ノーマン・ブルックス
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ノーマン・ブルックス
Norman Brookes


ノーマン・ブルックス
基本情報
フルネームSir Norman Everard Brookes
国籍 オーストラリア
出身地同・メルボルン
生年月日 (1877-11-14) 1877年11月14日
没年月日 (1968-09-28) 1968年9月28日(90歳没)
死没地同・メルボルン
身長180 センチメートル
利き手左
バックハンド片手打ち
殿堂入り1977年
4大大会最高成績・シングルス
全豪優勝 (1911)
ウィンブルドン(英)優勝 (1907・14)
全米ベスト8 (1919)
優勝回数3 (豪1・英2)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪優勝 (1924)
ウィンブルドン(英)優勝 (1907・14)
全米優勝 (1909)
優勝回数4 (豪1・英1・米1)
国別対抗戦最高成績
デビス杯優勝 (1907-09・14・19)
■テンプレート  ■プロジェクト テニス

サー・ノーマン・エベラード・ブルックス(Sir Norman Everard Brookes, 1877年11月14日 - 1968年9月28日)は、オーストラリアメルボルン出身の男子テニス選手。20世紀初頭の時期、1900年代から1910年代にかけて活躍し、1907年ウィンブルドン選手権イギリス人以外の選手として初の同選手権優勝者となった選手である。左利き。目を見張るようなテニス・スタイルから"The Wizard" (魔術師)というニックネームで呼ばれた。
来歴

ウィンブルドン選手権1877年の第1回大会から1904年の第18回大会までは男子シングルス決勝はすべてイギリス人選手が独占していた。1905年の大会で、ブルックスはイギリス人以外の選手として、大会史上初めて「チャレンジ・ラウンド」を制し、前年度優勝者ローレンス・ドハティーへの挑戦権を得た。当時の競技システムは、前年度優勝者を除く他の選手たちが「チャレンジ・ラウンド」を1回戦から戦い、そこを制覇した人が前年度優勝者と決勝を戦う「オールカマーズ・ファイナル」で優勝を決定していた。しかし、初めての決勝戦でブルックスはドハティーに6-8, 2-6, 4-6で敗れ、この時はウィンブルドン初優勝を逃している。1907年ウィンブルドン選手権でブルックスは決勝でアーサー・ゴアを6-4, 6-2, 6-2で破り、大会史上初めてイギリス人以外のウィンブルドン優勝者に輝いた。このブルックスの優勝を皮切りに、ウィンブルドン選手権大会の顔触れも国際化が始まる。

この後、1910年から1913年までアンソニー・ワイルディングがウィンブルドン4連覇を達成する。1914年ウィンブルドン選手権で、ブルックスは7年ぶりにチャレンジ・ラウンドを勝ち上がり、オールカマーズ・ファイナルで前年優勝者ワイルディングの大会5連覇を阻止して、自身の7年ぶり2度目の優勝を飾った。しかし、この後すぐに第1次世界大戦が勃発し、ブルックスもワイルディングも従軍することになる。ブルックスはイギリス軍の大尉として働いたが、テニスの同僚であったワイルディングは1915年フランスで戦死してしまった。

1918年11月に第1次世界大戦が終結し、翌年に1919年ウィンブルドン選手権が5年ぶりに開催された。ルックスは1914年度の優勝者として、チャレンジ・ラウンドの勝者を待つ立場で大会に臨んだが、この時はすでに42歳を迎えていた。相手は同じオーストラリアの24歳、ジェラルド・パターソンであったが、さすがに5年間の(戦争による)ブランクと18歳の年齢差は隠せず、ブルックスはパターソンに3-6, 5-7, 2-6で完敗してしまった。


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