ノート:プロテスタント
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(2005年7月までの議論:節は2010年付加)

整理のため、節を付与しました。--Kinno Angel 2010年4月5日 (月) 11:15 (UTC)[返信]

聖公会はプロテスタントとは自称しませんので、別項目に置くべきだと思います。(←219.166.2.225氏の書き込み)

是非、メソジストやバプテストなど、特にアメリカのプロテスタント教会の歴史を付け加えてください。(←Haruka氏の書き込み)

ツウィングリは、偉大な宗教改革者ではありますが、改革派ではありません。改革派と長老派はカルバンやその後継者から分かれています。オランダに伝わったカルバン派が改革派になり、イギリスに伝わったカルバン派が長老派(その後アメリカへ)になりました。正確を期すために大幅な書換えが必要です。(←Siyajkak氏の書き込み)

Siyajkakさんの見解を支持しません。間違いと切り捨てるには大筋をよく掴んでいるので、受験参考書あたりにそのようなことが書かれていたなら苦笑して見逃すところですが、それではスイスやフランスのカルバン派とやらは何になったのでしょうか。それから、どうせ議論するなら一度に、ということで、宗教改革改革長老教会へのご意見もそれぞれのノートによろしく。LR 2004年6月28日 (月) 14:27 (UTC)[返信]

あれれ、もう直されてしまった後なのですね。リバートする前に話し合いたいのですが、Siyajkakさんはどこでそのような知識を身につけられましたか? あなたの意見は改革派長老派教会も含めて「アメリカあたりでは一般にそのように思われがちである」という形にすれば全く正しいので、多分傍流の思想史あたりから入られたのではないかと思うのですが? LR 2004年6月28日 (月) 15:25 (UTC)[返信]

LRさん

>スイスやフランスのカルバン派とやらは何になったのでしょうか。

これについては、たしかに大雑把な書きかたで説明不足であったことはお詫びします。

>間違いと切り捨てるには大筋をよく掴んでいるので、受験参考書あたりにそのようなことが書かれていたなら苦笑して見逃すところですが

>どこでそのような知識を身につけられましたか?

>多分傍流の思想史あたりから入られたのではないかと思うのですが? 

これについては、かなり失礼な書き方ではないでしょうか。傍流の思想史なんかではないことだけは明言しておきます。わたしが言いたいのは、ツウィングリが現在でいうところの「改革派」(Reformed 〔Church〕)ではないということです。たしかにツウィングリが改革派を名乗ったことがあるようですが、現在の「改革派」(Reformed 〔Church〕)ではありません。定義があいまいになってしまいます。ですから、無用な混乱を避けるために自信を持って削除しました。彼の死後、1531年にカルヴァンのジュネーブ教会と合同して「改革派教会」と呼ばれたと記述するHPもあるようですがせいぜいそのくらいしかさかのぼれないでしょう。ツウィングリ派とかいう書く人もいるようですが、ツウィングリがスイスで宗教改革をはじめたという記述の仕方が一般的かつ中立的でしょう。改革派や長老派教会については、規制的原理(regulative Principle)に対して改革派や長老派がどのような態度をとっているか、「たしかこれでよかったはずだけど...」と半ばうろ覚えの知識でカキコしてしまったのできちんと復習して書き直さないといけないかもしれません。Siyajkak 2004年6月29日 (月) 16:45 (UTC)[返信]


>聖公会はプロテスタントとは自称しませんので、別項目に置くべきだと思います。(←219.166.2.225氏の書き込み)

聖公会はプロテスタントを自称しないので別項目に置くべきとの事ですが、元々プロテスタントとは抗議者という意味を込めてカトリック側が呼称した蔑称です。したがって、元々どの教団においてもプロテスタントと自称している事自体がおかしいと言えます。したがって、この場合は自称するか否かは別として教義上相容れぬ思想や政治的背景によりカトリックから分離・独立した教派もしくは更にそこからの分派等、ほぼ全てに客観的事実としてプロテスタントを当てはめるのが適当と考えますがいかがでしょう?分裂の結果聖書以外の正典を用いたりキリストの贖罪や復活を否定する等キリスト教からも逸脱する場合は別として・・・。(2005-06-28)

