大主教で立てて大司教をリダイレクトしました。 統一しなくても、よい?Aphaea 司教が、携帯する司教杖などを持っていない司教はいるのでしょうか? ご存知でしたらお教えください。Yorozuya 04:32 2003年12月23日 (UTC) 現在の記述では「ローマの首位権」を認めているのがローマ教会だけのようです。東方はローマの教導権を認めていないのであって、全教会の首座教会であることは否定していません(分裂が解消していないので暫定的にコンスタンティノポリが世界総主教をつとめているだけ)。記述を少し変更する必要があるかと存じますがどうでしょうか。Aphaea 誰か についてかいてくだされ。。Aphaea 03:42 2004年2月20日 (UTC) 補佐司教は内容がきわめて乏しく、司教への統合が適切だと思います。--U3002 2008年3月2日 (日) 14:56 (UTC)
西方
ローマ・カトリック
東方
着せかえ
デスポラ
補佐司教との統合提案
この取り消し編集につき、説明申し上げます。
「東方典礼カトリック教会のEpiscopusを主教と呼ぶのが適当」と、カトリック教会自身が言うのなら記述の意味はありますが、「適当」とするのが当該文章を作成されたIoanPavelさんだけというのであれば、Wikipedia:独自研究は載せないに抵触します。日本語版ウィキペディアでは各所で「教派ごとの自称を尊重する」ことで記事が作成されてきました。カトリックの記事はカトリック用語で、正教の記事は正教の用語で、という具合にです。その旨、御承知おき下さい。
カトリック中央協議会のウェブサイトでは東方典礼カトリック教会のEpiscopusも凡て「司教」で記述されています ⇒[1](そもそも「東方奉神礼」ではなく「東方典礼」と呼ぶ事そのものが、カトリック用語なのです)。
従いまして
ラテン典礼以外のカトリック教会(東方カトリック諸教会など)でのこの役職の日本語名称で定着した訳はない → カトリック中央協議会のウェブサイトでの事実に反するため削除しました。
典礼様式や伝統の違いから、同じカトリック教会に属する教会においても、正教会に準じた呼称(主教、大主教、府主教、総主教)が適当である。 → Wikipedia:独自研究は載せないに抵触するため、削除しました。
余談ですが、もしこの言い分(ラテン典礼はカトリック用語、東方は正教用語)がそのまま通ってしまいますと、西方奉神礼正教は「西方典礼正教」に、その神品達は「司教」「司祭」「助祭」と訳さなければならなくなってしまいます。--Kinno Angel(会話) 2012年5月3日 (木) 04:08 (UTC)
[返信]「説明」ありがとうございます。まず、問題の対象となっている、“ラテン典礼以外のカトリック教会(東方カトリック諸教会など)”が、日本において自らの役職について定まった日本語名称(あるいは日本語訳)を提示していない、またそれ以前にそうした教会が(あったとしても)広く認知されていない、という現状から用語の問題が生じる、という認識で間違いないでしょう。 それに対して、Kinno Angelさんの「日本語版ウィキペディアでは各所で「教派ごとの自称を尊重する」ことで記事が作成されてきました。」という原則?があるのなら、私としては残念ですが、認めねばならないと思います。ですので、「教派ごとの自称を尊重する」という原則に従わねばならないという根拠を御教示ください。きちんと(他の項目も)読んでいないからこういう大切な点に気づかなかったのかもしれません。 しかし、「教派ごと」と、Kinno Angelさんがお示しくださったのが、実はそれぞれの「教派的伝統」あるいは「教派およびその伝統」という意味だとしたら、もう少し議論させていただきます。“ラテン典礼以外のカトリック教会(東方カトリック諸教会など)”をそれ自体として「公平に扱う」というのなら、組織としての「教派ごと」という枠組みだけで乱暴に(表現が悪いのかもしれませんが)、日本の“ラテン典礼のカトリック教会”の用語を当てはめることが、はたして「公平」でしょうか? 以下、この観点から「説明」に対して個別にコメントさせていただきます。 ・「カトリック中央協議会のウェブサイトでは東方典礼カトリック教会のEpiscopusも凡て「司教」で記述されています」・「ラテン典礼以外のカトリック教会(東方カトリック諸教会など)でのこの役職の日本語名称で定着した訳はない → カトリック中央協議会のウェブサイトでの事実に反するため削除しました。」