するようになると、この頃からモールドとハートの間の確執が表面化する。ハートはメサドン服用によるヘロイン中毒に悩まされており、解散前のツアーにも参加しまだ演奏できると主張していたが、モールドはその後のツアーを全てキャンセルし、その4日後にハートはバンドを脱退し[6]、バンドも解散した。
解散後

モールドはバンド解散後にシュガーを結成、ソロのシンガー・ソングライターとしても活動している。ハートもNova Mobというバンドで活動した後、ソロで活動した。ノートンはGrey Areaというバンドに参加した後、音楽活動から身を引き調理師に転身、ミネソタでThe Nortonというレストランを開いた。

2004年の治療を受けていたソウル・アサイラムベーシスト、カール・ミュラーを支援するための慈善コンサートでモールドとハートはステージ上で共演し、ハスカー・ドゥ時代の楽曲を演奏した。
メンバー

ボブ・モールド(Bob Mould)- ギターボーカル

グレッグ・ノートン(Greg Norton) - ベースギター

グラント・ハート(Grant Hart) - ドラムス

作品バンドロゴ
スタジオアルバム

Everything Falls Apart (1983年)

Zen Arcade (1984年)

New Day Rising (1985年)

Flip Your Wig (1985年)

Candy Apple Grey (1986年) 全米140位

Warehouse: Songs and Stories (1987年) 全米117位

EP

Metal Circus (1983年)

Sorry Somehow (1986年)

Amusement (2013年)

コンピレーション・アルバム

Everything Falls Apart and More (1993年)

ライブ・アルバム

Land Speed Record (1982年)

The Living End (1994年)

シングル

"Statues" (1981年)

"In a Free Land" (1982年)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:20 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef