ノート:徳川家康
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この記事は、Wikipedia:秀逸な記事の選考/徳川家康において秀逸な記事の選考にかけられましたが、残念ながら秀逸な記事にはなりませんでした。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。

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「過去ログ」とは
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目次

1 大坂冬の陣の編集合戦について

2 関連作品の位置について

3 「江戸幕府の支配に関して」の節について

4 「近現代における評価」について

大坂冬の陣の編集合戦について

和議の条件が内堀を含んだものか、また豊臣方が行うといった作業を徳川方が勝手に行ったか、更には和議そのものが最初から騙すためのものかで議論になりましたのでここで論じることにします。

和議の条件については、当時の記録である『大坂冬陣記』『本光国師日記』に二の丸・三の丸・総構の破壊が明記され、細川忠利・浅野忠吉・毛利輝元書状にも同様の旨が記されている。

豊臣側が抗議したという記述は『慶長見聞書』『元寛日記』等の後世の記録のみ記されている。受け持ちについては『大坂御陣覚書』に記述があるが、これは後世の書である上に、そこでも豊臣側の作業が伸長しないので、現場の遠国にいる者達が迷惑したのが理由としている。

このように和議が当初から豊臣側を騙すという説は根拠に乏しい。

これらの史料は大日本史料にも収録され、笠谷和比古『戦争の日本史17 関ヶ原合戦と大坂の陣』にも同様の旨が記されています。以上の経緯より特別:投稿記録/49.134.168.231 さんの記述は削除されるべきと判断しました。--HI会話) 2013年5月1日 (水) 01:37 (UTC)

ちょっと根拠がおかしいのではないでしょうか?『大坂冬陣記』『本光国師日記』に二の丸・三の丸・総構の破壊が明記されているとあなたは書いていますが、内堀の破壊を含んでいるとは書いていません。ということは「和議の条件が内堀を含んだものか」という点に関して反論していないことになります。そして後世の記録であること自体はその記録が偽である事とは別の話のはずです。しかもあなたは後世の記録だから、と従来説を否定している一方で、同じ後世の記録を根拠に「和議そのものは最初から騙すためのものではない」としていますが、これは二重基準ではないでしょうか。それと語るに落ちたとはこの事でしょうか。役割分担があるのなら、徳川は自分の担当を自分のペースでやれば良い訳で、あとは豊臣方の責任。豊臣側の担当を徳川が如何なる理由で「迷惑」するのでしょうか。和平を前提にするなら迷惑を受ける理由がありません。たしかに工事の進捗あるいは程度が芳しくない状態で「迷惑」を受けるのは徳川家康です。なぜなら次に容易に攻められなくなるからです。しかしそんな事を公言するわけにもいかず、「現場の遠国にいる者達が迷惑したから」と称しているに過ぎないでしょう。それとも徳川が豊臣方の浪人を気遣って遠方の浪人が迷惑を受けているから、なんて言われるつもりでしょうか?それは失笑を禁じえないあまりに見え透いたウソ。歴史は見てきた者が居ない以上、ある程度の資料から推理するしかないわけです。以上の理由から従来説を中心に記述すべきと考えます。定説を中心に記載するのは当然ではないでしょうか。--以上の署名の無いコメントは、49.134.168.231ノート/Whois IPv4 ・ IPv6)さんが 2013年5月1日 (水) 13:54? (UTC) に投稿したものです(HI会話)による付記)。先ず、一つ訂正します。受け持ちについては細川忠利書状に徳川方は総構を豊臣方は二の丸・三の丸を壊し堀も埋めると記されており、覚書でなく当時の史料にも記されていました。申し訳ございません。なお、この記述により二の丸・三の丸の堀、つまり内堀も埋めることになっていたことが分かります。これにより二重基準もクリアされたことになります。後、『大坂御陣覚書』に記されている迷惑に感じたのは家康ではなく、遠国の人数つまり従軍した大名達です。彼らは豊臣方の工事も終わらなければ帰国できないので手伝ったことになります。また、その間の工事に携わった諸大名の書状等には、豊臣方と問題が起きたとは記されていません。なお、「現場の遠国にいる者達が迷惑したから」と称しているに過ぎないでしょう」の発言は憶測以外の何者でもありません。先述のようにこれらの内容は笠谷氏の著作に記されていますが、これまでこの説を否定した上で従来の説を唱えた話は聞きません。既に従来の説が定説ではなくなったと考えます。従来の説を載せるべきとするならば、「?の従来の説があるが、?の理由で疑問が生じる」とするべきでしょう。--HI会話) 2013年5月1日 (水) 14:49 (UTC)


