ノート:カール・グスタフ・ユング
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「破門」の記述について

破門云々は必要ですか?--Gogo 08:26 2003年10月16日 (UTC)必要ないと思います。--こいつぅ 08:23 2004年1月19日 (UTC)
「グレートマザー理論」への疑問と「布置」に関する記述をコメントアウト

「グレートマザー理論」など、どこにあるのですか? エリッヒ・ノイマンには、『グレート・マザー』という著作があり、確かにこれは、グレートマザーの現象論とも言えますが、ユング自身には、そういう特殊な呼び方をされる理論はないはずです。また「布置」について、信憑性のないことが書かれているので、コメントアウトしました。心理療法の臨床/理論概念として、「布置」は提唱されているので、シンクロニシティ概念などを通じての超常現象との連関は二次的なものです。--Maris stella 2005年5月23日 (月) 13:22 (UTC)[返信]
本項の記述について

この項目の記載は、何を述べているのかよく分からないのであり、訂正するにせよ、加筆するにせよ、書き直すにせよ、何のことか分からないので困るのである。望ましいのは、一旦、全文を削除するか、コメントアウトすることであるが、それはいささか過激であるので、実行できないが、この項目説明を読んで、誤解する人などが出てくることを考えれば、それも必要かも知れない。例えば:
欧米ではユングの考えはニューエイジ運動の一因となり、日本では河合隼雄らによって導入されたが、河合はむしろJ.ヒルマンらによる「元型心理学」の立場に近いとされている。

このようの記されているが、これは何のことなのか。「ニューエイジ運動の一因となり」とはどういうことか。また、河合隼雄は分析心理学を日本に紹介・導入したのであり、必然的にユングを紹介したことになるが、河合もヒルマンも、ユンギアンであり、ユング派心理療法家である。彼らはユングの後継者であり、当然、ユングとは違う考えを持ち、別の理論を立てることもあるが、ユングの理論の延長としてあるのであり、もしそうでないのなら、彼らは、「ユングの分析心理学に影響を受けた心理学者」等々となるであるであろう。あるいは「ネオユンギアン」というような位置付けになるかも知れない。また、そもそも「元型心理学」とは何か? ……ユングについての客観的な記載がまずあり、それに加えるに、ユングの思想の後継者を記したり、ユングに対する批判などを記すのが順序である。--
Maris stella 2005年5月25日 (水) 12:47 (UTC)[返信]


なるほど、「元型心理学」というものはありますね(無知でした)。ジェイムズ・ヒルマンが提唱して、エリッヒ・ノイマンなどを批判しているようですが、それは、ヒルマンの項目を立てて記すべきことでしょう。また、上でも述べているように、この項目は「カール・グスタフ・ユング」であって、ユングについて、満足な解説も書かないで、ユングは時代遅れだとか、西欧ではもはや流行していないとか、無意味でしょう。(とまれ、ヒルマンについて、新しいというか、そういう話があったのかという認識ができました。わたし自身がアナクロニズムでした)。--Maris stella 2005年5月26日 (木) 02:01 (UTC)[返信]

スタイルについて

日本語文献・書名などは、『 』で囲み、英文等の署名等は、「弱い強調」つまり、''Book of Jung''などで囲むというのは、Wikipedia:スタイルマニュアルに記されているスタイルの「推奨」で、「多くの利用者の賛同を得ている」とは言え(ただし、わたしはこの書名の弱い強調は賛同していません)、強制のルールではありません。英語版とか、その他、ラテン文字を使う外国語版において、「弱い強調」つまり実質的な「イタリック体」はそれほど不自然に思えません。

