最後のところ「疑似科学と~」を「疑似科学ないしは宗教と~」に書き換えたいがさすがにやばいよねぇ?128.141.129.44 2004年10月17日 (日) 16:09 (UTC)
[返信]2006年7月1日版の修正について。フロイト心理学やマルクス主義の批判はホパー自身によるものだったと記憶していますが。--隠者 2006年7月1日 (土) 15:54 (UTC)
[返信]正当な分割の手続きを経ずに先走って「科学技術週間」の項目を分割してしまい申し訳ありませんでしたが、改めて正式な手続きを踏んで「科学技術週間」の項目の分割を提案したいと思います。「科学技術週間」は「科学技術」の振興を図るための週間です。それに対して本項で説明すべきなのは、冒頭に書かれているとおり「学問の分野、名称の1つ」としての「科学」です。「科学」の項目の下で「科学技術週間」について記載することは、例えば、「動物」の項目中で「動物愛護週間」について書くようなもので、不適当と考えます。--Metatron 2006年8月4日 (金) 12:48 (UTC)
[返信]反対がないようですので、科学技術週間を別項目に分割させていただきます。--Metatron 2006年8月17日 (木) 15:12 (UTC)[返信]いきなりrevertされてるっぽいけど、@分割手続き上の不備を主張したrevertなのか、A分割そのものに反対の立場なのか、B単なる編集荒らしなのか、あるいはその他の理由によるものかさっぱり分かりませんな。revertした方の評判は良くないようですがはてさて( ´_ゝ`) --58.89.86.42 2006年8月18日 (金) 03:16 (UTC)[返信] 科学の要素として(「再現性」「客観性」「論理性」の3つを有する学問)とするのは乱暴すぎます。科学的手法の項目も参照して見てください。--210.225.222.131 科学についての説明には因果律が不可欠です。原因があって結果があるとする考え方は当たり前すぎてほとんど誰も気に掛けませんが、複数の事象が互いに無関係だと断じてしまえば科学は成り立ちません。--以上の署名のないコメントは、211.132.31.11(会話 自然科学の中の、突っ込んだテーマや各論的テーマは、この科学の項目で中途半端に述べるよりも、基本的には自然科学の項目に送り込んで、適切に位置づけながら書くほうが無難でしよう。また、方法論を巡る議論については科学哲学に送り込んだほうがよいものもあるでしょう。現状のままでは百科辞典の構成として、とても不自然です。 --Positron 現代科学の問題という節についてですが、ほとんどの出典が池田清彦氏の出版物であることは問題だと思います。確かに現代科学には多くの問題があると思いますが、池田氏のもの意見ばかりを取り上げることは中立的な観点から考えておかしいと思います。1人の意見のみを取り上げるのではなく複数の人の意見を取り入れた方が記事としてよりすばらしいものになるのではないでしょうか。--210.199.116.5 2010年7月2日 (金) 16:25 (UTC) 上記の池田氏の記述に限らず、記事全体が一般向けの書籍に出典を頼り過ぎています。前半の佐々木氏(失礼ですが、この方はどなたでしょうか。科学界を代表して語れるほどの科学的実績が認められる方なのでしょうか?)の書籍を引用している部分についても、まるで哲学論のようでわかりづらい上、主観的表現が多々見受けられ、百科事典としての方針に反しています。英語版の翻訳を主体として全面的に改稿し、「歴史」「科学的方法」等のわかりやすい構成に直すことを提案します。--s-kei 2011年11月24日 (木) 03:36 (UTC) S-keiさんへ それはやってはいけません。
2006年12月2日(土)版の修正について
因果律が必須
自然科学についての記述
10月末におこなわれた編集[返信]「広義の科学」の箇所が「狭義の科学」に移入された結果として「狭義」が二重になっていましたので、とりあえず項目名で区別しました。考えてみれば「狭義の科学」「最狭義の科学」という分類は、この編集で加えられたものですが([1])、最初は一般的なニュアンス(凡人は科学=自然科学を連想する、程度の分類)だったんですね。いつのまにやら発展してしまってますね。--125.205.188.24 2007年11月9日 (金) 21:01 (UTC)(※Cave cattum氏とは別人です。IP主義者なので混乱なきよう注記)--125.205.188.24 2007年11月9日 (金) 21:01 (UTC)[返信]批判に基づいて再度、加筆・再構成を行いました。だんだんといい感じになってきていると思います。--Cave cattum 2007年11月13日 (火) 09:32 (UTC)[返信]
現代科学の問題について
改稿提案
やってはいけません
出典が適切に提示されている文章を、個人的な好き嫌いで勝手に削除することは荒らしとされています。出典が適切に提示されている見解は(原則的に)きちんと記事に残さなければなりません。
ウィキペディアでは様々な見解を並べて紹介してゆかなければなりません。これは各論併記と呼ばれています。
また、諸見解を、自分の好き嫌いでより分けて、特定のものだけ残して他を消すようなこともやってはいけません。
「科学の中にどっぷり漬かって、科学 を 行う」ことや「科学のファンが、主観的に科学について思い描く理想像を熱く語る」ことと、「科学について客観的に学問的に論ずる」ことは異なっていて、この記事は「科学について」記述しなければならないのです。例えば、有名なマラソンランナーに、マラソンの真の歴史について尋ねて何か書いてくれ、と求めても、大抵は、ただマラソンを美化する感情的なエッセーのようなものしか書けない。マラソンランナーとして走る(マラソンをする)ということと、マラソンについて学問的に分析・著述する、ということは全然別で、適任者は別、ということ。たとえ有名なマラソンランナーでも、自分が走ることに夢中なだけで、マラソンという競技の本当の素状やその歴史についてはあまり知りません。それと同様に、科学者ひとりひとりは自分の目先の細かい領域で論文を書くのに必死で、科学全体のことは調べる余裕などありません。(これは私の個人的な見解ではなく、多くの学者の見解で、科学哲学の書籍や科学社会学などの書籍にはしばしば書かれていることです。また科学者自身もしばしば言っていることです。)当事者の情緒的な主観と第三者客観を対置させれば、客観を重視するのが真の学問的態度です(さらに言えば、皮肉なことに、本当はそちらのほうが“科学的”態度です)。
佐々木力の書籍は【科学】の記事の出典として適切です。『科学論入門』の著者 佐々木力は、科学史や科学哲学を専攻しプリンストン大学 でPh.D(博士号)を取得した人物で、科学論について大学等で講座を持ち教えた人物であり、まさに科学について論ずるのに最も適任の人物です。(だからこそ、わざわざ学術出版社岩波書店がこの人物を選び、講義録内容をまとめ『科学論入門』を執筆するように依頼されたわけです。編集の過程で研究者仲間からのアドヴァイスもあり、出版社からのアドヴァイスも入った上で出版されていているわけです。)
岩波書店というのは超一流の学術文献の出版社です。つまり、『科学論入門』は一流の学術文献出版社から出版されています。
つまり佐々木力の『科学論入門』は、専門家によって書かれ、学術的な出版社によって出版された資料です。出典として用いるのに、適格な書籍です。