ハイチ地震_(2010年)
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2010年ハイチ地震
倒壊した首都ポルトープランスの大統領府
震源の位置(USGS)
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本震
発生日2010年1月12日
発生時刻4時53分10秒 (EST)
21時53分10秒 (UTC)
震央 ハイチ 首都ポルトープランスの西南西25km
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯18度26分35秒 西経72度34分16秒 / 北緯18.443度 西経72.571度 / 18.443; -72.571
震源の深さ13 km
規模   モーメントマグニチュード (Mw)7.0
最大震度   改正メルカリ震度X:Petit Goave, レオガン, Grand Goave[1]
津波3m(グラン・ゴアーブ)[2]
12cm(サントドミンゴ[3]
地震の種類直下型地震、左横ずれ断層[4]
被害
被害地域 ハイチ

プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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2010年ハイチ地震は、ハイチ時間2010年1月12日16時53分(UTC21時53分)にハイチ共和国で起こったマグニチュード (M) 7.0の地震である。

地震の規模の大きさやハイチの政情不安定に起因する社会基盤の脆弱さが相俟って、死者が31万6千人程に及ぶなど、単一の地震災害としてはスマトラ島沖地震に匹敵する現代空前の大規模なものとなった。
地震の詳細

震源はハイチの首都ポルトープランスの西南西25km、深さは13km、マグニチュード(モーメントマグニチュード Mw)は7.0と推定されている(アメリカ地質調査所[5])。この地域は北アメリカプレートカリブプレートの衝突型境界の近傍であり、震源が浅い典型的な内陸地殻内地震(直下型地震)である。この地震を起こした断層は、エンリキロ-プランテインガーデン (Enriquillo-Plaintain Garden) 断層系の中の断層の1つと推定されている[6]。地震のメカニズムは、逆断層成分を持つ左横ずれであった[7][8]。地震波からの推定では、断層の滑り量は最大で約4mであった[9][10]。ポルトープランスとその郊外では改正メルカリ震度階級VII - X相当の揺れがあったと推定されている[11]

地震発生直後の2010年1月12日17時0分と8日後の同月20日6時3分(いずれもハイチ時間)には、それぞれポルトープランスの西南西約50kmと55km、深さは約10kmの地点でM5.9の地震が発生し、同日までの最大規模の余震だと見られている。20日の地震は震源メカニズムが本震と異なるため調査が必要だともされている[12][13][4]

ポルトー・プランス湾沿岸のグラン・ゴアーブでは地滑りにより平均3mの高さの津波が発生し、複数の家屋が倒壊、津波を見物していた3人が犠牲となった[2]
ハイチ周辺の地質ハイチ付近のプレートと動き

この地域は、バハマ諸島を乗せた北アメリカプレートが、ハイチを含むイスパニョーラ島キューバを乗せたカリブプレートが衝突している北イスパニョーラ海溝の南側にあたる。プレート境界であるため、広く見れば地震活動が活発ではあるが、内陸地殻内地震の発生はあまり多くない地域だった[4]

この地域の主な断層として、キューバ南岸からイスパニョーラ島北岸を横切るセプタントリオナル (Septentrional) 断層、イスパニョーラ東南岸を横切るエンリキロ断層の2つがある。いずれも左横ずれ断層で、18世紀以降の記録から、数度の大地震が発生したことが判明している。今回の地震の震源に近いところでは、エンリキロ断層(ハイチ南東部)で1751年に、またその西隣のエンリキロ断層(ハイチ南西部)で1770年にそれぞれ大きな地震が発生している。また、1751年の地震の際には、同じ年にドミニカ南岸のムエルトス (Muertos) トラフで大地震が発生している[4]。ムエルトストラフはエンリキロ断層の延長線上にあり、今回の地震も同様に影響を与える可能性もある(地震空白域参照)。

この地域では1770年以降大規模な地震が起こっておらず[14][15]、2008年にはアメリカ地質調査所の地震学者らが、この一帯に溜まっている歪みが解放されればM7.2程度の地震が発生するとの推定を発表していた[14]
被害状況
地震の被害地震により倒壊した建物首都の倒壊した建物と広場に避難した人々観光客に人気があるとされるモンタナ・ホテルも倒壊

ポルトープランスでは大統領府[16][17]や国会議事堂を始めとする多くの建物が倒壊し[18]、天井・床が重なって潰れるパンケーキクラッシュを起こしている[19]。このため、地震直後は大統領や閣僚すら屋内に寝る場所がなく、ホームレス状態となった[20]

2月3日、ジャン=マックス・ベルリーヴ首相は、政府の集計で死者が20万人を超えた事を議会上院に報告[21]ルネ・ガルシア・プレヴァル大統領は同10日に17万人を埋葬したと発表、同9日と10日にはラセグ文化・情報相が死者はそれぞれ23万人・21万人と発表、ビアンエメ内相は21万7000人余りの死亡を確認したとしているなど、政府内の死者数の情報は混乱している[22]。同3月17日に開かれた復興支援会合では、死者22万2570人、負傷者31万928人、行方不明者869人、被害総額は77億5000万ドル余りだと発表された[23]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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