(地域の旗)(地域の紋章
公用語英語、ノーフォーク語
主都キングストン
最大の都市キングストン
政府
国王チャールズ3世
総督デイヴィッド・ハーレイ
行政官(英語版)マイケル・コリーヴィー
面積
総計34.6km2(N/A)
水面積率極僅か
人口
総計(2014年)2,210人(N/A)
人口密度61.9人/km2
成立
最初の入植1788年3月6日
ヴァン・ディーメンズ・ランドに編入1844年9月29日
イギリス海外領土に編入1856年11月1日
オーストラリア領に編入1914年7月1日
自治政府廃止2016年7月1日
通貨オーストラリア・ドル(AUD)
時間帯UTC+11 (DST:+12)
ISO 3166-1NF / NFK
ccTLD.nf
国際電話番号672
ノーフォーク島(ノーフォークとう、Norfolk Island)は、太平洋にあるオーストラリア領の島。オーストラリアとニューカレドニアとニュージーランドの間に位置しオーストラリアの東、南緯29度02分、東経167度57分に位置する。面積34.6km2、人口2,210人(2014年)。主都はキングストン。 ノーフォーク島の最初の居住者は、バナナの木と石器を持ち込んで約1000年前の12世紀に住み着いた東ポリネシア人であった。彼らはある程度の期間居住したが、クックの発見までにいなくなった。1788年のイギリス人の島の入植以降、黒曜石や犬の歯やカヌーの残骸など幾つかの古代ポリネシア人が島に持ち込んだと思われる遺物が発見されていたが、いつどういう事情で絶えたか、あるいは退去したかは不明であった[1]。1999年にノーフォーク島にあるエミリー・ベイとセメンタリー・ベイで発見された古代ポリネシア人が住んでいたと思われる居住跡から、発掘作業にあたっていた考古学者によると居住跡の黒曜石の石片や貝殻や魚や鳥の骨などの遺物の発見の分析から約800年から1450年の間にノーフォーク島に住んでいたとされており、またエミリー・ベイ付近でポリネシア人の集会所のマラエが発見されている[2]。東ポリネシアからケルマデック諸島経由でノーフォーク島に移住し一期的に居住にしていたとされている。ノーフォーク島で26個の黒曜石の石片が発見されており、ケルマデック諸島とニュージーランド北島東岸のマイヤー島 1774年にジェームズ・クックが発見し、ノーフォーク公の名にちなんでノーフォーク島と命名した。クックが上陸した時、島は無人だった。クックらは岸辺に亜麻が密生し、内陸を松の木(ノーフォークマツ)が覆っているのをみて、この島が海軍の資材補給地として有望だと考えた。 報告を受けたイギリスは、本国から遠く離れた船舶に資材を供給する拠点としてノーフォーク島に期待をかけた[3]。マオリ人の抵抗がみられたニュージーランドと異なり、無人であることもよかった[4]。本国政府は、このような適地を他の列強に占領されるとやっかいなので、オーストラリア植民のついでに先手を打って押さえてしまおうと考えていた[5]。かくて1788年にポートジャクソンから囚人が移送され、オーストラリアのニューサウスウェールズと共にイギリスの流刑地となった。 人口は1788年4月に23人だったが、1794年7月には1149人(うち囚人は443人)に達した。だが、亜麻と見えたのは別種のマオランで、品質面で劣った。ノーフォーク松は船舶のマストに向かないことが判明した[6]。かつ、天然の良港を欠き、港湾施設は不備なままで、植民地としての将来は暗かった。人口は1804年から次第に減少し、1814年に放棄された[7]。
歴史
最初の住民
発見と第一次植民
その後