ノート:日本航空
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この記事は2020年8月28日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。

この「日本航空」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。

日付選考・審査結果
1.2008年11月22日秀逸な記事の選考不通過

2012年1月13日 (金) 03:10? (UTC) に日本航空から日本航空 (持株会社)への移動、2012年1月13日 (金) 12:47? (UTC) に日本航空インターナショナルから日本航空への移動が行われました。移動以前の「日本航空」に関する議論はノート:日本航空 (持株会社)を、「日本航空インターナショナル」に関する議論はノート:日本航空/過去ログ1を参照下さい。
日航とフラッグキャリア

日本航空が「フラッグ・キャリア」であるかどうかについて、関連する書籍の記述がどうなっているか調べてみました。調査したのは、1984?2010年に発行された書籍で、日本航空あるいは日本の航空事業に関するもの14冊です。このうち、12冊に日航とフラッグ・キャリアを関連付ける記述がみられました。日本航空がいつフラッグキャリアだったか、その根拠は何かを調べた結果が以下の表です。書籍はamazonにて「日航」ないし「日本航空」で検索して得られた結果のうち、当方の都合で入手しやすかったものに限っています。(1990/11発行の中田重光著『日航のグループ戦略』の記述を追加。--EsCape The Fate会話) 2012年10月28日 (日) 09:25 (UTC))(1985年発行の『迷走』を追加。ISBNを追加。署名の一部を訂正。--EsCape The Fate会話) 2012年10月29日 (月) 14:08 (UTC))(2012年発行の『JAL再建の真実』からとりあえず追加。--EsCape The Fate会話) 2013年8月2日 (金) 15:51 (UTC))[返信]

発行年月著者書名根拠出典
1984-10山田智彦日本航空の選択
ISBN 4-334-01172-1日航法『旧日本航空が設立されたのは、昭和二十六年八月、日航法が公布され、日本航空が国際線の航空便運航を国からまかされ、ナショナル・フラッグ・キャリアとして出発したのは、昭和二十八年十月であった。』(p21)
1985-12秋場良宣なぜ日航だけが…!? ISBN 4-7669-0388-9日航法『日航をナショナル・フラッグ・キャリア(日本を代表する航空会社)とした根拠法の日航法』(p163)『日航が民営化し、「ナショナル・フラッグ・キャリア」の資格を失って、全日空と同じ一民間航空会社になる』(p89)
1985-12石飛仁 竹田遼迷走 ISBN 4-7673-0244-7国有(日航法)『民営化によって失なわれるのは”ナショナル・フラッグ・キャリア”という、あまり意味のないイメージだけではないだろうか』(p238)
1986-05山本雄二郎全日空が日航を追い抜く日 ISBN 4-06-192718-3不明『日航はナショナル・フラッグ・キャリア(国旗をつけた航空会社)』(p23)
1987-04片山修日航の運命 ISBN 4-89036-043-3国有(日航法)『完全民営化されても、日航マンには、ナショナル・フラッグ・キャリアとしての誇りをもってもらいたい。』(p261)
1987-09佐藤朝泰第4の成長産業・航空三社 ISBN 4-7612-5221-9国有(日航法)『運輸省は日航完全民営化の反対論についてもふれている。(略)(2)国策上必要な路線の維持、緊急時の輸送手段の確保等に対応するためには、ナショナル・フラッグ・キャリアを存続させる必要があるのではないか』(p60)
1987-11吉原公一郎日本航空 ISBN 4-8226-0252-4?(記述なし)
1990-11中田重光日本航空のグループ戦略 ISBN 4-478-31070-X国有(日航法)『一九八七年の完全民営化によって、日本航空は、自由企業の仲間入りをした。”ナショナルフラッグキャリア”、あるいは”インペリアルエアライン”としての栄光は、もはや完全に過去のものとなった。』(p24)
1992-11小島郁夫3年後の航空業界 ISBN 4-8314-9169-1日航法『JALは日本を代表する航空会社である。だから社名も「日本航空」とある。五二年の「日航法」施行以来、「ナショナルキャリア」として日本の国際線運航を担ってきた。』(p45)
1995-06渡辺国温日本航空の挑戦 ISBN 4-8207-1109-1日航法『日本航空は一九五一年に純民間会社としてスタートしてきた。ところが五三年の日航法制定とともに政府の五〇%出資の特殊法人となり、それ以後三四年間いわゆる半官半民の「ナショナル・フラッグ・キャリア」の道を歩んできた。そして、押し寄せる航空自由化の波のなかで八七年一一月、再ぴ民営化の道を選択することになったのである。』(p56)
1996-08杉浦一機JAL VS ANA 2 ISBN 4-88732-026-4日航法?『八五年以前には「日本唯一の国際線航空会社」であり、「フラッグキャリア」であった』(p252)
1996-08大橋英五日本のビッグ・ビジネス 13 日本航空 全日空 ISBN 4-272-10213-3?(記述なし)
2010-04屋山太郎JAL再生の嘘 ISBN 978-4-569-77699-6日航法『特殊法人だった日航を民営化した際、ナショナル・フラッグ・キャリアを外資に乗っ取られる心配がある』(p77)
2010-06森功腐った翼 ISBN 978-4-344-01849-5日航法『五三年十月一日、日本航空株式会社法(日航法)が施行され、JALが半官半民の特殊法人として再出発する。(略)そうしてナショナル・フラッグ・キャリアは、スタートする。』(p26)『かつてのナショナル・フラッグ・キャリアは』(p9)(p17)
2012-09町田徹JAL再建の真実 ISBN 978-4-06-288176-0?『JALはかつては日の丸を背負い、日本という国を代表する航空会社として、尊敬と親しみの念を込めて「ナショナルフラッグ・キャリア」と呼ばれていた。』(p22)

こうしてみると、ほとんどすべての論者が、フラッグキャリアを、法(日航法)によって規定された航空会社、とみていることがわかります。


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