しかし、日本語版では、イタリック体にすると、綴りが見づらくなる、元々小さなローマ字が更に小さくなって見づらく、また垂直線が斜線になるため、綺麗なラインが得られないと言う問題があります。そのため、英文等のラテン文字での書名などの場合も、日本語の署名同様に、『 』で囲むというような方法で、イタリック体の使用を避けています。「スタイルマニュアル」は「推奨」ですが、英文等の書名の表現の場合は、「弱い強調にする人もいるが、そうでない人もいる」程度の「推奨」にするのが望ましいです。いずれにしても、推奨であって、理由があって、イタリック体から、普通の字体に変えているものを、あたかも、絶対に守らねばならないルールのような主張で書き換えるというのは、問題です。--Maris stella 2006年6月15日 (木) 09:46 (UTC)[返信]
反ユダヤ主義やナチスの勃興に対する姿勢

英語版から翻案した反ユダヤ主義との関わり・ナチスへの協力についての記述が内容がそっくり消されていましたので、(両論併記の)記述を復活の上で事実確認についてコメントを広く求めます。 --杉山真大 2007年2月22日 (木) 08:47 (UTC)[返信]ユングとナチスの関係については長年にわたってユングの秘書を務めたユダヤ人ヤッフェの証言が残されています。私は未見ですが、「ユングはナチスの熱心な支持者であった。」というのは違うようです。ただし、後述するようにヤッフェは「ナチスへの対応に甘いところがあった」とは批判しています。「アドルフ・ヒトラー『我が闘争』を支持する内容のパンフレットの編集に携わっているし、」というのは、出典が必要でしょう。少なくとも私は、この話を知りません。「ナチスが設立した国際精神療法学会の会長を務めている。」というのは、事実誤認。国際精神療法学会をナチスが設立した事実は無い筈です。事実関係からいうと、ナチスが政権を取った1933年、ヒトラーに反対したクレッチマーが国際精神療法学会の会長を辞任し、その後任にユングが就いたのです。これをもって、ユングはナチスに加担してクレッチマーを追い落としたかのように言われたようですが、後にユングは精神療法という学問分野を守りたかったので非ユダヤ人である自分が会長職を引き受けたと弁解しています。ユングはナチスからの影響を逃れるために国際精神療法学会の本部をスイスのチューリッヒに移しますし、ドイツ国内で身分を剥奪されたユダヤ人医師を国際学会で受け入れていますし、機関紙にユダヤ人学者の論文が掲載されるように図っていますので、「ナチスの熱烈な支持者」というのは当たらないでしょう。しかし、ナチスが国際精神療法学会に干渉してナチスへの忠誠を誓うマニュフェストが学会誌に載ったために会長のユングは激しく非難されています。ヤッフェの言う。対応の甘さはこのあたりを指しているのでしょう。そしておそらくは、これが「ユングのナチス協力」の元ネタと思われます。ユングはこの非難に対しては即座に反論していて、その文書も残っています。上記の話は河井隼雄『ユングの生涯』にまとめられていました。ユングの弟子のリッククンは息子をナチス占領下のウィーンに潜入させ、フロイトの亡命の手助けをしようとしたことがあるのですが、フロイトは「私は敵の恩義にあずかることはできない」と断ったという話があります。自分から離れて別の学派を立てたユング達はフロイトにとって「敵」でした。ユダヤ人サークルから始まった精神分析学にとって、非ユダヤ人で大学教授のユングが加わったことはフロイトにとって大歓迎だったのですが、ユングが独立するに及んでそれが憎悪に転じたのはよく言われていることです。ユングがナチス協力者として非難される背景には、そうした事情があると言われています。--おーた 2007年3月19日 (月--) 14:57 (UTC)本文を書き直してみました。--おーた 2007年3月25日 (日) 14:32 (UTC)[返信]
POVテンプレート除去?議論終結_2007年4月

