ノーマ・タルマッジ
Norma Talmadge
本名ノーマ・マリー・タルマッジ(Norma Marie Talmadge)
生年月日 (1894-05-02) 1894年5月2日
没年月日 (1957-12-24) 1957年12月24日(63歳没)
出生地ニュージャージー州ジャージーシティ
死没地ネバダ州ラスベガス
国籍 アメリカ合衆国
職業映画女優・映画プロデューサー
活動期間1910-1930
配偶者ジョセフ・M・シェンク(1916-1934)
ジョージ・ジェッセル(1934-1939)
カーヴェル・ジェームズ(1946-1957)
著名な家族ナタリー・タルマッジ(妹)
コンスタンス・タルマッジ(妹)
バスター・キートン(義弟)
主な作品
『久遠の微笑』
『秘密』
『椿姫』
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ノーマ・タルマッジ(Norma Talmadge、1894年5月2日 - 1957年12月24日)は、サイレント映画時代に活躍したアメリカ合衆国の映画女優である。 1894年5月2日、ニュージャージー州ジャージーシティで生まれた。(ナイアガラフォールズ出生説は誤りとされる)父親のフレッドは無職でアルコール依存症で家族を養うことは無く、しっかり者でやり手の母親マーガレットが必死に働き家計を支えていた。両親が離婚した後、ノーマは二人の妹・ナタリーとコンスタンスと共に母親に引き取られブルックリンに移り、高校を卒業するまでその地で暮らした。 1910年にノーマの家庭は経済的に苦しかった事もあり、母親の勧めで当時は舞台女優よりステイタスは遥かに低いがギャラは高い映画女優になりニューヨーク州フラットブッシュにあったヴァイタグラフ・スタジオで映画初出演を果たした。ヴァイタグラフには1915年まで在籍している。この間コンスタンスも映画デビューを果たした。 1915年秋、初めてハリウッドを訪れ、映画1作に主演した後トライアングル・フィルム・コーポレーションと契約する。契約が完了した16年にはニューヨークに戻った。16年10月20日、ニューヨークでプロデューサーのジョセフ・M・シェンクと結婚する。翌年、ノーマ・タルマッジ・フィルムを立ち上げ、夫妻でニューヨークを拠点に映画製作を始めた。1920年にファースト・ナショナルと提携する。 『久遠の微笑』(1922)の完成後、1922年には改めて拠点をハリウッドに移している。これ以降の数年間が彼女にとって人気の全盛期であった。27年にはユナイテッド・アーティスツに参加した。この頃から『椿姫』(1926)で共演したギルバート・ローランドと真剣交際を始め、夫のシェンクと離婚を望んだが、彼はノーマは重要なビジネスパートナーだった為、離婚を拒んだ。 1929年、初のトーキー映画『紐育の囁き』に主演したが、人気が伸び悩んで1930年の'DuBarry, Woman of Passion'を最後に映画出演が途絶えた。1934年、7年間の別居生活の後にシェンクと離婚した。同年コメディ俳優のジョージ・ジェッセルと再婚し、夫妻でラジオ出演したのが彼女にとって最後の芸能活動となった。1939年ジェッセルとも離婚している。 1946年医師カーヴェル・ジェームズと再々婚し、1957年12月24日ラスベガスで亡くなった。
生涯
主な出演作品
疑問の鈕釦 The Missing Links (1916)
渦 Going Straight (1916)
五十と五十 Fifty-Fifty
パンテア Panthea