この項目では、ミュージシャンについて説明しています。アルバムについては「ハウリン・ウルフ (アルバム)」をご覧ください。
ハウリン・ウルフ
出生名Chester Arthur Burnett
生誕1910年6月10日
アメリカ合衆国ミシシッピ州ウェストポイント
死没 (1976-01-10) 1976年1月10日(65歳没)
アメリカ合衆国イリノイ州ハインズ
ジャンルシカゴ・ブルース[1]
職業ミュージシャン、シンガー
担当楽器ギター、ハーモニカ
活動期間1940年代?1976年
レーベルチェス・レコード
公式サイト ⇒www.howlinwolf.com
ハウリン・ウルフ(Howlin' Wolf、1910年6月10日 - 1976年1月10日)は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ウェストポイント生まれの黒人ブルース歌手。本名はチェスター・アーサー・バーネット(Chester Arthur Burnett)。芸名が物語るように、強烈なダミ声で鮮烈な印象を残した。没後の1991年、ロックの殿堂の「アーリー・インフルエンス」部門入りを果たした[2]。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第31位[3]。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第54位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第46位[4]。 1940年代頃から、テネシー州メンフィスを拠点に音楽活動を行っていたが、デビューしたのは1951年と遅咲きである。デビュー後はチェスと契約、長きに渡って同社から作品を発表していった。1952年にイリノイ州シカゴに移る際、ギタリストのウィリー・ジョンソン ハウリン・ウルフは1960年代以降、英米のロッカーたちに大きな影響を与えており、これまで多くのミュージシャンにより、ウルフの曲(またはウィリー・ディクスン作曲の曲)がカバーされてきた。ロンドンでレコーディングされた『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』には、多数のイギリス人ロック・ミュージシャンが参加。エリック・クラプトン、ローリング・ストーンズのビル・ワイマンとチャーリー・ワッツ、ローリング・ストーンズのサポート・メンバーだったイアン・スチュアートを中心に、一部の曲には元プラスティック・オノ・バンドのクラウス・フォアマンや元ビートルズのリンゴ・スターが参加し、更にスティーヴ・ウィンウッドもオーバー・ダビングで参加した[6]。 また、レッド・ツェッペリンの「レモン・ソング」は、ウルフの「キリング・フロア」がオリジナルであり、後にウルフの名前も共作者としてクレジットに追加された[7]。デビュー・アルバム収録の「ハウ・メニー・モア・タイムズ」の歌詞の一部がウルフの「ハウ・メニー・モア・イヤーズ」からの引用とされている[誰によって?]。
生涯
ロックへの影響
ディスコグラフィ
オリジナル・アルバム
『モーニン・イン・ザ・ムーンライト』 - Moanin' in the Moonlight(1959年、Chess)
『ハウリン・ウルフ』 - Howlin' Wolf(1962年、Chess)※通称:ザ・ロッキン・チェア・アルバム
『リアル・フォーク・ブルース
『モア・リアル・フォーク・ブルース
他者がウルフをカバーした曲
「リトル・レッド・ルースター」[8] - ローリング・ストーンズ
[9]
関連項目
デルタ・ブルース
ブルース・ロック
脚注^ American roots music