ノート:皇帝
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疑問がいっぱいあるのですが……。記事にあるのは定説なんですか?

「皇帝位は国際慣習上、三つの方法でしか獲得できない」

ローマ帝国の皇帝は慣習上、市民の承認が必要だったはず。

神聖ローマ帝国の皇帝は選帝候による選挙で選ばれたはず。

神聖ローマ帝国などでは皇帝位ローマ教皇が関与していたはず(インノケンティウス3世は教皇による皇帝承認権を主張していた)

ヨーロッパの皇帝位は「ローマ帝国」の継承者の意味合いがあるはず(例:ドイツ皇帝、オーストリア皇帝、ロシア皇帝)


「大日本帝国では独立した君主制国家を全て帝国、君主を皇帝と呼称した」

タイ王国、スペイン王国、イタリア王国、セルビア王国なども帝国と言っていたのでしょうか?

Michey.M 18:56 2003年10月31日 (UTC)

Michey.Mさんの二番目の疑問点ですが、例えば、不戦条約(昭和4年)の日本語の訳文には、しっかりと(前略)茲ニ条約ヲ締結スルコトニ決シ之ガ為左ノ如ク其ノ全権委員ヲ任命セリ(中略)白耳義国皇帝陛下外務大臣兼国務大臣「ポール、イーマンス」(中略)「グレート、ブリテン」「アイルランド」及「グレート、ブリテン」海外領土皇帝印度皇帝陛下(中略)伊太利皇帝陛下仏蘭西国駐剳伊太利国特命全権大使伯爵「ガエタノ、マンゾニ」日本国皇帝陛下枢密顧問官伯爵内田康哉(以下省略)

というように、書かれております。他の条約なども同じです。

1番目の疑問点は、実にMichey.Mさんのおっしゃるとおりです。記事中の「皇帝位は国際慣習上、三つの方法でしか獲得できない」にはかなり疑念があります。Auf 01:19 2003年11月1日 (UTC)私も疑問に思いました。「三つの方法でしか獲得できない」とありますが、ナポレオンは「国民投票」で皇帝になっています。また、「エチオピア帝国」はこの三つのどれに当てはまるのかちょっとよく分かりません。確かにイタリアと戦って勝っていますが。また大英帝国の説明にも矛盾を感じます。他の皇帝の承認を得られないので「皇帝」を名乗れずインド皇帝になった云々とありますが、「三つの方法」には「皇帝を名乗るに値する大国となる事」とあり、当時世界最強国家の一つであったイギリスが皇帝を名乗れなかった事と矛盾します。おそらく「皇帝を名乗るに値する大国となる事」というのは非ヨーロッパ圏の君主を「皇帝」とするか否かの基準であると思います。以上疑問に思ったことでした。U.S.S.Momotaro 04:16 2003年11月1日 (UTC)Aufさん、U.S.S.Momotaroさん、ご回答ありがとうございます。不戦条約の件お調べいただきありがとうございます。ちなみにエチオピアの皇帝は日本の天皇に近いものだったと認識しております。朝鮮併合前、李氏朝鮮は「大韓帝国」を名乗っていたはず。Michey.M
編集意図

編集競合したけどそのままで、以下編集意図。変な誤解を生まないために。U.S.S.Momotaro 13:02 2003年11月1日 (UTC)

大日本帝国→日本…大和朝廷から現在まで天皇はいる。明治・大正・昭和の期間だけ存在した大日本帝国は不適。

大韓帝国…日本やロシアの侵略に対向して、朝鮮が自主独立国であることを明確に示すために高宗が自ら改称したのであって日本の傀儡ではない。もし傀儡国家だったなら、独立回復後大韓民国なんて名乗らない。

