ノートルダム女学院中学校・高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度01分10秒 東経135度47分47.5秒 / 北緯35.01944度 東経135.796528度 / 35.01944; 135.796528
ノートルダム女学院中学校・高等学校(ノートルダムじょがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)とは、京都府京都市左京区鹿ヶ谷桜谷町にある私立女子中学高等学校。学校法人ノートルダム女学院が運営する。 ノートルダム(NotreDame)は〈私たちの貴婦人〉という意味のフランス語で、欧米のキリスト教世界では、聖母マリアへの敬愛の情をこめて広くこの呼び名が使われてきた。ノートルダムを校名とする本校は、聖母マリアを模範と仰ぎ保護者とする学校である。校章の中央に位置する聖書に書かれたラテン語「Virtus et Scientia」は「徳と知」を意味する本校のモットーである。「徳」は“愛する”、“共感する”、“受容する”など人間の内面の力を、「知」は“知識”、“知的能力”を超えた人間の“知恵”を意味する。校章には本校に学ぶ生徒が、「徳」と「知」という人間にとって大切な二つの力をしっかりと身につけた女性に成長してほしいとの願いがこめられている。
教育理念
歴史(英語版
沿革
1833年 - ナポレオン戦争で社会が荒れ果てていた南ドイツでノートルダム教育修道女会が誕生した。「社会をよくするには教育しかない。家庭の中心である女性の教育は特に大切」。これが、創立者マザーテレジア・ゲルハルディンガーの信念であった。
1847年 - 戦乱のヨーロッパから新世界アメリカに続々と移民が渡った時代、子どもの教育どころか、人々は生きるのに精一杯だった。貧しいドイツ移民の子どもたちに教育の機会をと頼まれたマザーテレジアは、5人のシスターたちを連れてアメリカにわたった。その後、アメリカ・カナダの教育の幅広いニーズに応え、様々な民族や宗教の青少年の教育に携わり、今日に至っている。
1948年(昭和23年) - 第二次世界大戦に敗れ日本中が荒れ果てていた時代、京都のカトリック教会からアメリカ合衆国のミズーリ州セントルイスにあるノートルダム教育修道女会管区本部に「時代が変わっても揺るがない人間教育をする女子校を建ててもらえないか」との願いが寄せられた。この願いに応えてシスターメリーユージニアと3人のシスター達が日本に派遣されたが、シスターたちには戦争中敵として戦った日本人との和解を願う気持ちもあった。学校を建てるお金はアメリカで子どもから大人まで多くの人々が協力をして集めた。日本に到着したシスターたちは、日本の人々を愛しその協力を得て難しい日本語にも挑戦し、文化や習慣を学びながら開校の準備を進めた。
1952年(昭和27年) - 美しい自然と豊かな歴史の地、鹿ケ谷にノートルダム女学院中学校が開校された。
1953年(昭和28年) - 同じキャンパスに高等学校が開校された。
1986年(昭和61年) - ネパールの教育ニーズに応えて日本から4人のシスターが派遣され、ネパール中部の高地バンディプールに幼稚園から短大までのノートルダムスクールが開校された。
2006年(平成18年) - 女学院中学高等学校に類型別コース制が導入された。
2016年(平成28年) - 女学院中学高等学校にグローバル英語コースが導入された。
2016年(平成28年) - 制服がリニューアルされた。
2018年(平成30年) - 女学院中学高等学校にプレップ総合コース・STE@M(スティーム)探究コースが導入された。
学科
高等学校(プレップ総合コース・グローバル英語コース・STE@M(スティーム)探究コース)
中学校(プレップ総合コース・グローバル英語コース・STE@M(スティーム)探究コース)
部活動
文化系
コーラス,ボランティア,オーケストラ
軽音楽,演劇,高校E.S.S. ,カメラ
美術,中学英語,科学(中学・高校)
ハンドクラフト(中学・高校),囲碁,放送局、国際活動同好会
運動系
バスケットボール,バドミントン,
バレーボール,剣道
テニス(中学・高校),卓球,陸上