ルプレヒト・カール大学ハイデルベルクRuprecht-Karls-Universitat Heidelberg
モットーSemper apertus(羅語)
モットー (英語)always open
種別国公立大学
設立年1386年10月18日
予算約7億604万ユーロ[1]
総長
ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク(ルプレヒト・カールだいがくハイデルベルク、ドイツ語:Ruprecht-Karls-Universitat Heidelberg、ラテン語: Universitas Ruperto Carola Heidelbergensis)は、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州ハイデルベルクにある総合大学。1386年創立でドイツ最古の大学。通称はハイデルベルク大学。 神聖ローマ帝国内で、プラハ・カレル大学、ウィーン大学に次ぐ3番目として、1386年にプファルツ選帝侯ループレヒト1世により、パリの有力な教授でその学長をもつとめたマルシリウス・フォン・インゲーンの参画によって創立された。大学創立は教会大分裂( 1378年?1417年)と関係がある。教会大分裂がはじまると、パリ大学が分裂してアヴィニョン派が優勢になり、ローマ派のドイツ人学徒がパリを退去してハイデルベルク、ケルン、エアフルトにやって来た。これがきっかけとなって3大学が生まれた。特許状は3大学ともにローマの教皇ウルバヌス6世から与えられた[4]。1803年、ハイデルベルクを領有したバーデン大公カール・フリードリヒにより、現在の名前に改められた。 ドイツ連邦政府のエクセレンス・イニシアティブ(Exzellenzinitiative
概要
ナチス・ドイツ時代にはドイツの大学で初めて全てのユダヤ人教授と学生を排除し、図書館前の広場では焚書が行われた。大学は街全体に広がり、大学街を形成している。3つのキャンパスを擁する。街自体が著名な観光地であり、大学の「赤い雄牛」亭、学生寮なども観光地となっている。