再臨運動を語る上でSDAだけではなく異端である「ものみの塔」の出現を記載する事も歴史を語る上で重要と考え、記載致しました。尚、ものみの塔にと並ぶキリスト教系3大カルトとして知られる統一協会モルモン教等は聖書外の正典を使用したり、別のメシアの存在を示唆する為「異端ではなく異教」と捉えて記載は控えました。ものみの塔も「異端ではなく異教」という意見も多数ではあるかとは思いますが、「(改竄があるとは言え)聖書以外の正典は使用しない」「キリストは神の子」「キリストの復活」「原罪と贖罪」を主要教理におき、使徒信条に近い信条があると判断しています。その為、ものみの塔の立場は非ニケア・コンスタンティノープル、非カルケドンの古代異端と終末思想の強い現代的原理主義の両方の性格を併せ持つと考え「異端プロテスタント」として記述致しました。(2005-07-01)
「エホバの証人」

[211.177.88.160]氏が死後の霊魂解釈においてSDAとエホバの証人と分けたようですので再度修正致します。[211.177.88.160]氏はSDAはキリスト再臨時に昇天し、それまでは昇天しないという教理に留め、エホバの証人との差別化を図っているように見受けられますが、この教理はSDA、エホバの証人共に共通の教理であると見なして間違いないと思われます(昇天の教理は完全に異なるが)。詳細は ⇒SDA教団のQ&Aをご覧下さい。また、SDAのQ&Aと ⇒ものみの塔公式サイトの見解と比較をされる事を推奨致します。[2005-07-29]


[211.177.88.160]さんはSDA所属のクリスチャンでしょうか。とにかくエホバの証人と区別したいようにお見受けします。死後の見解は同一という客観的内容をいちいち修正する必要性はあるのでしょうか。信徒さんであればエホバの証人であろうとSDAであろうとお互いに否定したくなる気持ちは分かりますが、客観性にかけます。ただのアンチエホバの証人に見えますよ。他の方のご意見はどうでしょうか?[2005-08-01]

[211.177.88.160]さんへ。反論や意義があるなら無言で編集せず、ノートで議論しませんか?これでは埒があきません。


全くの第三者ですが発言します、エホバの証人は、プロテスタントではありません。聖書を基にしてと言いますが、その聖書自体を自由に読む事ができません。すべて統治体と呼ばれる本部からのカリキュラムにそったもの(学び)によります。また聖書を改編しており、新約聖書上でイエスキリストについて主としている箇所に付いても「エホバ」としてしまっており、明らかに間違った訳になっています。以前は文語訳聖書でも神の御名を「エホバ」としていたため、エホバの証人でも通常の聖書が使われていましたが、現在は改編した新世界訳という聖書を使用しており(新改訳ではない)、しかも統治体のカリキュラムに従っていますからだれもおかしいとは思わないわけです。しかし以前に北海道の広島というところのエホバの証人の長老の方が聖書を通読してその間違いに気づき、証人の人が集団で脱会する事件が起きています。また伝道する(家庭訪問)ことが、信徒に要求されており、時間数によって教師になったりあるいは伝道者になるなどの「ノルマ」があり、そのために主婦の信徒の人が子供連れで家庭訪問する事がよくあり、家庭不和、家庭崩壊など、社会問題化しました(だんだんやり方が変わっているだけです)。このような事は非常に有名な話ですがご存じない人が増えてきているようです。ですからアンチエホバの証人はごく普通の人です、また信徒の人たちも被害者であり、社会問題を引き起こしている集団であるこのような宗教団体は社会通念的にも、黙ってこのカテゴリーから外すのは当たり前の事です。(最近あまり騒ぎが無いからといって許されるものでもありません)220.99.215.102 2005年11月12日 (土) 10:51 (UTC)[返信]

