ノート:パンク・ロック
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目次

1 日本のパンクバンドの項について

2 日本のパンクバンドの項についてパート2

3 パンクロックの起源

4 記事の分量の公平さ、欠けている視点

5 パンクロックの歴史について

6 主にパンク・ロックに分類される海外のアーティスト・バンドについて

7 80年代USパンク

8 無気力でルーズな歌唱法?

9 要出典について

10 パンクファッションで…

日本のパンクバンドの項について

はじめまして、PIGです。まずは問題点ですが、日本のパンクバンドの項目が編集合戦になりかけています。そこで案なのですが、一度すべて削除して結成年代別に分けてはどうでしょうか。皆様のご意見お待ちしております。--PIG 2005年8月12日 (金) 10:43 (UTC)私は日本、海外共にバンドのリスト自体がいらないと思います。パンク・ロックバンドかどうかの定義が難しいバンドも多く、そこで「このバンドはパンク・ロックバンドであるかどうか」と言った討論が多くなってしまうので。--STL 2005年8月13日 (土) 02:01 (UTC)いやぁ 黒夢とかはどう考えてもおかしいですよ黒夢? だったらまだBUCK-TICKの方がパンクっぽいこの際 最初に書かれている通り、リスト的なものは排除した方がいいと思う。流れを説明するのにある程度は必要だから、日本の場合はINU、スターリン、ブルハ、スタークラブ、ハイスタ、ガーゼぐらいがあればいいよ。辞書なんだから変な思い入れとかは抜きにして出す名前を選んで欲しいね。初期のロンドンパンクとニューヨークパンクはある程度挙げた方がいいと思うけど、DEVOとか999とかのニューウェイブ寄りのバンドは止めるべき。まとめ スッキリした感じですね。一先ずこの状態で行きましょう。どうしても日本のロックが必要という声が多く挙がれば、再議論という形を取りたいと思います。皆様、ありがとうございました。
日本のパンクバンドの項についてパート2

PIGです。「パンク・ロックに分類されるアーティスト・バンド」を「主にパンク・ロックに分類される海外のアーティスト・バンド」と変更させていただきました。ブルーハーツなどを書かれる方がいらっしゃいますので、ジャパニーズ・メタルの項があるように、日本のパンク・ロックの項目が必要な時期が来てると思います。皆さんのご意見お待ちしております。--PIG 2006年4月21日 (金) 18:32 (UTC)夜更かし中PIGです。日本のパンク・ロックの項を作りましたので(今まで項と節を勘違いしており申し訳ないです。)、そちらへ是非皆様の参加お待ちしております。--PIG 2006年5月2日 (火) 18:35 (UTC)
パンクロックの起源

パンクロックは一般的にRamonesの「Blitzkrieg Bop」(1976)が起源とされています。本文中にその事が記述されていないのが残念です。パンクロックの起源 ロンドンパンクとニューヨークパンクを分けて説明しているのだから、ロンドンパンクはwho,フェイセス等のモッズバンドからの流れを記述するべきだし、ニューヨークパンクはグラムロックからの流れを記述するべきパンクロックの起源について 英語圏のWikipedia(en:Punk_rock)によると、パンクロックムーブメント が1975年スタートになってます。一応、英語圏での音楽だということでen:Punk_rockに沿った形になってると思うのですがどうでしょうか。
記事の分量の公平さ、欠けている視点

個人的な思い入れは別として、特定の1バンド(ストラングラーズ)に異例の長さの文章を割き、一般的に現在パンクバンドとして語られる、認められていることの多い代表的バンド群(ラモーンズ、ザ・ジャム、ニューヨーク・ドールズ、クラッシュ、ダムド)について殆ど記述がないのが不自然な気がしますが・・・・。まるでストラングラーズがパンクの最重要バンドであるような記述に見えるのですが。ウィキペディアは個人のファンサイトなどでない以上、執筆者個人の思い入れよりも、世間一般的な認識、客観的な視点に基づいて記事は執筆されるべきではないでしょうか。

また、ニューヨークからの影響下にロンドンパンクが興隆したことは一般的な認識として定着していると思いますが、そのニューヨークパンクについて詳しく記述があると良いのではないでしょうか。またロンドンパンク自身の源流としてのパブ・ロックやモッズなどの流れも欠けているように思います。

最新の編集履歴を見る限り、上記のような傾向の記事を書かれた方により、編集合戦になりかねない危険性を感じるので、今回あえて私は記事に手を加えませんが。みなさんはどうお考えでしょうか。PIGです。一先ずロンドン・パンクの項目編集が早急に必要な気がしますが、いかがでしょうか。ニューヨーク・パンクは一応形としてあるのですが…。ストラングラーズに関しては、『ストラングラーズ』←こちらとほぼ同じ文章になってるようなので、(私が書いた文章ではないのですが…)ある程度省略してもいいかと思います。--PIG 2006年4月14日 (金) 10:54 (UTC)再びPIGです。ストラングラーズの部分、少し削除しました。--PIG 2006年4月21日 (金) 18:32 (UTC)
パンクロックの歴史について

はじめまして。ドラムスコです。ロックを参考に『歴史』の部分を修正しました。オリジナル・パンク誕生から現在までの流れを記述してあります。--ドラムスコ 2006年4月27日 (木) 12:54 (UTC)
主にパンク・ロックに分類される海外のアーティスト・バンドについて

