ノート:繁体字にもありますが、簡体字・繁体字・旧字体・新字体…といった項目をここにリダイレクトして統合するのがよいでしょうか?それとも個別の項目を残しておくのがいいでしょうか?みなさんの意見をお聞かせください。218.43.229.102
2005年9月30日 (金) 02:07 (UTC)[返信]簡体字・繁体字については、それぞれのページと内容がほぼ重複していますので、その部分を削除(重複していない部分は当該ページに移動)しました。--Kumatora 2005年11月18日 (金) 02:50 (UTC)[返信]字体についてはいいと思いますが、字形についての考え方が特殊と思われるので、定義部分を差し戻しました。以下の記事中でも字形を字体に変えた部分を字形に戻した方がいいものもあると思います。 『常用漢字表』付録「字体についての解説」および『表外漢字字体表』前文「字体・書体・字形にかかわる問題とその基本的な考え方」に従うのがいいと思いますが、『表外漢字字体表』の前文を引用すると、1)字体・書体・字形について字体については,常用漢字表に示されている「字体は文字の骨組みである」という考え方を踏襲する。文字の骨組みとは,ある文字をある文字たらしめている点画の抽象的な構成の在り方のことで,他の文字との弁別にかかわるものである。字体は抽象的な形態上の観念であるから,これを可視的に示そうとすれば,一定のスタイルを持つ具体的な文字として出現させる必要がある。この字体の具体化に際し,視覚的な特徴となって現れる一定のスタイルの体系が書体である。例えば,書体の一つである明朝体の場合は,縦画を太く横画を細くして横画の終筆部にウロコという三角形の装飾を付けたスタイルで統一されている。すなわち,現実の文字は,例外なく,骨組みとしての字体を具体的に出現させた書体として存在しているものである。書体には,印刷文字で言えば,明朝体,ゴシック体,正楷書体,教科書体等がある。また,字体,書体のほかに字形という語があるが,これは印刷文字,手書き文字を問わず,目に見える文字の形そのものを総称して言う場合に用いる。総称してというのは,様々なレベルでの文字の形の相違を包括して称するということである。したがって,「諭」と「論」などの文字の違いや「談(明朝体)」 と「談(ゴシック体)」などの書体の違いを字形の相違と言うことも可能であるし,同一字体・同一書体であっても生じ得るような微細な違いを字形の相違と言うことも可能である。」 とされており、ここで字形は観念でもありませんし、字形の違いは線の太さや書き癖に限定されたものでもありません。字体が違えば、字形は異なりますが、字形が異なるからといって字体が違うとはかぎりません。 異体字に関する判断も人により違うかもしれませんが、図2と図3は『表外漢字表』の参考「表外漢字における字体の違いとデザインの違い」にある特定の字種において漢字使用の実態への配慮から字体の差ではないと判断されるもの(個別デザイン差)に相当するので、異体字にしないほうがよいと思います。--Radical8 2006年11月16日 (木) 12:26 (UTC)
字体と字形の関係を他の分野の対立用語と比定するのには反対です。音韻と音声の関係との比較はまだいいとしても、ラングとパロールとの関係とはかなり違うと思います。もちろんラングとは何か、パロールとは何かについても人によって解釈が違うかもしれません。しかし、ラングが「他の文字との弁別にかかわるもの」といった弁別の機能に関わらないことは指摘できると思います。また音韻と音声の関係に比定するなら、弁別や差異という観点から言って、字体と字形ではなく、「字体」と「文字」の関係になると思います。字形が物理的で視覚的な具体性をもったものであるのは確かにそうですが、それは単に字のかたちを指すのであって、字体と対立関係にあるような特殊な概念ではないと思います。こういった比定を認めるか否かは水掛議論になりますので、自分の考えによらず、他のラング-パロール、音韻-音声の関係と同じだと主張している文献をいくつか引用していただきたいと思います。 図2と図3、すなわち「刃」については『表外漢字字体表』で個別デザイン差であって字体の差ではないとされています。挙げられている参考文献は表外漢字字体表よりだいぶ前のものです。いろいろな意見があると思いますが、表外漢字字体表も議論のすえにできた一つの合意と考えられますのでそれに従うのがいいのではないかと思うのですが…。 また梅桃桜さんの編集がそれまでの編集方針を大きく変えてしまうことが問題と思います。それまでの編集では図1と図2で字体が異なることを、図2と図3で字体が同じであることを説明しています。それまでの編集方針に沿いつつ梅桃桜さんの意見を入れるなら、むしろ図を差し替えた方がいいのかもしれません。--Radical8 2006年11月18日 (土) 00:52 (UTC)