内堀も埋めることになっていたという根拠ですが、それだけでは私の投稿を有無を言わさず削除するほどの説得力は弱いのではないでしょうか。たとえば当代記においては二の丸・三の丸破壊の記載はありません。wikipediaは独自研究を乗せる場ではありせんので、両論記載でいいのではないでしょうか。大坂御陣覚書の件ですが、従軍した大名の都合は豊臣方には関係のない話です。諸大名が帰国できないのは徳川が決めたことであり、受け持ちの約定違反をする理由とはならないでしょう。それと憶測以外の何者でもないという事ですが、それがどうかしたのですか?としかいいようがありません。大体それを言い出せば歴史の考察はできません。当時の資料を書いた作者の思い込みや勘違い、あるいは徳川へのバイアスもあるでしょう。そんな中でわれわれは考察せざるを得ないんです。で、実際に家康側が大義名分を探したり、本音と建前を使い分けている事例があります。主君殺しについては家康の近臣に正当性を諮問したという記録もあり、これは家康が大義名分に拘りがあるという証拠です。先の銘文の件にしても、この銘文がある鐘が現在も保存されているという事実があります。国家安康の文言が、家康を呪うものであると本気で考えていたのなら、そのような鐘は直ちに鋳潰されているはずですが、現実は違います。家康にとってこの問題は単なる難癖であり、「銘文自体は特に家康を呪うものではない」と認識していた証拠です。このような行動を取った者が本気で和平を望んで和議を結び、「現場の遠国にいる者達が迷惑したから」などと考えるでしょうか。約定違反である事を承知の上で、虚偽の名分を無理やりつけ、詐称したと考えるほうが自然ではないでしょうか。だから豊臣側の抗議に対してとぼけていた、などという記録もあるわけです。上にも書きましたが、wikipediaは独自研究を乗せる場ではありせんので、定説を個人レベルで判断することは不適切だと思います。「?の従来の説があるが、?という説もある」とするべきでしょう。--以上の署名の無いコメントは、49.134.168.231ノート/Whois IPv4 ・ IPv6)さんが 2013年5月1日 (水) 17:03? (UTC) に投稿したものです(HI会話)による付記)。

当代記も後世の編纂史料ですので一次史料ではありません(後、当代記では三の丸破壊は記されています)。現状では、二の丸を破壊しないと記した一次史料は存在しないのが現状です。これは徳川方による二の丸・三の丸破壊に豊臣方が抗議したという記述も同様です。ただし両論併記で納得されるなら問題はありません。その場合は、一次史料、二次史料について言及するべきと考えますが。--HI会話) 2013年5月2日 (木) 00:56 (UTC)

当代記の件に関してはすみません、三の丸の件については勘違いでした。あくまでここは百科事典なので通説を主体にすべきと考えます。その限りにおいてはその通りで異論はありません。--以上の署名の無いコメントは、49.134.168.231ノート/Whois IPv4 ・ IPv6)さんが 2013年5月3日 (金) 03:23? (UTC) に投稿したものです(HI会話)による付記)。

では保護解除後に修正いたします。後、ノートでは署名するのがルールですので、以後は気をつけたほうが良いと思います。--HI会話) 2013年5月3日 (金) 03:45 (UTC)

報告 建設的な対話による編集合戦状態の回避に向けた合意が成立したと思いました。お二方にはお疲れ様でした。ただいま、保護を解除しましたので合意に基づき編集をお願いします。--ろう(Law soma) 2013年5月7日 (火) 01:04 (UTC)

関連作品の位置について

徳川家康を主題、主人公とする作品群は実際にはかなりの数があり、本文の中に組み込むか、リスト記事にできるほどです。現在は削除されているものの、本来的には、関連項目の前後で収まる量ではありません。将来的にリスト記事に分離すべきです。そもそもが本文の一部であるべきものです。--Quark Logo会話) 2017年2月23日 (木) 19:22 (UTC) 作品と記事主題人物の論考や考察として本文にあるのならともかく、ただの作品名の羅列のリンク・リストであれば本文に置く意味がありません。数が多ければ尚の事、記事本文としては邪魔なだけです。以前議論した際に井戸端でも議題にしたところ、管理者の方の「スタイルとしては関連項目に準じた扱いでしょう」といった意見もいただきました。Quark Logoさんにおかれましては、利用者コメント依頼の原因のひとつともなっておられるようですので、「本文に置くべき」という頑なな姿勢はコミュニティとしても歓迎されているとは言い難いと思われます。それと、マークアップや脚注もまとめて巻き戻してしまったのは、私の落ち度でその点はお詫びいたしますが、「細部を確認せずにリバートするな」などという命令語調はwikipediaにおいては礼儀に失した姿勢であり、大変不愉快なものです。--ジャムリン会話) 2017年2月23日 (木) 20:35 (UTC)

Wikipedia:関連項目Wikipedia:関連作品にも井戸端にもあるように、位置については結論は出ていません。一方の意見だけがあるような言い方は不適切でしょう。また、関連作品を本文部の末に置く編集をしているのは私だけではなく、多くの利用者が行っています。頑なな姿勢とは、お互い様でしょう。

数が多ければという点に関しては、脚注部の下に、関連作品がだらだらと書かれているのは、私の感覚では見苦しい感じがします。本文部の末に入れた方が、バランスを取りやすい。また関連項目とは異なるというガイドラインの設定からも、関連項目と関連作品は離した方が無難であるというのが私の意見です。あくまでも。

内容として、関連作品の節は、リスト記事と同じであり、脚注部ではなく、本文部に含まれるのが論理的であるというのも、私の意見です。


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