カントとドイツ観念論・カントのフィヒテ評価と交流史(啓示批判の試みから第一序説の頃)-- 12月上旬の履歴をご参照ください。 これは、要検討になりそうですが、カントをドイツ観念論にいれる立場の研究者と入れない立場の研究者の名をあげて(ドイツのも含めて)、それぞれの主張のアウトラインを紹介するというのも、面白いかもしれませんね。ただ、これは大学の紀要や雑誌論文のようなものあたらないと難しいかもしれませんが。これは私も、時間見つけて見ておきます。--ケンチン 2004年12月10日 (金) 12:21 (UTC)
eine Ethik...
--ケンチン
2004年12月15日 (水) 12:27 (UTC)[返信]ありがとうございます(何を)。そうですね、いまの構成ですと「カントとドイツ観念論」と「交流」の間に「ドイツ観念論の中心概念」あるいは「用語解説」とでも題する一節をおくのはどうでしょう。以下強引にふたつにわけてみます。全部いれるのはたぶん読者に負担を強い不適切なので、5,6個に絞るのがよいかと。絶対者、神、意識/自我、意思、法、定立(setzen)
あったほうがいいもの
自然、芸術、信仰、国家、理念、概念、知的直観、弁証法
用語解説としてほしいもの
即自/対自、超越論的、自己意識、思弁、判断、仮象
……わけかたはかなり恣意的ですし、説明のしかたによってはかぶるものもあると思います。5,6個を取り上げるくらいがちょうどいいのかな、とも思います。みなさまのご意見をお伺いしたいです。--[[利用者:Aphaia|Aphaea*]] 2004年12月15日 (水) 23:59 (UTC)
[返信]
概要の「一方、カントにおいても物自体は実践理性の要請であって哲学体系の中におかれており、哲学の主要な主題であること、さらにはドイツ観念論の主要な論者はカントから出発して自己の体系を構築したことを重視し、ドイツ観念論の初めにカント(のコペルニクス的転回以降)をおく論者もいる。これに対してドイツ古典主義哲学は、カントとドイツ観念論の連続性を重視し、カントを含む呼称である。