引用されたものを見ても、音声がパロール的音声で、音韻がラング的音声ということが分かるだけで、字形-字体が音声-音韻、パロール-ラングという対応関係にあるとは書かれていません。「言語[ラングとパロル]」を見ると、むしろ音声は「文字」と並列されています。音声言語・文字言語とはいっても音声言語・字形言語とは言わないはずです。また私は字形と音声が対応するとは考えていないので、「代わり」というのは当てはまりません。音声と音韻の関係に比定するなら、音声に対応するのが文字、音韻に対応するのが字体であると言っているのです。そもそも言語学の術語と漢字学の術語を対応させるのも問題であって、言語学では字体の代わりに文字素、字体素、字素などと言ったりします。字形のレベルに相当するものは音声の側では、音長や音量、音質、視覚的に表せばフォルマントなどであって、これらの異なりを捨象して得られる音声観念が音韻であり、字形の異なりを捨象してできる文字観念が字体です。--Radical8 2006年11月18日 (土) 13:16 (UTC)[返信]字体素は字体の構成要素(だから字体+素)、すなわち漢字の部首などを指すものです。字素というのもほぼ同義で、やはり字体の構成要素のことですね。つまり、これらは字体の代わりに使われている言葉ではありません。たまたま見ていた論文にこういう使用法があります。「契丹小字はたて書き文字で、Ua型に属するけれども、表音的な文字要素(字素)を左右に二つ並べて組み合わせているから、まず横書きして、ついで、たて書きしていることになる。漢字も同様で、たとえば「語源論」のような合体字を分解してみると、「|。|。||」のように左右に横に書いてついでたて書きしている。」(西田龍雄「文字の種類と機能―文字学序説」月刊言語 1984 Vol.13 No.4 大修館書店)と明らかに、漢字のへんとつくりのことを「字素」と言っています。これを字体と同義とするのは無理がありますね。つまり字体と字体素は意味が違うのであって、同じ意味の言葉を、学問分野で用語を変えているということではありません。そのような事実があれば、典拠をぜひ引用の上、編集にも反映させるべきだと思います。(余談ですが、言語学と漢字学はまったく違う分野であるとお考えなのも気になります。言語学の中に、日本語を対象とする日本語学があり、その中で表記(文字論・表記論)や音声(音韻論・音声学)を研究しているわけです。大学や院で日本語学を学ぶ場合、当然言語学概論や表記・音声の講義、ゼミをあわせて受講するわけです。その中で特に言語学と漢字学を隔てて、用語を使い分けるということはありません。共通に使える用語は使うし、相互に関連して研究していくのです。Radical8さんの場合もそうだったのではないですか?)整理しますと、「字体素」は音で言う「音素」に比定すべきものであって、「字体」や「音韻」の下位に位置する概念であり、ともにラングです。また、「音素」(音韻論の最小単位)に対応する概念としては「単音」(音声学の最小単位)があり、これはパロルです(文字において「単音」に相当するこなれた言葉はあまり聞きませんが、「部分字形」などという言い方はよく使われていました)。このように表記と音声では対応が取れており、それぞれのレベルにおいて、ラングとパロルがきちんと照応するわけです(というか両者をきちんと弁別する必要性があるから対応する用語があるというのが正しいでしょうね)。今、私の手元にありませんが、野村雅昭「字体素・音素・意義素」なども参考になると思います(持っていたはずなので、見つかったら引用します)。当初、Radical8さんは(字体と字形の)「音韻と音声の関係との比較はまだいいとしても、」とおっしゃっていて、むしろ音韻と音声-ラングとパロルとの対応関係さえ認めないかのような言い方だったのに、今は「また私は字形と音声が対応するとは考えていないので、」とお考えが変わったのでしょうか? こちらが引用を示すと、反論の方向性や主張を変えられるのはどうかと思います。せめてこちらに求められているのと同等の引用は示して欲しい(例えば字体は漢字学の術語であり、字体素は言語学の術語であるといったことの根拠など)前回の私の引用を素直に読めば、1.言語において、抽象的な概念がラングであり、具体的な実現形がパロルである。 2.音声の場合は、前者が「音韻」であり、後者が「音声」である。(音声が全体を指す場合と、後者のみを指す場合があるのにご注意ください。おそらくこれがそちらの議論の混乱の原因です) 3.文字のかたちにおいては、字形は具体的な実現形(パロル)であり、抽象的概念は字体(ラング)である。