年代、ジャンル、知名度等を無視してただひたすらあいうえお順に記述されている為百科事典として見にくく解りにく過ぎると思います。この際70年代、80年代とかロンドン・パンク、ニューヨーク・パンクとかある程度分けてみてはいかがでしょうか(編集合戦になりますかね…)。--218.231.205.178 2007年10月14日 (日) 18:09 (UTC)
80年代USパンク

アングラであったことは間違いないですが、MRRやFlipside自体がカリフォルニアのアングラ雑誌であり当時のハードコアを扱っていないはずはないと思います。Flipsideの1982年人気バンドはマイナースレット、人気ボーカルはイアン・マッケイです。1982年にはイアン・マッケイはMRRのDC特派員もやっています。「要出典」部についてはもう少し具体的な記述にしないと信憑性がないと思います。

--58.3.96.71 2008年4月21日 (月) 02:30 (UTC)

MRRとFlisideのアーカイブ、 ⇒Flipsideデータベースを確認しました。MRRは雑誌としての発刊が1982年なので、1号からマイナースレットのインタビューでハードコア満載です。1977年創刊のFlipsideは、最初のほうはLAのオリジナルパンクやUKものが多いですが、22号のダービー・クラッシュ追悼号(1980年)の体育会系ハードコアの原型ともいえるハンチントン・ビーチ・キッズの暴れぶりを嘆く巻頭記事あたりから、ヒッピーvs.(体育会系/サーフ)パンクが話題になり、1981年あたりからハードコア一色、1982年にはMDC(テキサス)、Effigies(シカゴ)、ハスカードゥ(ミネアポリス)、ネクロス(デトロイト)、マイナースレット(DC)とインタビューが全米規模になり、1984?5年にはイベンターGoldenvoiceのアリーナ企画が隆盛の影でライブハウスは閑古鳥、というような流れです。大幅に修正が必要だと思います。

USの場合、地域性があるので書きにくいとは思いますが、大雑把に(独自研究を)まとめてみます。NY, LAのような大都市にはもともとカウンターカルチャー系のパンク文化があり、ロンドン・パンクやニューウェーブは英音楽産業がNY版を(時間差をおいて)大衆化したブームだと思います。ロンドン・パンクはUSの青少年にアピールしますが、この結果、NY,LAの周辺ではこれらの郊外の青少年が都心のカウンターカルチャー(ヒッピー文化)に遭遇して化学反応(ハードコア)し、これがさらに全米に広がって体育会系ハードコア文化が成立、カウンターカルチャーの存在しなかった田舎ではこれらの体育会系ハードコアが平和裡に体育会系メタラーへ、という流れだと思います。いずれにしても体育会系ハードコアの全盛期は1980年代前半でしょう。

--58.3.96.71 2008年4月21日 (月) 12:51 (UTC)モッシュについての英語版の解説では、モッシュがハードコアからスラッシュ・メタルへ引き継がれた、というような書き方になっています。--58.3.97.74 2008年4月28日 (月) 01:13 (UTC)


当時のMRRやflip sideのバックナンバーを持っていますが、ハードコア以上に多いのがカレッジ・ロックやネオ・ガレージの記事です。ハードコアは、音楽的には80年代初期がピークですが、バンドの数や集客力という面で見れば、クロスオーバーやスピードコア、ユースクルーが台頭してからシーンが大きくなったのは間違いありません。--以上の署名の無いコメントは、203.179.23.116ノート/Whois IPv4 ・ IPv6)さんが 2009年4月22日 (水) 19:13 に投稿したものです(Dr.Jimmyによる付記)。
無気力でルーズな歌唱法?

IPユーザーの61.44.126.179氏が、パンクの歌い方はもともとジョニー・ロットンの影響で「無気力でルーズな唱法」が主流だったと書かれています(というか私が直したものを差し戻されました)。ピストルズのビデオ映像を見た人ならご存じの通り、ジョニー・ロットンはぶっきらぼう(つまりルーズで乱暴)な歌い方をしていることは確かですが、無気力というのは不適当な表現です。声の質は細い方だとしても、生な怒りのエネルギーを込めて歌っており、無気力どころではありません。それが理由で同時代の若者たちに絶大な影響力をもったのです。もう一回直します。--Otkoyg 2009年4月20日 (月) 03:40 (UTC)私の修正をふたたび戻されましたが、オールドウェーブについて書きます。ピストルズはオリジナル曲を作る前やそれ以後にもザ・フーやチャック・ベリーをカバー演奏しています。ジョニー・ロットンは「ロックは死んだ」と言い、同時代のロックを攻撃しましたが、そのとき標的になったのはピンク・フロイドやレッド・ツェッペリンなどのプログレやハードロックです。1960年代のロックはむしろ称揚の対象でした。--Otkoyg 2009年4月20日 (月) 15:17 (UTC)

ジョニー・ロットンの唄法は、ハードロック的な感情を込めて歌い上げるスタイルの対極ですし、ハードコアパンク以降の怒りを込めてがなりたてるスタイルとも違った意味で対極にあります。怒りのエネルギーを込めた乱暴な歌い方では、表現上ハードコアパンクとの違いがありません。


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