ノート:心理学
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .tmbox{margin:4px 0;border-collapse:collapse;border:1px solid #c0c090;background-color:#f8eaba;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmbox.mbox-small{font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .tmbox-speedy{border:2px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .tmbox-delete{border:2px solid #b32424}.mw-parser-output .tmbox-content{border:2px solid #f28500}.mw-parser-output .tmbox-style{border:2px solid #fc3}.mw-parser-output .tmbox-move{border:2px solid #9932cc}.mw-parser-output .tmbox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.9em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .tmbox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .tmbox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .tmbox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .tmbox .mbox-invalid-type{text-align:center}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .tmbox{margin:4px 10%}.mw-parser-output .tmbox.mbox-small{clear:right;float:right;margin:4px 0 4px 1em;width:238px}}

この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。詳細はノート:心理学/削除をご覧ください。



分類について

基礎心理学の項に「超心理学」があるのは大変違和感があるのですが。異論なくば関連項目に移動させてください。MH 10:35 2004年2月25日 (UTC)

ビネー、ウェクスラー、ターマンなどの知能検査関係の心理学者はどこに入れるのが適当でしょうか?210.156.73.55 02:59 2004年3月4日 (UTC)

以下の一文を削除します。「現在、私達が一般に使用する心理学用語、「恐怖症」やそれを治療するカウンセリング等の技術は、大半の心理学に関する出版物がアメリカで英語翻訳されたおかげで、心理学が世界に幅広く普及されたためである。」理由は以下のとおり。

「恐怖症」は純粋な心理学用語ではなく,例として挙げるにふさわしい代表的なものではない。

カウンセリングを治療技術と呼ぶのは適切ではないし,心理学固有のものでもない。

後半部分の記述は米国中心の心理学観だが,日本の心理学は米国からの輸入で始まったわけではない。

何より日本語として不自然。

Diogenesis2004年11月13日 (土) 07:46 (UTC)[返信]

削除はしませんが、現行の本文は大いに問題ありです。たとえば、

実験心理学、臨床心理学、認知心理学、人間性心理学を列挙して「学派」と称している。

「心」なる用語を無反省に用いている。「心」=“mind”ではないし、心とは何かについての議論が収束していないことは初期の版には明記されていたはず。

歴史に関する記述が米国中心の視点に立って書かれている。

文句ばかり言うのも何なので、そのうち全面改稿案を提出しようと思います。Diogenesis 2004年11月13日 (土) 08:24 (UTC)[返信]

以下の3項目の修正を提案します。

児童心理学と青年心理学は発達心理学の下位分類として基礎心理学に移動。ついでに乳幼児心理学、老年心理学を追加。

基礎心理学に文化心理学と進化心理学を追加。

行動遺伝学は関連項目へ移動。

異論がある方は御意見をお寄せください。Diogenesis 2004年11月15日 (月) 18:24 (UTC)[返信]

フロイト、ユングの理論の全てが否定されているわけではないので、「一部の」と加えた。また、書籍にあった「フロイト先生のウソ」はここに示すにふさわしくないと考え削除した。これから示す「」内は一語一句正確ではないが、本にあるものと同様の内容である。「心理学者はアダルトチルドレンや多重人格なんていう無い病気を捏造し」、「カウンセリングの結果、患者が精神障害になることが多い」などと意見を主張する部分に学術的な検証を記載しないこと、「人格形成は先天性か環境のどちらが主に作用するか」という問題に心理学の主張を載せないなどし、フロイトや心理学が「マルクス主義よりも世界に損害を与えた」というわりにこの本そのものが学術論ぶった擬似検証本と言わざるを得ないものだからである。金ピカスライム 2005年9月14日 (水) 10:57

「行動学からの発展」は内容を他の項に移行して削除。「行動学」というならエソロジーの影響を書くべきでしょう。「行動科学からの発展」の項も削除。内容が社会心理学そのものです。また「行動科学」から発展した心理学というのは倒錯しています。逆ならありますが。Diogenesis 2006年10月27日 (金) 03:42 (UTC)[返信]

行動科学の件は了解。行動学というのは比較行動学のつもりで入れていたのですが、選んだ語が誤解を招くものであったことは反省しております。この系統は行動主義の説明に不可欠のため、復活させました。Hskwk 2006年11月1日 (水) 05:34 (UTC)[返信]

社会や歴史、あるいは文化現象の方面から「ノスタルジア・ノスタルジー」という概念について、このような心の作用に関する心理学的側面からの補強を求めています。お力添え、よろしくお願いいたします。220.148.255.164 2007年6月30日 (土) 03:00
定義と概論