編集が行われてから、4週間近くが経過しましたが、特に反論もないので、「POV」テンプレートは除去しました。この問題はとりあえず、終了したとします。なお、反対意見として紹介されていたウェブ・サイト ⇒「心のノート ガラガラポン」 については、内容を確認しましたが、逆に偏見と歪曲の多い、人を惑わす文章であるので、リンクは外しました。両論併記の原則という場合には、ユングがナチズムに必ずしも協力していた訳ではないという主張の書籍と、ナチズムに協力していたとする書籍の二種類のものを挙げることとしてください。現在、ユングがナチズムに協力したかどうか「論争がある」という記述は記されており、中立性はこれによって確保されているとも考えます(少しユングに肯定的な記述ですが、そういう疑惑や論争があるという記述にはなっています)。

「心のノート」とかのウェブサイトは、何を論じたいのか、主張したいのか焦点が非常に曖昧であり、一冊の書物を典拠に、ユングはナチズムに協力していたと述べています。ケストラーの逸話についても、その本より引用しており、それとは異なる立場の書籍の主張を紹介しておらず、これでは客観的な批判とは言えません。レギーネ・ロコット『想起と検討-ナチズムにおける精神分析と精神治療の歴史について』(1985, 2002)を(及び、その翻訳または部分訳等を……あるならば)批判文献として、記事に記載するのは構わないと思いますが、同時に、ユングのナチズムとの関係を反論する書籍も記載する必要があるでしょう。

なお、河合隼雄氏の「ユング心理学」とかは、分析心理学というより「河合隼雄心理学」であり、河合の『ユング心理学入門』はわたしも読んでいますが、「分析心理学」の記事では、参考文献・参考書籍に入れることを拒否しています。わたしの偏りではなく、ユングの理論は、ユング自身が著書でどう書いているかが第一であり、またアニエラ・ヤッフェのような、ユングの理論を忠実に理解している人の書籍が参考文献となるものだからです。(例えば、河合氏は、「日本人の自我は、西欧人に較べ、より無意識に近く女性的である」などと、最初の著書からして主張しているのですが、これでは分析心理学になりません。「ユング心理学の日本での第一人者」などというのは出鱈目なのですが、わたしが、そう云っても、世のなかでそういう「肩書き」が河合氏に冠せられているのは事実で、違うというと「独自の研究」等になります)。--Maris stella 2007年4月22日 (日) 14:35 (UTC)[返信]上記の「日本人の自我は、西欧人に較べ、より無意識に近く女性的である」(※1)という河合氏お見解に関してですが、分析心理学においては、「観念」等としてあらわれる男性的心性「アニムス」、「気分」等としてあらわれる女性的心性「アニマ」という考えがあったのは御存じでしょう。さて、これに従って河合氏の意見を便宜的に(※2)、「日本人の『理性』は、西欧人に比べ、『前面に出てこず』、『気分というものの方を重んじる』」と置き換えるとします。すると、古典的な日本人論で概して言われる次のような見解と、類似点がみられます。「西欧人は議論を好み、感情よりは理性を重視するが、日本人は議論よりは和を好み、論理よりは感情を重視する」。現代でも「フンイキ」「場の空気」を読むことを重要視する日本人は多くみられるでしょう。(※1河合隼雄氏は日本文化を「母性原理」という語で説明することが多かったと私は記憶しています。『家族関係を考える』『母性社会日本の病理』等。能力に応じた扱いを公平とする西欧の「父性原理」に対して、能力差に着目しない平等を強調する日本の風潮を表現する際等に、使われていました。※2「便宜的に」と書いたのは、ユングの「自我」では、「知的機能」の他に「感情」等も含まれているからです。)--意見の試み 2008年4月4日 (金) 05:41 (UTC) --以上の署名のないコメントは、Enefproe(会話投稿記録)さんが 2008-04-04 05:41:43 (UTC) に投稿したものです。
ユングとナチスについて編集報告_2008年4月

本文をさらに書き直させていただきました。(削除いたしました部分、「更に、ユダヤ人のフロイトやアドラーを批判したユングをナチスは利用した。」に関しては、ナチスが精神分析に関する内容をあまり把握していなかったというアンナ・フロイトの証言から、精神分析派内の対立といった内部事情にナチスが通じていなかったと思われたために、こちらへ移しました。


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