ノート:大乗仏教
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無名の節

確かに大乗の経典にはその由来がはっきりしないものが多くありますがこれをもって偽造の「実証」とするのはいかがなものでしょうか。「大乗の経典には文献学的にみてその由来が疑われるものが多く存在する。よって大乗の経典は釈迦に由来しない多くの経典を方便のために創作したとして上座部仏教側からは大乗非仏説という批判の声も上がった。」とするのが中立的観点による記述ではないでしょうか。Vapour

南伝の三蔵の「経」でも文献学的にみればその全てが釈迦の由来とはとても主張できるものではないと聞いています。Vapour
提案
無出典の箇所を削除する提案

提案 現状、大乗仏教#概要の最後の段落(自分の解脱よりも?創りだしていった の部分)と、大乗仏教#発展の諸相の第一段落と、大乗仏教#伝播は無出典ですので、削除してはどうでしょうか。--Leonidjp会話) 2017年5月12日 (金) 09:27 (UTC)[返信] 私は問題ないと思います。が、一応、本ページでもテンプレートで告知しておくべきだと思います。リバート合戦になると面倒なので。--Ryo 625会話) 2017年5月12日 (金) 10:22 (UTC)[返信]
2017/08/07

下記の記述が導入部の第二文として載っていますが、これはその位置に載せるほどの重要性がありますでしょうか。大乗仏教#概要節の中に移すくらいでもよろしくはないでしょうか。パーリ[[上座部]]の文献や[[スリランカ]]の史書に出てくる'''[[方等経|方等]]部'''(ほうとうぶ)あるいは'''方広部'''(ほうこうぶ、{{lang-pi-short|Vetulla, Vetullav?din, Vetulyaka}}{{refnest|name="水野パーリ辞典"|{{lang|pi|Vetulla}}:m. 方等部, 方広部, 大乗仏教. {{lang|pi|-pi?aka}} 方広説の三藏, 大乗経. {{lang|pi|-v?din}} 方等部, 大乗説者. (水野弘元「増補改訂 パーリ語辞典」 p.302)}}, {{lang-sa-short|Vaitulyav?din, Vaitulika}})という言葉は大乗を指していたと推定される<ref>馬場紀寿「上座部仏教と大乗仏教」『シリーズ大乗仏教2 大乗仏教の誕生』高崎直道監修、桂紹隆・斎藤明・下田正弘・末木文美士編著、春秋社、2011年、145頁、152頁、157頁、167頁・註(20)、169頁・註(44)、170頁・註(61)。</ref>{{refnest|[http://www.wisdomlib.org/definition/vetullavada Vetullavada - Wisdom Library]}}{{refnest|[[平川彰]]は Vetullav?da を方広派、Vetulyaka を方広部と翻訳している<ref>平川彰 『インド仏教史 上』 春秋社、新版2011年(初版1974年)、170頁、322頁。</ref>。[[パーリ語]] vetulla はパーリ語文献では異端という否定的意味で用いられたが、これは九分経のひとつである vedalla (広破)が変化したものと推測され、これに対応する[[サンスクリット]]の vaipulya (方広)、vaidalya (広破)、vaitulya (無比)は大乗側では自称として用いられたものである<ref>馬場紀寿「上座部仏教と大乗仏教」『シリーズ大乗仏教2 大乗仏教の誕生』高崎直道監修、桂紹隆・斎藤明・下田正弘・末木文美士編著、春秋社、2011年、167頁・註(20)、169頁・註(44)。</ref>。cf. [http://www.saisyo.org/EnTyYu/eh3.php 付録3 「大乗」のニュアンス─世親、親鸞に通づるもの - 真宗大谷派 西照寺]}}。

7日以内に反対意見がなければ大乗仏教#概要節に移したいと思います。--Leonidjp会話) 2017年8月7日 (月) 00:50 (UTC)[返信]

報告 上述の提案から七日経ちましたが反対意見は寄せられませんでしたので、この記述は提案どおり概要節に移します。概要節への移動後の扱いに何か不適切な点などありましたら御指摘ください。--Leonidjp会話) 2017年8月14日 (月) 23:32 (UTC)[返信]
中村元の出典記述の独自研究について

≫この部分の注釈に書かれている「第三章さらに五つの経 第五節17の註」というのは、中村元訳『ブッダ 悪魔との対話』岩波文庫のp.327の一行だが、そこには部派仏教における釈迦の修法過程に関する記述は全く無いし、小乗、大乗、部派、釈迦などの語も無い。この一文は明らかに独自研究。こんにちは。毎度です。中村元は同章で、菩提樹下から7年を経てなお、釈迦が神々や悪魔と対話したことの問題提起とも注意喚起とも言える註記を行っているので、何ら独自研究には当たりません。問題は波羅蜜の原義語がいつから「一般化」したかで、中村は他出典の「パウッダ」で「大智度論」などの智度にそれをみているようだが不明なことは確か。とりあえず、出典無効は解除しました。--118.83.188.9 2017年5月13日 (土) 17:38 (UTC)[返信] 報告 IP利用者による上述の説明は、同氏によるこの編集の理由を説明したものです。--Leonidjp会話) 2017年5月13日 (土) 21:13 (UTC)[返信]>>中村元は同章で、菩提樹下から7年を経てなお、釈迦が神々や悪魔と対話したことの問題提起とも注意喚起とも言える註記を行っている コメント 出典に照らして誤り。同章つまり『ブッダ 悪魔との対話』43-63頁には「菩提樹下から7年」という情報は載っていない。第四節(53頁)に「悪魔・悪しき者は、七年のあいだ尊師につきまとって」とあるだけ。 コメント IP利用者がこの編集で書き込んだ「激流」に関する注というのは、同書第W編 第三章 第五節に対して付けられた注(61頁と327頁という対応関係)。


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