Kazu 62さんが概論セクションを大幅に加筆してくださった勇気と文章力,労力に敬意を表しますが,「心理学は心を研究対象とする」という定義およびその視点による論述は明らかに独自研究です.通俗本や哲学者の書いた本などにはこのような定義が書かれているものもあるのかもしれませんが,心理学者はこのような定義を,心理学の科学としての客観性を確保するために,注意深く避けてきた事情があります.以前の定義や概論は説明が不十分で,不正確な部分もあったかもしれませんが,それなりに心理学の事情に配慮された記述であったと思います.視点が誤って書かれた文章を修正・訂正するのは困難なので,Kazu 62さんの投稿は独自研究としてとりあえず差し戻させていただきました.Kazu 62さんにはきちんとした心理学の教科書を参照して心理学の視点をご確認のうえ再投稿いただけるとありがたいと思います.

また歴史#現在のサブセクションを修正のうえ概論に移動してボリュームを増やしておきました.

以下参考までに教科書から定義を引用しておきます.著者は心理学史にも精通していた方々です.

「斯くの如く見来れば、私たちが心といっているものは、人間の行動の原理である。行動するものは個々の人間又はその他の生活体であり、直接観察されるものは現に行われつつある行動であり、その行動を一貫した原理を認めてこれを心と云うのである。かくの如き心は、人間をして斯く行動せしめる所以のものであるから、それは又人間性であるといってもよい。現代心理学において、心理学が、行動(Behavior)を研究する学問であるとか、人間性(Human nature)を研究する学問であると定義される所以である。」今田恵『心理学』岩波書店 1952年 pp.4-5(引用者注:引用元での強調は傍点.旧字は新字に改めた.)

「(前略)字義通りに解すると,心理学とは〈こころ〉の学問である.psychologiaというのはそういう意味のことばである.しかし,〈こころ〉とはいったい何か.〈こころ〉ということばを聞いてまず思い浮かべるのは,日常生活の多彩な心的経験であろう.たとえば,記憶や感情や思考はそのような心的経験の一種であり,したがってそれらは当然心理学において取り扱われるべき対象であるといえる.(中略) それでは先にあげた記憶や感情や思考は,どのようにして客観的に研究されるのか,さいわいにしてわれわれは自分の意識的経験をことばに表現することができる.また,ことばにあらわせないものは表情や動作のなかにそれを読み取ることができる.これらはいずれも〈こころ〉の働きによって生じたものであり,しかも,すべての研究者が共通の対象として取り扱うことができるという意味では客観性を備えている.心理学では,そうした言語的表現,表情,動作をひっくるめて〈行動(behavior)〉と呼んでいる.心理学はこのような広い意味の行動を研究する学問なのである.さらに詳しくいうと,心理学はどのような条件のもとにどのような行動がおこるのかということ,いわば行動の法則を究明しようとする科学なのである.」末永俊郎「序説」末永俊郎編『新版現代心理学入門』有斐閣 1989年 ISBN 4-641-11050-6 pp.1-2(引用者注:引用元での強調は傍点.)--HIw 2009年9月28日 (月) 15:10 (UTC)[返信]HIw様、および編集者の皆様お疲れ様です。HIw様がこの度自分の記事を差し戻したことについて、私は異議を申し立てません。むしろ、従来の記事が私が投稿した記事よりより正確かつ優れた記述であったことを確認できたことに満足しています。ただ些細な誤りと気になった点がありますので、その点についてのみ確認することを許して頂ければ幸いです。私は心理学の冒頭の定義として「心を研究対象とする」とは定義しておりません。私は「一般に心理とそれが行動に与える影響を研究する科学である」と定義しております。ちなみに現状の定義である「一般に心と呼ばれるものの様々な働きである心的過程と、それに基づく行動を探求する学問」では「心的過程」という合成語を使用してしまうことで意味するところが不明になっていると思いますが、その議論については別の機会に別の編集者が取り組んでいただきたいと思います。さらに私の記述が独自研究に基づいて執筆されたものであるという指摘についてですが、「明らかに独自研究である」と結論だけ仰られる限り私はその論拠について、またどの箇所が該当したのかを推測するしかありません。まず検証可能な出典や脚注が不足していたために独自研究であると判断されたのではと推測しています。しかし「視点が誤って書かれた文章」と述べられているので、単なる事実誤認だけではなくより根本的な問題が自分の文章にはあったと思われます。私が執筆した概説は三つの要素から構成されていました。第一に心理学は本質的に実体を持たない対象を研究する事情のために、研究でも研究対象の把握の仕方が複数あること、第二に心理学が具体的に扱う認知や発達、知能などの諸々の論点を示すこと、第三に心理学が客観性を保持するために採用している諸々の研究方法を示すこと、以上の三点でした。恐らくこの文章は少なくとも第一の要素に関して言えば、特定の立場に依拠できていません。もしかすると現在の心理学として完全に否定しているフロイトの見解についての記述が「視点が誤って書かれた文章」に該当したのかとも思いましたが、しかし自分はフロイトの視点に基づいて述べているのではなく、心理学の諸々の立場を列挙する中でフロイトの学説を示したに過ぎません。また行動主義心理学の立場に立脚していないという理由ではないかとも推し量りましたが、この点についても確信は持てませんでした。もしHIw様さえよければこの心理学という項目において「どのような視点に立脚して書かれた文章」が適切であるのかを明確化して頂ければ、心理学という項目を編集する皆様にとっても有意義な参照点になりうると思うのですが、いかがでしょうか。現状の概説で示されている記述に問題を感じていたのが自分だけならば、この項目の記事は既に十分に役割を果たしています。したがって私は異議を申し立てることはしません。あとHIw様が二つの文献を示してくれたお手間に感謝します。教科書をよく読むように助言を頂くほど自分の知的水準が低いことを恥ずかしながら露呈しましたので、恐らくこの項目を編集することはもう二度とないと思いますが、HIw様が示していただいた資料について簡単に応答しておこうと思います。ただ私は偶然にも『新版現代心理学入門』にはよく目を通していました。「こころ」から出発し、心理学の方法論としての行動主義の立場、つまり行動の動機となっている心理ではなく環境に応じてどのような反応が得られたのかを観察するスキナーなどにより実践されてきた心理学の伝統、を概説することは現代心理学の入門書として優れていると思います。今田氏の定義は初めて知りました。彼の定義も行動主義を踏まえた定義の一例として理解しました。これは議論というよりも、HIw様が示して下さった参考資料への御礼です。最後に細かい注意ですが、HIw様は署名することを忘れているようです。ノートでは署名をしていただくようお願い申し上げます。--Kazu 62 2009年9月29日 (火) 00:26 (UTC)[返信]

