ノート:垂井線
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本稿区間の正式上の扱いについて

本稿が垂井駅のリダイレクトから変更された時の本文(2021年4月25日 (日) 01:35(UTC)時点の版)では、正式には下り本線であるはずの垂井線は、まるで「支線」のように扱い、正式上東海道本線の支線である新垂井線が「下り本線」と記載されており、この状態では誤解されてしまうため、本文は大幅に改訂しました。よって改めて、垂井線と新垂井線の正式上の関係を下記に示します。
垂井線
南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の下り本線線路の通称、正式上この区間は東海道本線下り線。
新垂井線
大垣駅 - 関ケ原駅間の下り列車専用の勾配緩和別線の通称、正式上この区間は東海道本線支線。よって、この区間が「下り本線」というのは誤り。

であります。詳細は本文をご覧ください。なお、この件については、本文の他関連する駅(大垣駅、南荒尾信号場、垂井駅、関ケ原駅、旧・新垂井駅)に確認の告知タグを貼ります。また、今後の予定として、本文は「新垂井線」に改名または「新垂井線」および「垂井線」への分割提案を同時に行い、記事の整理をする所存です。宜しくお願いします。--多趣味戦隊ブランケット会話) 2021年5月5日 (水) 07:54 (UTC)(下線部追記--多趣味戦隊ブランケット会話) 2021年5月5日 (水) 12:21 (UTC))[返信]

コメント 本件についてWikipedia外で配線図に詳しい方から疑義が出ているようです(配線略図.netコラム垂井線が下り本線ではない理由)。専門外ですのでご紹介のみさせていただきます。--S.S.E.H.Talk/Contribs 2021年8月12日 (木) 14:24 (UTC)[返信]
ありがとうございます 情報提供誠にありがとうございます。早速そのサイトを確認しました。どうやら個人運営のサイトのようですが、記載内容はある意味正確に記述されているようです。一度精査してから、本文に垂井線と新垂井線との関係について反映いたしますので、しばらくの間お待ちください。よろしくお願いします。--多趣味戦隊ブランケット会話) 2021年8月12日 (木) 14:55 (UTC)[返信]

(インデント戻し) 情報 外部サイト(配線略図.netコラム垂井線が下り本線ではない理由)からの指摘について、情報提供および見解を下記に示します。

東海道本線 大垣駅 - 南荒尾信号場 - 垂井駅(または旧・新垂井駅)- 関ケ原駅間における、垂井線と新垂井線と本線の関係は以下のようになる。
垂井線
南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の東海道本線下り線線路の通称[1]、正式上この区間は東海道本線[2]
新垂井線
大垣駅 - 関ケ原駅間の下り列車専用の勾配緩和別線の通称[1]、正式上この区間は東海道本線支線[2]
当該区間における路線運行上の「本線」の扱い
路線運行上の「下り本線」は、正式上東海道本線支線である大垣駅 - 関ケ原駅間の下り列車専用の勾配緩和別線[3][4][5]。路線運行上の「上り本線」は、正式上東海道本線である関ケ原駅 - 垂井駅 - 南荒尾信号場間の既存の本線上り線線路[3][4][5]。路線運行上の「垂井線」は、正式上東海道本線である南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の東海道本線下り線線路[3][4][5]

となります。

少し補足しますと、正式上とは国土交通省監修の『鉄道要覧』上および国鉄時代に制定された国鉄時代に制定された日本国有鉄道線路名称[6]やそれを基にした国鉄時代の時刻表の線名索引[7]上の路線名称のこと(これが、路線の代表的な区間としての「本線」)です。ただし、国鉄時代の線路名称には注意が必要で、本文の注釈にも記載しましたが、扱う書籍によっては、新垂井線区間(大垣駅 - 新垂井駅 - 関ヶ原駅間)の記載はあるが、別の書籍には記載がないなど、年度などによって取り扱いが異なっているようなので、書籍の記載も区々なのです(ただ、配線略図.netで紹介された「日本国有鉄道線路名称(1987年3月31日)」の中に「品川・浜川崎・鶴見間」との記載がありましたが、確か、その区間は品川駅 - 東京貨物ターミナル駅 - 浜川崎駅間と鶴見駅 - 八丁畷駅間が東海道本線で、浜川崎駅 - 八丁畷駅間は南武線〔浜川崎支線〕のはずですが、それを見ると浜川崎駅 - 八丁畷駅間は南武線との二重線籍区間だったのかなと思いますが、これは本題と関係がないのでこれ以上は割愛します)。いずれにせよ、正式上の路線名称は上記が正しいものです。

次に、路線運行上の「上り・下り本線」とは鉄道事業者が国土交通省に提出している「事業基本計画」[8]という書類に基づいた、線路の名前としての「本線」のことです(本項の「垂井線と新垂井線の関係」を参照)。要は「上り・下り」が「本線」の前に付くのか後に付くかによって、その意味合いが全く違うということなのです。また「本線」という名称は駅構内の線路にも使われており、『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(U)』p.68、祖田圭介著「東海道沿線の駅構内の今昔 名古屋?神戸」[9]の「垂井駅/神戸方」という表題の写真には、垂井駅神戸方の出発信号の表示は「垂本」となっており、その説明文も「垂井駅は東海道上り線(1番線ホーム)および垂井本線・中線(2・3番線ホーム)の2面3線の配置(以下略)」と記載されています[9]。これも、線路の名前としての「本線」に該当するものですが、当該区間全体としては、駅間の線路に「上り本線」「下り本線」という名前が用いられる例となっております。なお、関ケ原駅 - 垂井駅間を垂井線を走行する普通列車の写真が『鉄道ファン1997年11月号 特集:JR短絡線ミステリー』p.23「東京から福岡まで直行貨物列車のルート」[10]と先程の『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(U)』の同頁に「下り方から関ヶ原折り返し列車は、垂井まで垂井線を走行」という説明文が付いた、先頭車車内から垂井線を走行中で垂井駅手前の垂井駅中線への分岐ポイントが写った写真がそれぞれ掲載されています。

少しばかりややこしい話しですが、このようになったのは「新垂井線#歴史」や「本項の歴史」を参照してくださると解るのですが、1944年(昭和19年)10月に新垂井線が開通したとき、本線下り線(垂井線)の線路が、戦時中の事情により撤去され、戦後1946年(昭和21年)11月に復活した経緯があり、その時正式上新垂井線を別線(支線)扱いにして、垂井線を本線扱いにしたことが、今日のややこしい関係となってしまったのであります。--多趣味戦隊ブランケット会話) 2021年8月24日 (火) 04:06 (UTC)[返信]

脚注^ a b 松本典久、池口英司「東海道本線 名古屋?神戸 223.5km 岐阜→関ヶ原」『鉄道ファン2008年1月号 特集:東海道本線2』第48巻第1号(通巻561号)、交友社、2008年1月1日、15 - 16頁。?
^ a b 監修者 国土交通省鉄道局「東海旅客鉄道株式会社」『鉄道要覧』 各年度、電気車研究会・鉄道図書刊行会、東海道線掲載頁頁。?
^ a b c 「JR東海事業基本計画(1987年4月1日)」『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年10月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN?978-4533029806。?
^ a b c 松本典久、池口英司「東海道本線 名古屋?神戸 223.5km 岐阜→関ヶ原」『鉄道ファン2008年1月号 特集:東海道本線2』第48巻第1号(通巻561号)、交友社、2008年1月1日、14頁。


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