ノート:阪神教育事件
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中立性について(更に加筆を)

事件の背景(民族学校がなぜ閉鎖されねばならなかったか)などが項目に加えられないと、単なる騒乱・暴動事件としか読むことが出来ません。加筆が必要だと考えます。

中立性テンプレは張りませんが、記事に関する他の名称を付記しました。--MKT (Talk) 2008年1月22日 (火) 05:38 (UTC)[返信]加筆が必要なのは同意します、元々偏った内容で立てられ捨てハンの荒らしが多く入っているようです。johncapistrano 2008年1月22日 (火) 05:48 (UTC)[返信]
日時を略さないようにしましょう

単に「午後3時」とか「4月25日」とかの表記ですと、「何年何月何日の午後3時なのか」「何年の4月25日」なのかが分かりにくいです。「何年何月何日何時」まで誤解のないように記述したほうがいいと思います。正確に記述することにこしたことはありません。記述する際も、大した手間はかからないはずです。--獅子の鬣 2008年7月24日 (木) 17:02 (UTC)[返信]
事件の呼称と支援者について

勝手に「在日韓国・朝鮮人日本共産党の間では「民族教育闘争」の側面を重視して阪神教育闘争とも呼ばれる」と書き換えられていますが、これには反例が挙げられます。つまり、在日韓国・朝鮮人または日本共産党以外の執筆者が「阪神教育闘争」と表記した検証可能な出典を1点でも挙げればいいわけですよね。で、1点を挙げて、反例を明示します。すでに、参考文献にも挙がっている宮崎学『不逞者』幻冬舎 幻冬舎アウトロー文庫、1999年、ISBN 4-87728-734-5です。この本のP.351には「阪神教育闘争」と明記されています。これで、議論は終了ですよね。なお、検証可能な出典が明示されている記述を、みんなの合意なく勝手に修正するのは止めてください。まずは、ノートでみんなに問題を提起してください。--獅子の鬣 2008年8月16日 (土) 11:20 (UTC)[返信]獅子の鬣様、はじめまして。貴方が反証として挙げられました宮崎学氏の著書についてですが、宮崎氏は元日本共産党員でありますので、共産党とは無関係な執筆者とは言えないと思います。もちろん現在の宮崎氏が共産党員でないことは認識していますが、共産党時代に使っていた用語をそのまま使用しても不思議ではないと思います。むしろ、この出来事を表現するのに「事件」よりも「闘争」を前面にだすことはWikipedia:中立的な観点から問題だと感じました。例えるならば、第二次世界大戦中の「独ソ戦」のことをソ連側の呼称の「大祖国戦争」を前面に出すようなものといえましょう。(当の独ソ戦には、「当時のソ連は国民を鼓舞するためにナポレオンに勝利した祖国戦争に擬えて大祖国戦争(Великая Отечественная Войнаヴィリーカヤ・アチェーチェストヴィェンナヤ・ヴァイナー)と呼称した。」と記載されています。)「在日韓国・朝鮮人日本共産党の間では「民族教育闘争」の側面を重視して阪神教育闘争とも呼ばれる」のほうが客観的だと思いますが如何でしょうか。(獅子の鬣様のご指摘も容れて「など」という表現を「日本共産党」と「の間」の中に挿入すれば、なお適切かと思います。)--あばさー 2008年8月16日 (土) 12:53 (UTC)[返信] ⇒検索結果でモノを言うのは気が退けますが、これが全部日本共産党員ということはあり得ない。伝聞で検証可能性は満たさないが、当時の支援者が全て日本共産党員だったなんてことはまず聞いたことがない。独ソ戦とは何の関係もない。johncapistrano 2008年8月16日 (土) 13:19 (UTC)[返信]利用者:あばさーさん、こんばんは。ちょっと、待ってください。まずは、「在日韓国・朝鮮人日本共産党の間では「民族教育闘争」の側面を重視して阪神教育闘争とも呼ばれる」とするところの、検証可能な出典を明示してください。Wikipedia:検証可能性では、記事に加筆する際には、検証可能な出典の明示が求められています。ややこしいとは思いますが、1つ1つきちんと確認していきましょう。もしかしたら、それは事件発生当時の話であって、現在では在日韓国・朝鮮人でなく、かつ日本共産党でない人でも、阪神教育闘争と呼ぶ人はいるのではありませんか?--獅子の鬣 2008年8月16日 (土) 17:11 (UTC)[返信]分かりました。出典調査のために2週間ほど、返事(出典の明示)を猶予させて下さい。2週間後に返事します。--あばさー 2008年8月17日 (日) 11:45 (UTC)[返信]いや、宮崎学氏の反例が挙がっているます。これをきちんと認知してください。私の主張を加味してください。宮崎学氏は在日韓国・朝鮮人ではありません。従って、在日韓国・朝鮮人でない人が「阪神教育闘争」という言葉を使っていることになります。よって、「在日韓国・朝鮮人の間では「民族教育闘争」の側面を重視して阪神教育闘争とも呼ばれる」という命題は誤りです。だって、在日韓国・朝鮮人でない人が「阪神教育闘争」という言葉を使っているのですから。そして、宮崎学氏はかつて、日本共産党だったが、現在は日本共産党員ではありません。つまり、かつて日本共産党であり、現在日本共産党員でない人が、「阪神教育闘争」という表現を自著の中で使っています。従って、「(現在)日本共産党の間では「民族教育闘争」の側面を重視して阪神教育闘争とも呼ばれる」という命題はすでに否定されました。なぜならば、今日本共産党でない人が「阪神教育闘争」という言葉を使っているのですから。要は、「かつて日本共産党でない人は阪神教育闘争をどう呼んでいるのか」という部分まで絞られているのです。私の論証したところまでを加味して、命題を変更した上で、改めて検証可能な出典の明示をお願いします。--獅子の鬣 2008年8月17日 (日) 13:32 (UTC)[返信]

