出典検索?:?"聖母マリア"
???ニュース?・ 書籍?・ スカラー?・ CiNii?・ J-STAGE?・ NDL?・ ジャパンサーチ?・ dlib.jp?・ ウィキペディア図書館ノート:イエスの母マリアへのリダイレクションになっていたので白紙化しました。Aphaea 13:36 2004年3月25日 (UTC) 「聖母マリア」と同じような「イエスの母マリア」という項目があります。初めに2,003年11月3日に「イエスの母マリア」という項目が立てられ、そこへ「聖母マリア」が「イエスの母マリア」へのリダイレクトとしてたてられてました。さらに2004年2月21日に「アンチクリスト」氏が「こちらが本家だろう」と「聖母マリア」へのリダイレクトを解消して記事の書き込みを行いました。 ちなみに他言語版との対応関係を見ると、たとえば日本語版と英語版でみれば「聖母マリア」「イエスの母マリア」がともに「Mary, the mother of Jesus」へリンクしています。一方「Mary, the mother of Jesus」は「イエスの母マリア」へのリンクしていて「聖母マリア」はいわば宙ぶらりんの状態になっています。 先に述べたような経緯でたてられたこれらの項目ですが、現在の状態では二つに分けている意義がよくわかりません。ひょっとすると「信仰の対象としてマリア」と「歴史的なマリア」を区別しているということなのかもしれませんが、他言語ではそのような分離がおこなわれていない上に、普通に考えれば「歴史的なマリア」なるものをはたしてどれだけ書けるのかという疑問も浮かんでくるため、必要性を感じません。 二本の記事が立った経緯をよく理解したうえで、一つをリダイレクトにして、どちらかへ一本化するのがよいと思いますがいかがでしょうか。Gakuinryou 2006年3月7日 (火) 12:11 (UTC) 通りすがりのものですが……「聖母マリア」ははっきりキリスト教の見地に立った表現ではないかと思います。「イエスの母マリア」だと、歴史的マリアについても、イスラム教の見地についても、中立的に述べられる気がします。「聖母マリア」の項目はキリスト教関連の記載に留め、他の内容は「イエスの母マリア」に移すのが良いかもしれないですね? 同じく通りすがりのものですが、「神の母マリア」「聖母マリア」「イエスの母マリア」とごちゃごちゃになっている気がします。僕みたいに無宗派だと、非常におかしく見えます。ウィキペディアは百科事典なので個人の宗教的信条はおさえるべき場だと考えます。広辞苑モバイル版で「マリア」をひくと@にてイエスの母と紹介され、「童貞マリア」「聖母マリア」と紹介されています。マリアに関しては「聖母マリア」で統一するのが良いと思います。 今日初めてマリアの項を読みました。記事の内容として、歴史的人物としての「イエスの母マリア」と、キリスト教の人物としての「聖母マリア」「神の母」という印象を受けました。だからあえて分かれているのかと思ったのですが、そういう訳ではなかったのですね…。敢えて分けているという意図があるならそのままでも良いと思うですが、各項の最初に「?におけるマリアについて記載」といった文章が出た方が分かりやすいでしょう。2つ前の通りすがり氏のおっしゃっている通り、「聖母マリア」等ではキリスト教に限定されてしまいます。聖書がユダヤ教・イスラム教においても重要な教典(に近いもの)であることを考えると、もしも統合するならば「イエスの母マリア」にすべきだと思います。桜の国 2007年3月27日 (火) 21:00 (UTC)
このノートページの白紙化について
項目の整理についての提案
転記分で無性生殖をする種があることは知られているが、哺乳類では知られていない。また、ヒトの男性の性染色体はxとyからなる。ヒトの女性にはy染色体は無いので、女性が無性生殖できたとしても、男性は産まれない。聖書が事実を正しく伝えているとするならば、二重の奇跡と言わざるをえない。奇跡ではない処女懐胎の例としては風呂で精子が膣に入ってと推定される例がある。
プロテスタントの方や奇跡に懐疑的な方を中心に、こうした議論をされる方がいるのは承知していますが、概説部に書くことではないと考えますので、いったん退避します。伝統的な教理では生物学的な可能性うんぬんというのは関係ありませんので。適切なセクショニングをされた上で加筆をお願いします。--Aphaia 2007年5月16日 (水) 08:20 (UTC)[返信] 本文で「現代科学またはキリスト教リベラル主義の間では処女懐胎が否定され」とありますが、寡聞にして「キリスト教リベラル派」という存在を知りません。どのような根拠があるのでしょうか。--Deepimpact 2007年8月14日 (火) 11:54 (UTC) 一昨日、初めてこの項目を編集した者です(2009年10月21日(水)09:32(UTC))。項目の順番を、「正教会における生神女マリヤ」より「カトリック教会における聖母マリア」を先にもってきて、翌日差し戻されましたが、大胆な変更をしたと自分でも思っていたので仕方ないとは思いましたが(それ以外の追加・編集した部分は残していただいたので、それはありがたいと感謝しております)、項目順について素朴に疑問に思ったので、提議したいと思い、投稿しました。 これらの理由から、項目の順番としては「カトリック教会における聖母マリア」を先にもってくる方が、読む人にとっても自然な流れではないのか?と感じたのですが、いかがなもんでしょうか。--A Filando
キリスト教リベラル派
項目の順番について
項目冒頭の注意書きで「この項目では、キリスト教の伝統(特にカトリックと正教会)におけるマリアについて説明しています。」と書かれている
項目の最初の部分にも「聖母マリア(せいぼマリア)は、カトリック教会用語でイエス・キリスト(ナザレのイエス)の母。・・・」とあり、その後に「正教会の一員である日本ハリストス正教会では生神女マリヤ(しょうしんじょマリヤ)の表現が多用される。」と言及している
そして、日本ハリストス正教会では「生神女マリヤ」という表現が多用され、「聖母マリア」という言葉自体を、あまり用いない
コメント
差し戻させていただいた者です。私も躊躇しましたほどの大幅な差し戻しに、A Filandoさんの冷静な反論に感謝申し上げます。
さて、実は私も非常に迷っておりました。
ただ、私が項目を「正教・カトリック教会・聖公会・プロテスタント」とするのにも理由はありまして、「東方教会(正教会・東方諸教会)・西方教会(カトリック教会・聖公会・プロテスタント)」の順序、もしくは「西方教会(カトリック教会・聖公会・プロテスタント)・東方教会(正教会・東方諸教会)」という順序のように、「東西教会」の枠組みを反映させた記述順を採る事に、それなりの合理性を見出しているという事情があります。
しかし今回の場合、「西方教会(カトリック教会・聖公会・プロテスタント)・東方教会(正教会・東方諸教会)」の順序にしてしまいますと、聖母崇敬を殆ど行っていない教派(プロテスタント)が、東方教会の手前に来るという不合理を免れない状況となります。かと言って、「東方教会(正教会・東方諸教会)・西方教会(カトリック教会・聖公会・プロテスタント)」の順序ですと、「聖母マリア」(Holy Mother)の用語を殆ど用いない正教会がトップに来るという不合理があります。これは、全くA Filandoさんご指摘の通りです。
普段私が重視しております東西教会の枠組み整理法では、今回はどちらも不合理を免れないという事なのでしょう。ただし、聖公会にも「聖母マリア教会」がありますため ⇒[1]、「カトリック教会・正教会・聖公会・プロテスタント」の順序のような、聖公会を後の方に持ってくる方法も、不合理さ・および聖公会に対する不公平感が出て来ます。
以上を踏まえまして、カトリック教会POVを避け、合理性を確保するための折衷案を考えておりましたので、ご提案申し上げます。
項目は「西方教会(カトリック教会・聖公会・プロテスタント)・東方教会(正教会・東方諸教会)」の順序とする。 - なぜこのようなプロテスタントが正教会の手前になるという順序になっているかを分りやすくするために、節名には必ず「西方教会」「東方教会」を盛り込む必要があります(具体的には以下のような節構成)。
西方教会
カトリック教会
聖公会
プロテスタント
東方教会
正教会
東方諸教会
西方教会POVを避けるため、現状では「ラファエロ画・大公の聖母」「ウラジーミルの生神女」となっているトップの画像掲載順を、「ウラジーミルの生神女」「ラファエロ画・大公の聖母」の順序に入れ替える。
以上の折衷案、いかがでしょうか。--Kinno Angel 2009年10月24日 (土) 02:50 (UTC)[返信]私の思いつきのような拙い提案に対し、すばやく丁寧にコメントをくださり、Kinno Angelさんに感謝申し上げます。
コメントを読んで始めて気づいたのですが、「東方教会・西方教会」という枠組みについては、恥ずかしながら全く考えが至っておりませんでした。Kinno Angelさんの説明には説得力があり、納得するものでした。折衷案については、私個人としては異論はありません(まあ、私に何の決定権があるわけでもありませんが・・・)。あえて付け加えるなら、項目の冒頭部分か節「全教派に共通する概説」の中に、
『なお、この項目では「西方教会(カトリック・聖公会・プロテスタント)」、「東方教会(正教会・東方諸教会)」の順に説明するが、聖母マリアについての教義、崇敬には西方教会・東方教会それぞれ教派ごとに違いがあり、聖公会とプロテスタントでは崇敬の対象にはなっていない。