本文に、 小松英雄は、この日記は女性に仮託したものではなく、冒頭の一節は「漢字ではなく、仮名文字で書いてみよう」という表明を、仮名の特性を活かした技法で巧みに表現したものだとしている との記述があります。 この点に関して多くの文献が引かれるまでに記事が成長したら、論点だけ述べて詳細は文献参照とするのが妥当ですが、現時点ではこれらについての記述が望まれます。よろしくお願いします。
このままでは「仮名の特性を」以下が意味不明です。おそらく、「女文字で見んとす/こころみんとす」(後者は定家本による)の掛詞の意味と思いますが、引用文献を踏まえて、意味が分かるように書いて下さい。
問題なのは、前半の「仮託したものではなく」です。「女文字」であったとしても、「男もすなる」と書いてあるのですから、普通に考えれば掛詞ではあっても「女も」を否定する事にはなりません。否定している根拠を小松氏がどう書いているのかを、書いて下さい。