ノー・ニューヨーク
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この項目では、ブライアン・イーノプロデュースのアルバムについて説明しています。BOOWYの楽曲については「NO. NEW YORK」をご覧ください。

『ノー・ニューヨーク』
Various Artistsコンピレーション・アルバム
リリース1978年
録音ビッグ・アップル・スタジオ
1978年春
ジャンルノー・ウェイヴ
時間43分46秒
レーベルアンティルス・レコード(英語版)
プロデュースブライアン・イーノ
専門評論家によるレビュー
Allmusic レビュアー:Todd Kristel
出版日: 不明
外部リンク[1]クリーム・マガジンレビュアー:Richard C. Walls
出版日:1979年4月
外部リンク[2]ピッチフォーク・メディア (8.3/10)レビュアー:Brandon Stosuy
出版日:2005年11月16日
外部リンク[3]
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『ノー・ニューヨーク』(No New York)は、1978年にアンティルス・レコード(英語版) (アイランド・レコードのサブレーベル) からリリースされたコンピレーション・アルバムである。プロデューサーはブライアン・イーノ。このアルバムには4組のアーティストしか参加していないが、1970年代後半に発生したジャンルであるノー・ウェイヴのきっかけとなったアルバムとして知られる。
背景ブライアン・イーノ

1970年代のニューヨークにおいて、ソーホーにあるアーティスト・スペースというギャラリーで、ロックフェスティバルが4日間開かれた[4]。そのライブの3日目(金曜日)にDNAザ・コントーションズが出演、つづく最終日(土曜日)にはマーズとティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス(英語版)が出演した[4]。そのライブの観客の中に、トーキング・ヘッズのセカンドアルバム『モア・ソングス』のマスタリングのためにニューヨークに来ていたブライアン・イーノがいた[4]。イーノはこの4組のバンドに興味を持ち、これらのバンドによるノー・ウェイヴのコンピレーションを、自ら監修してリリースする案を思いついた[5]

なお、このライブの様子はオープンリールで録音されたが、消失して現存しない[6]
製作DNAのメンバー、アート・リンゼイ

イーノは4バンドにコンピレーションを作る案を持ちかけ、イーノのアパートでミーティングを行った[7]。当初、アーティスト・スペースでのライブに出演していた他のバンド、例えばグレン・ブランカ率いるセオリティカル・ガールズ(英語版)などもコンピレーションに参加する案があったが、イーノや4組のバンドの意向によって、結局参加することはなかった[6]。アルバムの構成は、4バンドが各4曲ずつ、計16曲となった。

ミーティングの後、イーノはアイランド・レコードにコンピレーションの構想を持ち込み、ビッグ・アップル・スタジオ(現:グリーン・ストリート・スタジオ)でレコーディングが行われた[8]。しかしイーノは、プロデュースにおいてあまり手を加えず、各バンドの演奏をできるだけ生のまま活かそうとしていた[8]。そのため演奏にほとんど口を挟まず、時にはレコーディング中に雑誌を読んでいることもあった[8]。レコーディングについて、ザ・コントーションズのメンバー、ジェームス・チャンスは「ザ・コントーションズのトラックは、スタジオ内ですべて演奏し、楽器別に録音もせず、多重録音もなし、ただ演奏を記録しただけだ」と語った[5]

しかし、1979年に行われた「The Studio As Compositional Tool」というレクチャーにおいて、イーノは「『ノー・ニューヨーク』に収録された「ヘレン・フォーズデイル」で、私はギターパートのクリック音にエコーをかけ、全体を通してコンプレッサーで音を圧縮させることで、ヘリコプターのブレードのような響きを出した[9]」と語っている。
リリースと評価

『ノー・ニューヨーク』は、当初、アイランド・レコードからのリリースを検討されていたが、内容が実験的過ぎると判断され、サブレーベルのアンティルス・レコードからリリースされたとされる[8]1978年に『ノー・ニューヨーク』のLP盤は発売されたが、ビルボードのチャートにはランクインしなかった[1]。またこのアルバムでは、歌詞がレコードスリーブの内側に印刷されており、歌詞を読むためにはスリーブを破らなければいけなかった[2][3]

このアルバムに対しては、さまざまな評価がなされた。例えば批評家のリチャード・C・ウォールズは、『クリーム・マガジン(英語版)』の1979年4月号で「このアルバムはNOというゆるぎない声明で、リスナーに新しい思考材料を与える」[7]と好意的に評した。また、1981年9月30日-10月6日発行の『ヴィレッジ・ヴォイス』では、レスター・バングが「身の毛のよだつノイズミュージックへの正統なガイド」「重要な分岐点」[7]として推薦している。

しかし批判的な意見もあり、1979年4月5日号の『ローリング・ストーン』では、「攻撃的なアンチ・メロディ」「反人道主義」として批評し、特にザ・コントーションズ以外のバンドについて「(ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスは)全く我慢ならない」、「(マーズは)とりわけ魅力的というわけでもない」、「(DNAは)特にオリジナルというわけでもない」などと厳しく評した[7]
廃盤状態と再発

『ノー・ニューヨーク』は賛否両論となり、多くのリスナーを刺激したが、後にリリース元のアンティルス・レコードが倒産、マスター音源が消失してしまった[8]。その後しばらく同盤が入手しづらい状態になり、ニューヨークのレコードショップなどでは、80ドルで取引されるなど価格が高騰した[8]1995年には『ニューヨーク・タイムズ』で、廃盤となったアルバムのトップ10に『ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!』や『クラフトワーク』と並んで、『ノー・ニューヨーク』が挙げられた[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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