この記事は2009年4月3日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。
写真をみると銀座4丁目にある三愛ビルだけですが、著作権は大丈夫なんでしょうか。三愛ビルのみで企業の宣伝部分だけがきれいに写っていて、これで銀座とは言い難いのではないかとは思いますが。220.144.131.148
三愛ビルの写真について
また、夜景のみで昼間に同じ写真を写すとイメージがだいぶ違うかと思うのですが、如何でしょうか。また、携帯電話の写真の様ですので、こう見えたのかもしれませんが、歩行者天国をまだ実施していたと思うので「銀座4丁目」など交差点名の入った写真や他の物(向かいのビル)等を入れるべきではないかと思うのですが?220.144.143.135
01:20 2003年12月1日 (UTC)この写真はフランス語版から持ってきているようです。歩行者天国の写真があったりするとイメージがよいかもしれませんね。個人的には和光(服部時計店)の時計台が思い浮かんだり。(あちらの人には、三愛ビルが印象的なのかな?) Baffclan 09:31 2003年12月1日 (UTC)そうですか。でも、そうであっても、ちょっと著作権的には問題があるのでは?220.144.131.93 15:28 2003年12月1日 (UTC)100%疑問を脱ぎい去ることはできませんが、フランス語版に登録した人は著作権上問題ないと判断しているはずです。自ら撮ったのか、どこからか持ってきたかは直接確認するしかありません。フランス語版から持ってくること自体にはなんら問題はないでしょう。そうではなくて「何でフランス語版から持って来なければならないの?」ということが悲しいかったりしませんか? Baffclan 22:49 2003年12月1日 (UTC)Baffclanさんの小文字の通りでもあります。但し、8分程度ですが。後は、アングルですね。写真を撮ってもアップできないので。220.144.139.43 15:28 2003年12月2日 (UTC)たくさん同じ建物がならぶと○○銀座と言われますが(例:アンテナ銀座?手稲山、原発銀座?福島原子力発電所)何が銀座に建ち並んでいて○○銀座と形容されるようになったのかという経緯も転載して欲しいです。 まず、本文内にコメントアウトで書いてあった文を貼っておきます。 手元の本(安藤更生「銀座細見」1931)で見たところ、大正4-5年頃、慶応の学生が三田から銀座までぶらついており、学生達の中から銀ブラの言葉が生まれた旨の記述がありました。当の(慶応出身)久保田万太郎がそう言っているとすれば、そうなのかもしれませんが、実は後付けの洒落なのかもしれません。結局のところ、確定はできないはず。しかも、安藤でさえ「銀座でブラジルコーヒー」=銀ブラとは思っていなかった訳で、「銀ブラ」という言葉を当時使った人のほとんどはそのように考えていなかったはず。パウリスタがどのように主張しようと自由かもしれません。ただし、何をもって、偉そうに「誤解だ」と断言できるのでしょうか? --忠太 2009年1月20日 (火) 17:10 (UTC)
銀ブラの語源「銀座でブラジル珈琲」説について
この記事興味深いです。出典提示を是非御願いします(挙げられた文豪の随筆などでも)。
断定ちっくに書くつもりはなく(といわれる、と書くつもりでしたが)忘れてそのままUPしてしまいました…。ただ、それは久保田万太郎が書いた書物にあるそうですよ。私は確認していませんがパウリスタに置いているパンフにもそのことが書いてあるとか。もっともこの言葉を広めたのは慶應の学生だとされているそうで、たしかトリビアの泉でも取り上げてそう言われていたかと記憶します。だから本当に正しいのかどうかは分かりませんが…。検索してみると以下のページがヒットしました。2003年12月27日の項をご参考下さい。 ⇒[1] (→ここまで)
「なお誤解されがちであるが、「銀ブラ」の元々の意味は「銀座をブラつくこと」ではなく、『銀座でカフェーパウリスタ(銀座八丁目に現存)のコーヒー「ブラジル」を飲むこと』の略である」とあった記述を修正しました。
上記記述への注釈に挙げられた長谷川泰三氏の『日本で最初の喫茶店「ブラジル移民の父」がはじめた?カフェーパウリスタ物語』を拝見しましたが、さすがにこの書でも「銀ブラの語源は銀座でブラジル珈琲!?」と疑問符付きであり、断定はしておりません。また、久保田万太郎、佐藤春夫、小島政二郎らが、慶応の学生時代に三田からパウリスタまでぶらぶら歩いた話(こちらも参照 ⇒[2])を書き残していますが、彼等の誰一人として「銀座でブラジル珈琲」が正解であるなどとは書いていません。従って、「銀座でブラジル珈琲」説には典拠がなく、後付けの理由と考えます。
(amazonの『カフェーパウリスタ物語』のレビューにも同様の感想がありました) --忠太(会話) 2013年10月6日 (日) 14:07 (UTC)[返信]『カフェーパウリスタ物語』に根拠として挙げられていた文章を可能な限り検証しましたが、ブラジル珈琲を飲むことが銀ブラの語源であるといえる記述は平成以前の資料では見つかりません。佐藤春夫らが大学から銀座までぶらつくのを日常的にたのしんでいたこととプランタンに比べて安価なパウリスタをひいきにしていたことは確認できましたが、それを「銀ブラ」と呼んだ箇所は見当たりませんし、久保田万太郎にいたっては、『カフェーパウリスタ物語』ですらどこに何と書いていたか具体的に示していません。異説の流布を憂えて著された『「銀ブラ」の語源を正すーカフエーパウリスタと「銀ブラ」』は『カフエーパウリスタ物語』に挙げられていた「根拠」を具体的に検証した上で、「銀座でブラジル珈琲説」は「語源といえる実態を備えていない、平成の造語」(148ページ)と論じ、これを鵜呑みにするマスコミの姿勢と不勉強を糾弾しています。銀ぶらという項目もできたことですし(2014-07-09初版)、銀座で珈琲店の宣伝にすぎない「銀ブラ証明書」に言及する必要はないのでは、と考えます。--miya(会話) 2014年8月15日 (金) 08:50 (UTC)[返信]そんな本まであったとは。確かにいったん広まると訂正するのは大変ですね。 --忠太(会話) 2014年8月16日 (土) 13:28 (UTC)[返信]私がコーヒー語源説を知ったのは『三省堂国語辞典』編集委員さんのTwitter発言がきっかけでした。半信半疑で『カフエーパウリスタ物語』に挙げられていた文献を片端から検証して見たら、まあ・・・見事に「コーヒーが語源なんて、そんなことどこにも書いてない!!!」というケースばかり。久保田万太郎については、そもそもどこに書いてあるのか示されていないので探しようがないという。