→カトリック中央協議会は、現在のところ、日本のカトリック教会=“ラテン典礼のカトリック教会”という大前提ですから、「司教」とするのは当然だと思います。前述のように、日本に(ほとんど)実態がない教会の役職名をどう訳すか、という問題に差し掛かった時に、“ラテン典礼のカトリック教会”がそれまで使用しなかった「主教」という名称を用いることは考えにくいことです。 しかし、“ラテン典礼以外のカトリック教会”の信徒の方の視点からすれば、それは典礼様式(とりあえずカトリックでよく使用する表現を用います。ラテン語ritus)を無視した暴挙と映らないでしょうか? いや、少し具体例をあげましょうか。東方典礼カトリック教会のEpiscopusが身に付けているオモフォリオン(日本版Wikipaediaでは圧倒的にスラヴ系の説明が中心になっているのでオモフォル、でしょうか)を、「教派ごとの自称を尊重する」という理由で、「パリウム」と称するのでしょうか?それとも「オモフォルに似せたパリウム」でしょうか? ・「そもそも「東方奉神礼」ではなく「東方典礼」と呼ぶ事そのものが、カトリック用語なのです」→上述のことから、東方奉神礼という呼び方が、それに属する当事者の視点で正しければ、それもアリだと思います。「東方典礼」という表現そのものが“ラテン典礼のカトリック教会”の視点から出た用語だと思います。ただしプロテスタントでもこうした表現が(全面的かどうか別にして)受容されていると思いますので、かならずしも「教派」の用語、というわけではないと思います。 ・「典礼様式や伝統の違いから、同じカトリック教会に属する教会においても、正教会に準じた呼称(主教、大主教、府主教、総主教)が適当である。 → Wikipedia:独自研究は載せないに抵触するため、削除しました。」→独自研究に基づいて記述したつもりはありません。あくまで中立的立場に立って記述したつもりです。正教という立場(Kinno Angelさんがその立場かどうか判りませんが)からすれば、(ほとんど)同じ典礼様式(ビザンティン典礼)のカトリック教会に対して、その組織も伝統も認めがたい、認められない、という見解が主流だろうと推察いたします。「正教を装ったカトリック」として改宗主義を疑うからでしょう。その立場からみれば、たとえば、 ・ラテン典礼総大司教とウクライナ・カトリックの「キウィウ総大司教」:カトリックなら、一律、Patriarch=「総大司教」これならばよい(勝手にそう呼んでおけばよい)となるかもしれませんが、・ラテン典礼総大司教とウクライナ・カトリックの「キウィウ総主教」これは許せないところかもしれません。しかし一般読者の視点なら両者の典礼様式(ritus)の違いが判りやすいだろうと思います。 Wikipaediaという場を考えたら、その記事を読む一般読者に対して、公平な(中立的な)立場で記述することは当然ですが、それは今回のような場合には、比較的理解しやすい用語を選択しながら「公平な(中立的な)立場で」記述することではないでしょうか。日本においての用語や訳し方が問題になるなら、どのような用語が、読者に理解されやすいかを中立的に考えねばならないはずです。ビザンティン典礼カトリックの伝統を背景にもつ項目や内容を、一般読者に理解してもらえるような中立的な表現として、比較的一般読者が理解しやすい正教会の用語を用いることを適当と考えるのは間違っているでしょうか。 もちろん、他の項目(大主教、府主教、総主教、その他)にも波及する問題だと思います。新参が申し上げるのは不適切かもしれませんが、現在のWikipaedia日本語版のこれらの項目に関していえば、中立性という点で問題があるかもしない、と思います。 念のため申し上げておきます。私は自分の信条や立場を具体的にあきらかにするのを好みませんが、“ラテン典礼以外のカトリック教会”に属する者ではない、ということだけは明らかにしておきます。 長いコメントになり申し訳ありません。Wikiの編集そのものが慣れておりませんし、私の勘違い等多々あるかもしれません。御指導よろしくお願い申し上げます。--利用者:IoanPavel
「主教」関連冒頭文説明の取り消しにつき説明 ──に対する見解