プロテスタントの定義が定まっていないのに、プロテスタントであるか無いかを判断するのは難しいかと。[220.99.215.102]さんが提示している問題点は以下にまとめられますが、これをもってプロテスタントではないと示してしまうのはどーかなー。って思います。

・聖書自体を自由に読むことができない 聖書自体は各人が持っている(未信徒だって手に入るぐらいだし)ので、解釈・・・ということだと思いますが、聖書は明々自分勝手に読んではならないという部分があるので、この点を指摘してプロテスタントではないとは言えないと思います。

・カリキュラムにそった学び バプテスト教会などでも「聖書教育」などの教案誌を通して教理の勉強をしますから、この点も非難できることじゃないんじゃないかなぁ。

・聖書解釈の誤り 改変なのか誤りなのか分かりませんが、プロテスタントなら聖書はこう解釈すべき!!という共通観念が出来ていないためこれもプロテスタントでない証拠にはならないかと。

・独自聖書の利用 口語訳から離れて新改訳をつくったり、教会によっては岩波訳やバルバロ会訳をつかうわけだし、これもプロテスタント教会ではないとはいえないんじゃないかな?

・伝道することが信徒に要求されている。 これはクリスチャンの義務に近いものだから、むしろ伝道をしないほうが問題だと。

・ノルマなどがある これも瑣末な問題で、教団内部の問題。

・反社会的団体である。 教理の問題ではなく、団体自体の問題でありこれをもってプロテスタントでないと述べることは不可能である。

 そもそも、エホバの証人が異端である理由は「三位一体説」を認めないからであり、反社会的行動などによって異端視されているのではない。--133.2.251.39 2009年8月19日 (水) 09:51 (UTC) [返信]
「教義」

聖公会なんですが、古カトリック教会と完全共同倍餐で(というわけで古カトリックは聖公会をむしろ「カトリック」と認めている。古カトリックによれば「ローマに服さないカトリック」なんだそうです)、聖公会以外からも派によってはプロテスタントとはしないとする意見があるそうです(カトリックは聖公会の使徒継承性を認めていませんが、プロテスタントだと明言しているかどうかは知りません)。

正教会(東方だと思いますが)がアルミニウス主義というのは、何が典拠なんでしょうか。不勉強ですので存じません。根拠を示していただければと思います。--Aphaia 2005年9月7日 (水) 07:56 (UTC)[返信]
「基本教理」

創造論(前1000年説と後1000年説を信じるとする教理)創造論のところに、前1000年説と後1000年説を信じるとする教理と書かれているが、これは終末論の前1000年王国のこと?プロテスタント教会で統一した見解がないポイントを基本教理に入れるのはちょっとマズイかも。--133.2.251.39 2009年8月19日 (水) 09:54 (UTC)[返信]
冒頭文についての問題提起

冒頭文についてですが、エヴァンジェリカル・オーソドックス教会にまで言及されていたり、カトリック教会について詳述されていたり、聖公会について断り書きがされていたりといった、冗長な部分が目立ちます。分量自体は必要性がある記述であれば大きくても良いと思いますが(正教会の冒頭文もそれなりに大きいですが、これは語義についての日本における様々な誤解を解く為に必須のものです)、プロテスタントの全体像を分りやすく捉えるには逆に理解の妨げになるのではとの懸念を持ちました。とは申しますものの、私はプロテスタントに明るくありませんので、まずノートページでの問題提起をさせて頂きます。--Kinno Angel 2010年4月5日 (月) 11:15 (UTC)[返信]一旦、全面的に改稿しました。冒頭部についても大幅に圧縮しましたが、プロテスタントに明るい各執筆者の皆様の修正、加筆をお願いしたく存じます。--Kinno Angel 2010年4月5日 (月) 15:06 (UTC)[返信]
系統図 解決済み

使徒継承の立場よりで、プロテスタントの系統の説明に全くなっていない不適切な表を削除しました。


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