ノーラ・エフロン
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ノーラ・エフロン
Nora Ephron
2010年、夫・ニコラス・ピレッジ (左)とともに
生年月日 (1941-05-19) 1941年5月19日
没年月日 (2012-06-26) 2012年6月26日(71歳没)
出生地ニューヨーク
国籍 アメリカ合衆国
配偶者ダン・グリーンバーグ (1967-1976)
カール・バーンスタイン (1976-1980)
ニコラス・ピレッジ (1987-2012)
主な作品
脚本
シルクウッド
恋人たちの予感
監督・脚本
めぐり逢えたら
ユー・ガット・メール
ジュリー&ジュリア

 受賞
英国アカデミー賞
オリジナル脚本賞
1989年恋人たちの予感
その他の賞

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ノーラ・エフロン(Nora Ephron、1941年5月19日 - 2012年6月26日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の脚本家映画監督である。

ロマンティック・コメディの名手として知られ、いずれもメグ・ライアンが主演となった『恋人たちの予感』『めぐり逢えたら』『ユー・ガット・メール』で知られている。これまで3回アカデミー賞候補になっている。目次

1 略歴

2 主な作品

3 著書

4 脚注

5 外部リンク

略歴

両親共に脚本家で(父はヘンリー・エフロン、母はフィービー・エフロン)2人の姉妹も脚本家(エイミー・エフロン、デリア・エフロン)。ユダヤ系で、ビバリーヒルズで育つ[1]

ウェルズリー大学で学び、インターンとしてホワイトハウスに入ったこともある。ニューヨーク・ポストで記者として働いていたがシナリオ・ライターに転進した。

1983年、共同で脚本を書いた『シルクウッド』がアカデミー賞にノミネートされ注目される。その後、『恋人たちの予感』『めぐり逢えたら』で計3回脚本賞にノミネートされた。

1992年、『ディス・イズ・マイ・ライフ』で監督としてデビュー。その後、トム・ハンクスメグ・ライアンの共演の『めぐり逢えたら』が大ヒット、その後2人の再共演が話題となった『ユー・ガット・メール』が自身最高の興行収入を記録するなど、ハリウッドを代表する女性監督の一人として活躍した。

ウォーターゲート事件の記者、カール・バーンスタインと結婚していた時期がある。その結婚の様子が「心みだれて」という映画になっている。

脚本家時代を加えるとメグ・ライアンとは通算4度タッグを組んでおり、特に『恋人たちの予感』『めぐり逢えたら』『ユー・ガット・メール』はライアンとエフロン双方の代表作となっており、また2人がロマンティック・コメディの女王・名手などの異名を馳せるようになった作品群となっている。また、メリル・ストリープとも3度タッグを組んでおり、その内2回で彼女はアカデミー賞の主演女優賞候補となっている[2]

2012年6月26日白血病のため死去[3]。71歳没。
主な作品

シルクウッド Silkwood (1983) 脚本

心みだれて Heartburn (1986) 脚本

恋人たちの予感 When Harry Met Sally... (1989) 脚本

マイ・ブルー・ヘブン My Blue Heaven (1990) 脚本

ディス・イズ・マイ・ライフ This Is My Life (1992) 監督・脚本

めぐり逢えたら Sleepless in Seattle (1993) 監督・脚本

ミックス・ナッツ/イブに逢えたら Mixed Nuts (1994) 監督・脚本

マイケル Michael (1996) 監督・脚本

ユー・ガット・メール You've Got Mail (1998) 監督・脚本

ラッキー・ナンバー Lucky Number (2000) 監督・製作

電話で抱きしめて Hanging Up (2000) 脚本・製作


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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