お返事が遅れて申しわけありません.またご指摘の前回署名を忘れたのはまったくのうっかりです.大変失礼しました.前回の分にも署名を追加しておきます.

さて,現在の概論は概論とも呼べないお粗末なものです.記述内容も心理学を専攻した人ならわかるとしても,心理学をよく知らない人が「心理学とはどういうものか」を知りたくても全くわからないでしょう.ですからKazu 62さんが書かれたような概論が必要だと考えています.上で指摘されている概論の三つの要素もかなり的確だと思いますし,それは投稿された概論を読んでもわかりました.ですから「視点の誤り」で差し戻すのは残念で,再投稿をお願いしたわけです.視点の誤りはちょっとした思い違いであろうと思っていました.ところが上のノートを読むとKazu 62さんは現在の心理学の主要な立場とは異なる立場を信念として取っておられるように思われます.そうなると再投稿をお願いするのは控えるべきで,ますます残念です.今後概論を投稿される方はKazu 62さんの「概論の三つの要素」をぜひ参考にしていただきたいと思います.

そこで定義についてですが,導入部の定義「一般に心理とそれが行動に与える影響を研究する科学である。」では心理学の研究対象として「心理」と「それ(心理)が行動に与える影響」の二つが挙げられています.まず後半部分「それ(心理)が行動に与える影響を研究する科学である。」から取り上げると,これは哲学における心の研究の方法,演繹的な方向で,心理学の行動から心的過程を解明する,帰納的な方向とは視点が逆なのです.あるいは上のノートの最後の方にある「行動の動機となっている心理」という句から,「問題行動を起した生徒の,その行動の動機となった心理」のような状況を連想したのですが,そういうことを想定しているのだとすれば,もちろん教育心理学や犯罪心理学などで,そういう問題意識で研究が行われることはあるでしょうし,それを否定するつもりはありません.しかし現在心理学の研究者がおこなっている研究の多くでは,実験や調査を通じて前回引用した末永先生のいう「広い意味の行動」のデータを取り,それを分析して心的過程(例えば色の知覚メカニズムとか記憶の構造とか)を推定するという手続きがとられています.少し私見がはいっているかもしれませんが,現代の心理学はこのように推定された心的過程の総体として心を「理解」しようとしているのではないかと思います.


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef