ノーラ・ロバーツ
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ノーラ・ロバーツ
Nora Roberts
(2007年当時)
ペンネームJ・D・ロブ
ジル・マーチ
サラ・ハーデスティ
誕生エレノア・マリー・ロバートソン
Eleanor Marie Robertson
(1950-10-10) 1950年10月10日(73歳)
メリーランド州シルバースプリング
職業小説家
言語英語
国籍 アメリカ合衆国
活動期間1981年 -
ジャンルロマンス、ファンタジー、サスペンス
代表作イヴ&ローク シリーズ(J・D・ロブ名義)
デビュー作『アデリアはいま』
配偶者Ronald Aufdem-Brinke (1968 - 1983)
Bruce Wilder (1985 - )
子供2
公式サイト ⇒http://www.noraroberts.com/
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ノーラ・ロバーツ(Nora Roberts、出生名:エレノア・マリー・ロバートソン〈Eleanor Marie Robertson〉、1950年10月10日 - )は、200作以上のロマンス小説を上梓しているアメリカ合衆国のベストセラー作家[1]。J・D・ロブ名義で「イヴ&ローク シリーズ」(原題:in Death シリーズ)を執筆しているほか、ジル・マーチやイギリスではサラ・ハーデスティ名義を使用する。

アメリカロマンス作家協会(英語版)に殿堂入りした初めての作家である。2011年までに、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに861週ランクインし、その内176週は第1位を占めていた。
経歴
私生活

1950年10月10日メリーランド州シルバースプリングにて、5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。両親は共にアイルランド系で、ロバーツも自身を「根っからのアイリッシュ」だと述べている[3]。彼女を含め家族はみな読書好きで、本は常に彼女の人生において大切なものだった[4]。子供の頃から頭の中で物語を作っていたが、学校の作文以外に書いたことはなかった。嘘が上手で、母親が今でも信じているものもあるという[5]。教区の学校に通い、先生でもある修道女たちを信じていた[5]。高校2年生の時、地元の公立高校モンゴメリ・ブレア高校へ転入し[6]、そこで最初の夫となるロナルド・オフデム=ブリンクルと出会う。1968年、高校を卒業するとすぐに、両親の反対を押し切って結婚し[7][8]、キーディスヴィルへ移住する。ロナルドは父と同じ板金の仕事をしていたが、後にロバーツの両親が勤める照明会社へ入った。ダンとジェイソンという2人の息子にも恵まれ、ロバーツは主婦になった。後にロバーツはこの時期を「母性の年」だったと述べている。1日の大半を子供の服作りなどの手芸や陶芸などをして過ごしたという[7]

2番目の夫、ブルース・ワイルダーは大工で、彼女が本棚の施工を頼んだのがきっかけで出会い、1985年7月に結婚した。ワイルダーはメリーランド州ブーンズボロ(英語版)で「ターン・ザ・ページ」書店を営んでいる[9]。夫妻は書店の近くにホテルも開業しており、2008年2月に火災に見舞われ、2009年に改装を経て「イン・ブーンズボロ」としてオープンした。ホテルの部屋には、古今のロマンス小説の名作のカップルの名前が付けられている[10]

ロバーツはかつて、「目的もなくただ歩き回ったり、ミューズ(創作の女神)が下りてくるのをただ待っているだけなら、失業してしまうわ」と述べており[11]、小説を執筆する時は1つの作品に集中し[12]、休暇中であっても毎日1日8時間を執筆活動に充てている[8]。執筆は、大まかにあらすじやプロットから始めるのではなく、物語の鍵となる出来事やキャラクターや設定をまず夢想することから始め[11]、それから初めて物語の基礎となる短い下書きを書き、その作業を終えてから、作品の冒頭部分に取りかかる。2度目の下書きで細部を詰めていき、キャラクターの設定をより深く決めていく。その後、最終チェックをし作品を磨いた上で、エージェントのエイミー・バーコワーに原稿を送る[13]

彼女の作品の多くは三部作で、同一のキャラクターを登場させている。「イヴ&ローク シリーズ」でも可能な限りそれを実践しており、三部作を書いてから現代ロマンスに戻った[14]。三部作は全てペーパーバックで出版されており、ハードカバーは自分の読者には長すぎるとロバーツは考えている[4]

飛行機が大の苦手なため、執筆に必要な調査はほとんどインターネットで行っている[8]

熱狂的な野球ファンで、地元のマイナーリーグチームのヘイガースタウン・サンズ(英語版)からも讃えられている[15]
作家としてのキャリア
初期

小説を書き始めたのは、1979年2月、猛吹雪で外出できず2人の息子と家にこもっていた日だった。雪が1メートル弱積もり、チョコレートも減り、幼稚園にも行けず、何もすることがなかった[16][17]。頭に浮かんだアイディアを書き出していた時、自身の執筆プロセスが気に入り、すぐに6編の原稿が書き上がった[18]。その原稿をロマンス小説で有名なハーレクイン社に送ったが、何度も突き返された。ロバーツはこの時のことをこう述べている、

最初の数回は普通に返されただけだったけれど嬉しかった。返ってきた原稿には、「(あなたの作品は)見込みがあり、物語もとてもエンターテイメント性がありよく出来ているが、ジャネット・デイリー(英語版)に代表されるアメリカの作家の既刊作品のようだ」と書かれていたから[19]
ペンネーム
ノーラ・ロバーツ

1980年、新しく誕生した出版社シルエット・ブックスが、アメリカ中の作家から、ハーレクイン社に断られた作品を集め刊行した[20]。ロバーツはシルエット社にようやくたどり着いた思いで、1981年に同社から処女作『アデリアはいま』(原題:"Irish Thoroughbred" )を上梓した。ロマンス小説作家はみなペンネームを使っていると思っていたため、自身も本名のエレノア・マリー・ロバートソンを縮めて、ノーラ・ロバーツというペンネームにした[7]

1982年から1984年の間に、シルエット社から23冊の小説を上梓した[7]1985年、「マクレガー家シリーズ」の第1作『真珠の海の火酒』(原題:"Playing the Odds" )が刊行されると、すぐにベストセラーとなった[7]

1987年、バンタム社に単発の作品を書き始める。5年後、プットナム社へ移籍すると、ペーパーバックだけでなくハードカバーの作品も上梓した[21]1996年に刊行した4冊目のハードカバーの作品『モンタナ・スカイ』(原題:"Montana Sky" )でベストセラーリスト(ハードカバー部門)にランクインした。ペーパーバックの単発作品の執筆は今でも続けている。時々、短めのロマンス作品も書いており、これは彼女自身が子育てで忙しかった時期に本を読む時間が取れず、幼い子供を持つ母親は20万語以上の作品は読めないという実感から来ている[8]

ロバーツと彼女のキャリアは、パメラ・レギスの著書"A Natural History of the Romance Novel" に取り上げられており、レギスはロバーツを「会話シーンにリアリティがあり、シーンの構成が巧みで、ページをめくる手をゆるませないロマンス小説の巨匠」と評している[19]。また、『パブリッシャー・ウィークリー』はロマンス小説のジャンルにおいては「皮肉なユーモアがあったり、語り手が入れ替わったりする手法はかつては珍しかった」と述べている[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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