ノーフォーク_(バージニア州)
[Wikipedia|▼Menu]

ノーフォーク市
City of Norfolk


市旗市章

標語 : "Crescas (ラテン語: 汝は成長すべし)"
位置

バージニア州におけるノーフォークの位置
位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ノーフォーク (バージニア州) (アメリカ合衆国)アメリカ合衆国の地図を表示ノーフォーク (バージニア州) (バージニア州)バージニア州の地図を表示ノーフォーク (バージニア州) (チェサピーク湾)チェサピーク湾の地図を表示

座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度50分43秒 西経76度17分9秒 / 北緯36.84528度 西経76.28583度 / 36.84528; -76.28583
歴史
創設1680年
行政
アメリカ合衆国
 州バージニア州
 市ノーフォーク市
地理
面積 
  市域249.4 km2 (96.3 mi2)
    陸上  139.2 km2 (53.7 mi2)
    水面  110.3 km2 (42.6 mi2)
標高2.13 m (7 ft)
人口
人口(2010年現在)
  市域242,803人
    人口密度  1,744.3人/km2(4,521.5人/mi2)
  都市圏1,713,954人
その他
等時帯東部標準時 (UTC-5)
夏時間東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : ⇒http://www.norfolk.gov/

ノーフォーク(Norfolk)は、アメリカ合衆国バージニア州南東部に位置する都市。バージニア州法の規定により、いずれの郡にも属さない独立市となっている。人口は242,803人(2010年国勢調査[1]で、東に隣接するバージニアビーチに次ぐ州第2の都市である。ノーフォークを中心に、バージニアビーチやニューポートニューズと共に形成している都市圏は1,713,954人、ノースカロライナ州内の2つの小都市圏を加えた広域都市圏は1,801,988人(いずれも2010年国勢調査)[1]の人口を抱えている。ノーフォークはこの都市圏における経済、交通、および文化の中心となっている。ジェームズ川チェサピーク湾に注ぐ河口に形成されている湾、ハンプトン・ローズの対岸のニューポートニューズやハンプトンとは、橋と海底トンネルで結ばれている。

ノーフォークはチェサピーク湾の湾口という立地条件に加え、ハンプトン・ローズという天然の良港に恵まれていることから、港湾都市、また軍事都市として発展してきた歴史を持っている。ノーフォークは世界最大の海軍基地で、アメリカ艦隊総軍アメリカ海兵隊総軍および北大西洋条約機構(NATO)の変革連合軍が司令部を置くノーフォーク海軍基地を抱えている。ノーフォークやニューポートニューズ、エリザベス川対岸のポーツマスでは、軍需産業、特に軍艦を建造する造船業が発展している。また、ノーフォークの港湾は軍のみならず民間においても重要度が高く、特にコンテナ貨物の取扱量においてはアメリカ合衆国大西洋岸有数である。加えて、ノーフォークはクルーズの拠点としても、乗船客・クルーズ船会社の両方から高い評価を得ている。
歴史
初期から独立戦争まで

1619年バージニア植民地総督ジョージ・ヤードレーは、植民地の中でも開発の進んだ場所に、植民地議会下院の基となる「シティ」(Cittie)という名の法人を4つ創設した。後にノーフォーク市となったこの地はエリザベスシティ法人の領域に含まれた。1634年チャールズ1世がバージニア植民地の行政区画を再編し、8つのシャイアを導入すると、エリザベスシティはエリザベスシティシャイアになった。

1622年イングランドノーフォークカウンティのキングスリンから年季奉公人としてバージニアに入植したアダム・サラグッドは、契約期間が切れて自由の身になると、まだ歴史の浅いこの植民地のリーダー的な市民となった。1636年には、サラグッドは105人にこの植民地に入植するように説得し、リンヘイブン川沿いの広範囲にわたる土地を与えられた。同年、エリザベスシティシャイアのうち、ハンプトン・ローズの南側、サウス・ハンプトン・ローズと呼ばれる地域が郡に分割されることになると、サラグッドは生まれ故郷のノーフォークカウンティにちなんで、この郡をニューノーフォーク郡と名付けた。翌1637年、ニューノーフォーク郡はサラグッドの勧めで、アッパーノーフォーク郡とロウアーノーフォーク郡に分割された[2]聖パウロ監督教会の壁に現在も残っている、ダンモアが発射した砲弾の痕

17世紀後半に入ると、「ハーフムーン」の砦が建設され、また10,000ポンド(約4,500kg)のタバコと引き換えに50エーカー(約202,000m2)の土地を得て、ノーフォークは成長した[3]1680年、植民地議会は、今日のノーフォークの基となるロウアー・ノーフォーク・カウンティ町を創設した[4]1691年、ロウアー・ノーフォーク郡はノーフォーク郡(現在のノーフォーク、チェサピーク、およびポーツマスの一部)およびプリンセス・アン郡(現在のバージニアビーチ)に分割された。1736年には、ジョージ2世の勅令により、ノーフォークは正式な町(ボロウ)として法人化された[5]

1775年頃には、ノーフォークはバージニア植民地で最も発展した都市であった。当時のノーフォークは、イギリスやその先に物品を輸出するための重要な港であった。商人たちの取引は大英帝国とつながり合っていたため、独立戦争の開戦間もない頃のノーフォークではロイヤリストが強い勢力を持っていた。当時のバージニア植民地総督であったダンモア伯爵は、植民地の首都ウィリアムズバーグからノーフォークに逃げ延び、体制の立て直しを図った。ダンモアはノーフォークで小さな勝利を収めたものの、やがてウィリアム・ウッドフォード大佐率いるパトリオットに追い詰められ、植民地から追い出された。ダンモアの追放によって、バージニアにおける168年におよぶイギリスの支配は終わった[6]

1776年の元旦、軍艦3隻からなるダンモアの艦隊は、8時間以上にわたってノーフォークの街を爆撃した。爆撃に加え、イギリス軍が火を放ち、その火をパトリオットが広げたことで、ノーフォークの街の約2/3、800棟以上の建物が破壊された。同年2月には、戦略的理由からパトリオットが残った建物を破壊した[7]。後には聖パウロ監督教会の壁のみが残った。
南北戦争ハンプトン・ローズ海戦

独立戦争で焦土と化した後、ノーフォークは復興したが、19世紀初頭にさらなる不運に見舞われた。1804年、ノーフォークのウォーターフロントで起きた大火は300棟の建物を焼失させ、ノーフォークは大きな経済的損失を受けた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:165 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef