ノート:第二次世界大戦/過去ログ3
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終戦年について

終戦が1945年とありますが、トルコが書類上の手違いから2003年まで隣国に対して条約上戦闘状態にあり、その事に気がついて改めて停戦条約の調印を行ったと何かのニュースで聞いたのですが。仮にこのことが事実だとしたら、どの様な表記が良いでしょうか。--124.24.205.7 2007年7月12日 (木) 09:53 (UTC)事実だとして、「2003年まで継続していた」と書くのは馬鹿げていませんか。トリビアの類としてなら加筆することはできそうですが、「何かのニュース」が何なのか判明するまではお控えください。--MKT (Talk) 2008年1月29日 (火) 09:37 (UTC)
建艦競争について

たしかに建艦競争は日米で感情的な対立のもとになったが、現実問題として大和の完成と真珠湾攻撃とは関係ないし、ナチスドイツでは1945年までは対英戦争の予定はなく、ベルサイユ体制やその終焉後には、ドイツ海軍とイギリス海軍では問題にならない戦力であり、これら建艦競争と第二次大戦とそれほどの関係はなく、むしろ戦力の差は抑止力として小さいながら作用していた。現に開戦前の建艦計画は日米英独で戦争中にほとんど破棄されている。今出川 2007年10月24日 (水) 04:45 (UTC)建艦競争は日米の緊張を高め、最終的には開戦時期を決定する大きな要因となっています。帝国海軍内で「ジリ貧よりドカ貧」をはじめ、「やるなら今しかない」というムードが醸成されていったのはまぎれもない事実です。第二次大戦と関係ないどころか開戦時期は建艦競争によって決定された、と言ってもそう過言ではありませんよ。より大きな禁輸問題がありますから開戦・避戦の選択はまた別の問題ですが。一方で欧州では確かに決定的な要因にはなっていません。こちらの建艦競争は海軍の戦争貢献度が相対的に低いためもあって戦力バランス構築・維持上の問題以上のものではありません。数年後ならもっと大きな要因になっていたでしょうが。最後に開戦前の建艦計画が戦争中に破棄されたからといってなんなのでしょう? そんなのは当たり前です。意味のない提議に過ぎません。--210.153.232.70 2007年10月24日 (水) 04:56 (UTC)一方で欧州では確かに決定的な要因にはなっていません

だから違うと書いてます。この上なにか?意味のない議論です。で、戦力バランス構築・維持上の問題以上の意味がない?お笑いです。アメリカが参戦しない、イギリスも参戦しないとの見込みがヒトラーにあったからです。

日米戦ですが、「ジリ貧よりドカ貧」をはじめ、「やるなら今しかない」だれがいってるんですか?山本ですか?軍令部ですか?海軍は政治的には中立をたもっています。では、陸軍がいったのですか?一部将校らの雰囲気で戦争はできません。そもそも海軍とはなんですか?単に輸送の確保でしかありません。まともな話を思いついたらまた書いてください。今出川 2007年11月21日 (水) 18:41 (UTC)米内が逆説的に証明していますよ? 海軍部内のそういう雰囲気を戒める発言を残してますから探してみれば? そういう発言をしたということは、つまりそういう雰囲気・論調が無視できないレベルで海軍内に広がっていたことを証明するものです。同様の発言は山本も残してます。海軍は政治的に中立を保っていた「のではなく」、山本や米内が中立を保とうと必死に努力したおかげで、あからさまに表面には出てこなかっただけなのです。--210.153.239.189 2007年11月26日 (月) 02:47 (UTC)この項目は日本の開戦理由にしかならないことは分かっていましたが、項目に加えました。ワシントン・ロンドン条約は海軍から考えて戦争を止めるための最後の防波堤でした。日本が建てた八八艦隊計画に対抗する合衆国の計画を見れば、日本は太刀打ちできない建造力を合衆国が持ちうることは想像すれば誰もが可能であり、無条約時期が長引くほど日本は戦争する前から負ける状態になることは必定でした。日本が「決戦主義」に陥ったのもアメリカの圧倒的な建造能力の前に、個別の海戦を続けてもジリ貧になるだけということは建造能力と人口比からも当然といえます。0null0 2007年12月4日 (火) 17:51 (UTC)
戦時下の暮らしの節について

戦時下の暮らしという節は、必要でしょうか、また、必要とされた上で書かれたのでしょうか。日本についてしか書かれてなく中途半端なのですが。--UMBRO 2007年11月10日 (土) 04:13 (UTC)

必要と思います。今出川 2007年11月21日 (水) 18:44 (UTC)

必要だと思います。現状では加筆が加えられる状況ですが、歴史とは民衆の視点を欠くことが多すぎます。これほど近い時代の大問題に対して、民衆の視点の記述を欠くのは問題があると考えます。0null0 2007年12月4日 (火) 17:53 (UTC)
全体的な構造について

; を用いた「節もどき」的な構造が多く見られたため、それらの大半を見出し(h4)で置き換え、節に分けました。(h5レベル以下の見出しは階層構造の見分けがつきにくいため、使用を避け従来の定義リスト形式のままにしてあります)

しかし、問題が2つあります。(もっとあるかも知れませんが)
見出しが非常に長くなる。
長いページの上位にランクインしている記事ですので、普通の感覚で節を作っていたら当然ながら、見出しの長さも途方もなく長いもの(私の環境では高さ3000px程度)になってしまいます。(ちなみに以前の目次は高さ1500px程度) 対策としては以下のようなものが考えられます。

節構造を優先し、目次の長さには目を瞑る。

__NOTOC__ を用いて、見出しを非表示(表示不可)にする。

__TOC__ を用いて記事の最後の方に目次を置き、冒頭は目次へのリンクを置く。

__NOTOC__ を用いて通常の見出しを非表示にする。その上で、階層構造をh3までに限定する、横2列に並べる、あるいはDynamic Navigation Boxを使用するなど工夫した目次を作る。


国名を用いた見出しが複数あるため、節へのリンクが正しく作動しない。しかし見出しの名前として適切なものがあまり思いつきません。もっとも、節ではなかった以前の状態では節へのリンクが使えませんでしたので、「使えない」という意味では変わらないのですが。

上記の2点について、ご意見をお願い致します。
(追記)すみません、要約欄のリンク先が不完全で赤リンクになってしまいました。--氷鷺 2007年12月12日 (水) 11:02 (UTC)toclimitの指定が可能になったので、通常の自動生成目次に戻した上で toclimit-3 を指定しました。--氷鷺 2008年2月12日 (火) 07:29 (UTC)
分量が多すぎる

ちょっと分量が多すぎますね。思いっきり刈り込んでやらないと、見通しが悪くなっています。以前の査読でも指摘されているようですが、何が重要なのかが把握されていないのではないでしょうか。その辺のこと合意形成する必要があるように思います。--赤い飛行船 2008年2月13日 (水) 00:04 (UTC)
独自研究タグについて

中学教科書に載っている程度の常識的な記述しか見当たりませんが、具体的にどの項を指しているのかわからないので除去致します。

記事全体が独自研究かのような扱いを受けるので↓か或いは要出典タグを使う事を推奨します。--BlueSkyWhiteMoon 2008年2月2日 (土) 20:51 (UTC){{独自研究|section=1}}
分割提案

記事が長くなってきたので分割を提案します。第二次世界大戦の結果(ヤルタ体制)と各国の領土の変遷とでもどうでしょうか。--土佐の平 2008年2月16日 (土) 14:40 (UTC)

記事が長すぎて見通しも悪いし加筆もままならないという点には全く賛成するのですが、対症療法的な分割には賛成できません。私は、第二次世界大戦の各節を下記の方針のもとに子記事に分割してはどうかと考えています。
基本方針

記事「第二次世界大戦」には全体の誘導と各子記事の要約を記載する。大戦前の話は第二次世界大戦の背景に、大戦後の話は第二次世界大戦の影響に記載する。大戦中の話は第二次世界大戦ヨーロッパ戦線と太平洋戦争に分割して記載する。人物一覧のようなリスト的な部分もそれぞれ分割する。
全体構造


第二次世界大戦 - 全体の誘導と各子記事の要約

第二次世界大戦の背景

第二次世界大戦ヨーロッパ戦線

太平洋戦争

第二次世界大戦の影響

第二次世界大戦の参戦国

第二次世界大戦に関連する人物の一覧

第二次世界大戦に関する映画の一覧

第二次世界大戦の会談・会議


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