ベトナム帝国…外国語版を調べたら阮朝南越国のことだと分かったので。そういえば阮福映は嘉隆帝と名乗っていた…。追加、阮朝南越国に限らず李朝以降のベトナムの王朝は皇帝を名乗ってましたね。U.S.S.Momotaro 13:35 2003年11月1日 (UTC)
編集意図朝鮮は歴史的に一貫して中国の朝貢国であったのだから王国。わずか3年間帝国を名乗ったからとて、代表的帝国のリストにあげることもないであろう. ⇒http://db.gakken.co.jp/jiten/ta/300370.htmベトナムは、(朝鮮もそうだが)帝国的な国であったのだろうか?(単に独立国を帝国と呼ぶ明治政府の方法をこのリストでもとるのならリスト入りしてもいいだろうが。)代表的帝国とはいえないはず。 ⇒http://www.kaze.gr.jp/fwvietnam/viethis/viethisdyn/viethisdyn.htm?

Qt5000 13:38 2003年11月1日 (UTC) Michey.Mさんと競合してしまった…。確かに「代表的帝国」とは言いがたいと思います。ただこの記事は帝国ではなく、皇帝ですし、「代表的帝国」ではなく「皇帝のいる(存在した)国」のリストですから入っていても構わないと思います。ですから今は入っていませんが、「メキシコ皇帝」なんかも入っていてもいいと思います。帝国の方に「代表的帝国」のリストが出来ればそちらにはこれらの国(皇帝)入れるべきではないのかもしれません。「皇帝の治める国」と「帝国」は完全なイコールではないと思いますし。U.S.S.Momotaro 14:03 2003年11月1日 (UTC)「帝国」の概念が幅広いため。意見の違いが出ているのでしょう。とりあえず、帝国の記事と一緒に充実させるほうがいいのかも。朝鮮、ベトナムについては中国の皇帝の概念と絡ませながら記述するのがよいかもしれません。Michey.M 13:51 2003年11月1日 (UTC)ベトナムは一応残しましたが疑問は一杯です。帝国的な要素はあるのでしょうか?日本の明治政府が帝国と名称したのは、諸藩(諸国)の統合した政府と意識したように。Qt5000 14:05 2003年11月1日 (UTC)

海外では日本の天皇をemperorと呼称しているわけだから、皇帝でいいと思いますが。--以上の署名の無いコメントは、Kairi(会話・投稿記録)さんによるものです。日本語が正式であるものを、わざわざ英語に訳してからもう一度日本語に訳しなおして皇帝と呼ぶ、という操作は、わざわざ不正確さを求めることです。何がemperorに配当されるのかは、英語版に書かれていれば良いことで、たとえば現在の英語版には「日本語では、「天皇」と帝国統治者としての「帝王」は厳密に区別されている。どちらもemperorと訳される。」「今日emperorはただ一人、日本のemperorしかいない。」とあります。Kinori 2004年11月24日 (水) 06:04 (UTC)[返信]プロトコル関連が現在の運用と違うのではないでしょうか。単純に元首と閣僚の間に格差があり、同格の間では任期によって序列が決定されるだけではないのですか?記事にあるような珍妙な序列が現在もあるという証拠や、文章があるのでしょうか。--以上の署名の無いコメントは、130.54.130.68(会話投稿記録)さんによるものです。ノート:天皇#外交儀礼における天皇の相対的地位の実例に関してとかで、色々と議論がされているようです。なので、私も以前そちらの記事を参照・・・というような形に直したのですが、いつのまにか消されてしまいました。--Honeplus 2006年12月20日 (水) 12:45 (UTC)[返信]

非常に重たいですが帝国を定義・記事にしないといけないでしょう。まずは。0null0 08:09 2003年11月1日 (UTC)
誤字

羸政の箇所は?政が正しいと思います。
「現代にあっては」?