大変長らくお待たせしました。各書籍の記述は以下の通りです。(順番は年代順)
法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑第24集 1952年版』時事通信社、1951年→「 朝鮮人学校事件 」

篠崎平治『在日朝鮮人運動』令文社、1955年→「 四・二四阪神教育事件 」

神戸市警察史編集委員会編『神戸市警察史』兵庫県警察、1956年→「第一次神戸事件 」

大阪市行政局編『大阪市警察誌』大阪市、1956年→「 朝鮮人学校の閉鎖をめぐる騒じょう事件 」

日本近代史研究会編『近代日本史』国文社、1968年→「 在日朝鮮人学校事件 」

大阪府警察史編集委員会『大阪府警察史 第3巻』大阪府警察、1973年→「 朝鮮人府庁乱入事件 」

布施柑治『布施辰治外伝 幸徳事件より松川事件まで』未来社、1974年→「 神戸朝鮮人学校事件 」

兵庫県警察史編纂委員会編『兵庫県警察史 昭和編』兵庫県警察、1975年→「 神戸朝鮮人学校事件 」

警察庁警察史編さん委員会編『戦後警察史』警察庁長官官房、1977年→「 神戸事件 」、「 大阪事件 」

尾崎治『公安条例制定秘史 戦後期大衆運動と占領軍政策』柘植書房、1978年→「 神戸朝鮮人学校事件 」、「 大阪朝鮮人騒擾事件 」

梶村秀樹『解放後の在日朝鮮人運動(第5回朝鮮史セミナー夏期特別講座 )』神戸学生青年センター、1980年→「 阪神教育闘争 」

神戸新聞創刊85周年記念兵庫県大百科事典刊行委員会編『兵庫県大百科事典』神戸新聞出版センター、1983年→「 神戸朝鮮人学校事件 」

瓜生敏雄『動乱と警察』慶応通信、1983年→「 神戸事件 」

戦後革命運動事典編集委員会編『戦後革命運動事典』新泉社、1985年→「 阪神教育事件 」

法政大学大原社会問題研究所編『社会・労働運動大年表 第3巻』労働旬報社、1986年→「 神戸朝鮮人学校事件 」

金慶海編『在日朝鮮人民族教育擁護闘争資料集』明石書店、1988年→「 四・二四阪神教育闘争 」

4.24を記録する会『4・24阪神教育闘争 民族教育を守った人々の記録』ブレーンセンター、1988年→「 4・24阪神教育闘争 」

朴慶植・張錠寿・梁永厚・姜在彦『体験で語る解放後の在日朝鮮人運動』神戸学生青年センター、1989年→「 阪神教育闘争 」

原田勝正『昭和世相史』小学館、1989年→「 神戸朝鮮人学校事件 」

姜在彦『日本による朝鮮支配の40年』朝日新聞社、1992年→「 阪神教育事件 」

梁永厚『戦後・大阪の朝鮮人運動』未来社、1994年→「 四・二四教育闘争 」

新修神戸市史編修委員会編『新修神戸市史 歴史編W』神戸市、1994年→「 神戸朝鮮人学校事件 」

鄭鴻永『歌劇の街のもうひとつの歴史 宝塚と朝鮮人』神戸学生青年センター、1997年→「 阪神教育闘争 」

金太基『戦後日本政治と在日朝鮮人問題』勁草書房、1997年→「 阪神教育運動 」

民族教育ネットワーク編『民族教育と共生社会 阪神教育闘争50周年集会の記録』東方出版、1999年→「 阪神教育闘争 」

姜徹『在日朝鮮韓国人史総合年表』雄山閣、2002年→「 神戸教育闘争事件 」、「 大阪教育闘争事件 」

多文化共生キーワード事典編集委員会編『多文化共生キーワード事典』明石書店、2004年→「 阪神教育事件(4.24阪神教育闘争) 」

金徳龍『朝鮮学校の戦後史』社会評論社、2004年→「四・二四阪神教育事件」

歴史教科書在日コリアンの歴史作成委員会編『歴史教科書 在日コリアンの歴史』明石書店、2006年→「 阪神教育闘争 」

金賢『現在がわかる!在日コリアン』九天社、2006年→「 阪神教育闘争 」

文京洙『在日朝鮮人問題の起源』クレイン、2007年→「 阪神教育闘争 」

これを見ると「阪神教育闘争」の用語を使うのは、当事者である在日朝鮮人にほぼ限定されることが明らかですね(20のように在日朝鮮人でも使わない人もいますし、7や14のように本文の記述そのものは在日朝鮮人の側に立った記述でも「阪神教育事件」と書いている人もいます)。

ウィキペディアではWikipedia:中立的な観点(すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない)が大前提であり、執筆者はあくまでも中立的立場で記述しなくてはなりません。--あばさー 2008年8月31日 (日) 13:00 (UTC) [返信]◆大変申し訳ありませんが、『「阪神教育闘争とも呼ばれる」という表現を変えなければいけない』とする論証がされていません。利用者:あばさーさんの証明したことは、結局、「阪神教育事件は阪神教育闘争とも呼ばれる」ということを立証しているだけだと思います。それに、宮崎学氏の反例が崩されていません。宮崎学氏は現在共産党員ではありません。現在共産党員でない人が「阪神教育闘争」という言葉を使っています。また、宮崎学氏は在日韓国人・朝鮮人ではありません。


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