ノール_ノラトラ
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ノール ノラトラ

ドイツ空軍博物館(英語版)のノラトラ

用途:輸送機

設計者:ジャン・カルヴィ(Jean Calvy)

製造者:SNCAN/ノール・アビアシオン

初飛行:1949年10月2日

生産数:425機

運用開始:1953年6月12日

退役:1989年(フランス)
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ノール ノラトラ(Nord Noratlas)は、1950年代第2次世界大戦 時に就役した古い機種を更新することを意図したフランスの軍用輸送機である。SNCANおよび後身のノール・アビアシオンにより数百機が製造され10年以上に渡り広く様々な用途に使用された。目次

1 開発

2 運用の歴史

3 派生型

4 運用

4.1 軍事運用

4.2 民間運用


5 要目

6 外部リンク

開発

第2次世界大戦末期?終戦直後のフランス空軍(French Armee de l'Air)には、ドイツから接収したユンカース Ju52とアメリカから供与されたダグラス C-47という2種類の主要な輸送機が残されていた。両機種共に有用ではあったが、空軍は尾輪式の降着装置のため駐機中に機首上げ姿勢になり荷物を詰め込むのが困難であり、胴体側面の貨物ドアが狭く、搭載量が少ないという両機に共通の欠点に悩まされていた。

1947年のDTI(Direction Technique Industrielle)が主催した多様性に富む中型輸送機の設計競作会にSNCAN(Societe Nationale de Construction Aeronautique du Nord)社はノール 2500を、ブレゲー社はBR-891R マルスを、SNCASO社はSO-30Cを提示した。貨物の積載に便利な後部のクラムシェル型ドアを持つノール 2500が最も適当だと認められ、1948年4月27日にDTIは2機の試作機を発注した。

最初の試作機は1,600 hpのグノーム・ローム 14R 星型エンジンを2基と3枚ブレードの可変ピッチプロペラを装備して1949年9月10日に初飛行したが、この機はほとんどの用途に対して足が遅すぎることが判明した。試作2号機は14Rエンジンに換えて2,040 hp のSNECMA製のブリストル ハーキュリーズ 738/9 エンジンを2基と4枚ブレードのプロペラを装備し、ノール 2501と名付けられた。DTIは更に3機のノール 2501を発注し、類似機のフェアチャイルドC-82 パケットとの比較テストにかけられた。テストの結果ノール 2501の優位性が認められ、1951年7月10日に最初の34機が発注された。

最終的に425機の生産が行われ、最後のノラトラは1961年に製造された。
運用の歴史 航空ショーで飛行するノラトラ

ノール 2501 ノラトラは、1956年スエズ危機でフランス軍のパラシュート兵エジプトポートサイドとポートファウアド(Port Fouad)に降下したことで有名になった。話は4年前に遡る。

1952年にノール 2501の試作初号機がテスト中に不幸にも墜落し、1953年1月9日にノール 2501は墜落で死亡した操縦士の未亡人によって「ノラトラ(Noratlas)」と名付けられた。このつまずきにもかかわらず最初の34機分の契約は1953年6月25日までに完納した。フランス空軍はさらに174機を発注し、ノラトラの受注総数は208機になった。

これらの機体は当初専ら輸送機として使用されたが、旅客機用の装備を付けた機体が10機発注された。しかし1962年アルジェリアでの運用の結果を受けて、これらの多くが他の任務用(詳細は下記)に換装された。この換装により8機の有用で長寿命のノール ガブリエル(Gabriel)(電子戦用プラットフォーム)が生まれた。ガブリエルは最後まで現役だったノラトラの派生型で、1989年にようやくフランス空軍から退役した。

西ドイツはフランスと同じ状況に直面しており、これがノラトラの開発を促した。最終的に西ドイツは1956年から合計186機のノラトラを購入し、そのうち25機はフランスで製造され、他の161機は契約の下で西ドイツのノール航空機製造(Flugzeugbau Nord、ノール社の子会社)で製造された。これらの機体はN-2501Dという名称が付けられた。ドイツ連邦空軍1964年からノラトラを売却し始め、そのほとんどが下記の小国に売却された。

イスラエル空軍(IAF)は1956年に最初3機のN-2501ISを購入したが、フランス政府はイスラエルが3機のノラトラを購入する場合に限り12機のダッソー ウーラガン戦闘機を購入する許可を与えるとした。イスラエルは提示されたこの条件に戸惑ったが、フランスはイスラエルに武器を売却してくれる数少ない国の一つであり最終的にはこの条件を飲んだ。しかしイスラエルはスエズ危機での活躍でノラトラの有用性を認識し、1959年に更に3機のN-2501ISを、6日戦争の前の1962年頃には16機のN-2501Dを購入し(西ドイツ空軍からの放出機6機を含む)、全て第103飛行隊に配備した。これらのノラトラは主に貨物と空挺兵員の輸送に使用する意図であったが、数機は同時期のC-130輸送機ベトナムデイジーカッター爆弾の投下に使用されたのと全く同じようにエジプト域内への長距離爆撃という通常の用法とは異なる目的のために投入された。またイスラエル空軍は6日戦争の最初からノラトラを洋上哨戒に使用していたことでも知られ、この中の1機はアメリカ海軍の船舶リバティーを攻撃したことが確認されている(リバティー号事件)。イスラエル空軍は1978年にノラトラを退役させてC-130に更新し、全機を一括してギリシャ空軍に売却した。

1970年にギリシャ空軍は第二次世界大戦の賠償として50機のノラトラを西ドイツから受領した。これらの機体はアテネ近郊のエレフシス空軍基地(Elefsis AFB)の第354戦術輸送飛行隊(第112戦術戦闘団- Pterix Mahis)に配備された。第354飛行隊のノラトラは、キプロスでのトルコ領侵攻で1974年7月21日から22日の夜間にギリシャの第1レンジャー戦隊をクレタ島(サウダ)からキプロス(ニコシア)まで空輸する任務に使用された。老朽化した機体と悪い飛行条件にもかかわらず"ナイキ(Nike)"(ギリシャ語で勝利)作戦に参加した15機中の12機が何とかニコシアの空港に着陸した。ギリシャの第1レンジャー戦隊は国際連合が管理するニコシア国際空港を掌握し、空港を攻撃してくるトルコの連隊には降伏しなかった。

翼端に小型のチュルボメカ マルボレ IIEターボジェット エンジンを装着したN-2502A/Bは主にUnion Aeromaritime du Transport (N-2502A) や CGTA-Air Algerie (N-2502B)などの民間航空会社で使用されたが軍用機モデルでは成功せず僅か10機が製造されただけであった。ポルトガル空軍1961年から1962年にかけて軍用化されたN-2502A(N-2502F)を購入した。

下記に示すような特定の目的のための幾つかの派生型もあった。
派生型 ドイツ空軍博物館(英語版)のノラトラ イスラエル空軍博物館のノラトラ ギリシャ空軍のノラトラ
N2500
1,600 hpを発生するグノーム・ローム 14R 星型エンジンを2基装備した試作機。1機のみ製造。
N2501
SNECMAが製造したブリストル ハーキュリーズ エンジンを装備したフランス空軍向けの量産モデル。5機の試作機と208機が生産された。
ノール 2501A
1,650-hp (1230-kW) を発生するSNECMA 758/759 ハーキュリーズ 星型エンジンを装備したUTA向けの民間輸送機モデル。4機製造、後にN2502へ換装。
ノール 2501D


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