「現代」という用語は20世紀初頭以降の時代区分指すテクニカル・タームです。少なくとも歴史関係のテキストにおいては、コンテキストに関わりなく、そのように解釈されます。従って「現代にあっては」という明確な指定よりも、「現在」という曖昧な表記の方が間違いが少く、ベターな書き方かと思います   コータ 2005年9月18日 (日) 06:54 (UTC)[返信]
質問です

このページに関連して。別のところで「Imperator ○○」のようなページを立てたいと思うのですが、どうカタカナに直したらよいかずっと迷っています。文字通りであれば「イムペラトル」となると思うのですが、普通は「インペラトル」としますよね。私はそうします。何か、「-mp-」のときには「-ンプ-」にする、みたいな規則があるでしょうか。Wiki内での表記・転写方法に関しては正統性のない「規則外」の表記は避けたいと思うのですが、この場合のみ「m」を「ン」にするのは規則外になってしまいます。本家本元の「インペラトル」は「定型扱い」でよいと思うのですが、それ以外の(定型のないマイナーな)ものに関してはそうはいきません。以前他のところで訊いたら誰も答えてくれなかったのですが、どなたかご意見伺いたく存じます。--ПРУСАКИН 2006年2月2日 (木) 06:10 (UTC)[返信]
ボカサ1世

中央アフリカ帝国ジャン=ベデル・ボカサ(ボカサ1世)の名前が通常の皇帝の項と自称皇帝の項の両方にあります。「中央アフリカ帝国」は正式に認められた国名なのでボカサ1世は「自称」皇帝ではないのでは?春野秋葉 2006年6月13日 (火) 08:14 (UTC)[返信]
プロトコール(国際儀礼)上の皇帝の地位についての疑問点

プロトコールの問題はノート:天皇#外交儀礼における天皇の相対的地位の実例に関してにおいても、2005年11月頃から議論されていますが、結局、現在(2007年1月)にいたるまで、出典にあたるものが示されていません。[要出典]を貼ったうえで、ある程度期間待ってみて、情報を確認できる出典が見つからなければ、削除を検討するなり、ノートに移すなり、対処を考えた方がいいと思います。

さらに、幾つか疑問点を、

ここで言われているプロトコールは、いつの時代のどこの地域で通用していたプロトコールなのか?皇帝の権威に教皇や諸国の王が服していた時代を考えると、西ローマ帝国消滅後の5世紀半ば過ぎのヨーロッパあたりに思えるが、その時代のプロトコールが現在まで通用しているとは、にわかに信じがたい。参照、東ローマ帝国

※の後に付けられている説明を信じるならば、ローマ教皇が諸国の王より格上になるのは、1929年のラテラノ条約にてバチカン市国が誕生したのだから、20世紀初頭のヨーロッパにおいてとなるが、本当か?

1077年のカノッサの屈辱などの実例を考えれば、この時点ですでに教皇は皇帝と同程度かそれ以上の権威を持っていたことをしめすのではないか。このような事実と※の説明は食い違うのではないか?

逆に1309年以降のアヴィニョン捕囚などの事例は、教皇の権威がフランス王よりも下だった時期があることを示しているのではないか?

また、教皇の権威の説明として、国王と宗教上の長の兼任ということが挙げられているが、もしその説明が成り立つのならば、エリザベス2世 (イギリス女王)英連邦の元首と英国国教会の長を兼ねており、教皇と同位に置かないといけないのではないか?

国連憲章の前文や第2条を見る限り、現在は基本的に主権国家が平等であるというという前提に立っているが、それにも関わらず、政治体制の違いによって序列を決めることはありえるのか?主権国家の元首ならば、国力の差や友好関係や在任期間などによって、席次の上下などはあるだろうが、基本的には最大限の敬意を持って迎えられるのではないか?

以上、幾つか疑問点を書き連ねてきましたが、出典などを知っている方がおりましたら、ぜひ教えてください。--Einsicht 2007年1月28日 (日) 11:30 (UTC)[返信]



まず一つ、国際儀礼を議論するにあたり、カノッサの屈辱およびバビロン捕囚を例にとるのは適切では無いと考えます。両者はあくまで特殊ケースとして歴史に刻まれた事件であり、儀礼を語るにおいては別次元の話でしょう。


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