ノート:命題
[Wikipedia|▼Menu]



2004年の議論

ふむ?? 「命題」というのは、文自体(ある形式の文)のことではなく、文が表現しているものであって、真であるか偽であるかどちらかであることが期待されるものである、とゆうこと? とするともしかして「狼煙とか手旗信号で表現」というのは、単純にON/OFFの表現の例でしょうか(ということはビットと同じ)。てっきり狼煙や手旗信号で文を表現している例だと思ったのですが^^; 単純に赤か白の狼煙が上がったとしても、それが何を意味するかの約束(文脈)がないと意味が伝わらないから、結局文が必要なよーな気もしてくる…(混乱 --HarpyHumming 01:50 2004年3月28日 (UTC)

HarpyHummingさん。今回の記事の編集から汲み取って頂けますでしょうか。編集前の記述は、平叙文か否かという話が、普通言語か代替言語という話へズレていってます。そもそも狼煙や手旗信号をの話題は、命題についての文脈では無意味です。ちなみに普通言語も約束や文脈に依るという点で、狼煙や手旗信号と何ら変わりはありませんよ。Enharmonion 13:14 2004年3月28日 (UTC)

「ワシントン・・」の例文の方が優れてますね。前の例文は「私」がよくないですから。Enharmonion 13:19 2004年3月28日 (UTC)
命題とは

いろいろ間違っていたのでなおしました。本文にも書きましたが、命題そのものに真偽が決まっているわけではありません。(私も高校の頃は「真偽が定まるものを命題という」とならったので、よくある間違いなのかも知れません)。たとえば「犬が時速50キロで走っている」という命題の真偽は、「犬」がどの犬なのかを決めてはじめて決まります。「犬が時速50キロで走っている」という命題そのものには真偽が割り当てられていません。

なお、「真偽を判定できるくらい文章が明瞭なときに「命題」という」でも間違いです。真偽が決まるからといって真偽が判定できるわけではないからです。たとえば「アンドロメダ星雲には宇宙人がいる」という命題は真偽が明瞭に決まりますが、真偽を判定する事は(いまのところ)できません。原理的に真偽が判定できない文章(ゲーデル・センテンス)も存在します。

そこでとりあえず「命題(めいだい)とは、意味の解釈に不明瞭なところがない文章の事」としてみたのですが、これで本当によいのかあまり自信がありません。どなたか詳しい方、修正をお願いします。


ええと、「富士山は美しい」(価値命題)とか「明日の天気は晴れである」(ref.多値論理学)というのも命題ですね。本項では、まず「判断を言語であらわしたもの(広辞苑)」という最も基本的かつ一般的な解説から始めて各分野での「命題」に触れていくのがいいんじゃないかと思います。そのうち書きたいと思います。ところで、命題の相互間に上下関係が成り立たないというのはカントもびっくりのあまりにぶっとんだ説なので「という説もある」としたのですが…またもどされてしまいました。どうしたらよいものか。。ちなみに出典元の小谷野氏の説ですが、定言命令(∈至上命令)「汝?せよ」は即ち「汝?為すべし」という定言命題を与える事になりますから、仮に命題に上下がなければ「至上命令」も成り立ちません。--
Hal* 2007年8月1日 (水) 14:57 (UTC)[返信]

このページ全体を考え直す必要があると思います。まず、「命題(めいだい)とは、意味に不明瞭なところがない文章の事」とありますが、文の意味が明瞭かどうかは個人に依存してしまいます。Aさんにとっては命題だけれど、Bさんにとっては違う、などということがあることを許す定義でよいのでしょうか?Kateri 2009年3月25日 (水) 01:27 (UTC)[返信]ページ全体にわたって多少曖昧な言葉遣いがなされていることは確かで、そのため誤解があるようですが「明瞭である」というのは「適切な枠組みの中で文が表す内容が一つに定まる」ということであって、個人に依存する文章はその意味での「明瞭」ではありません。で、本文や上のHal*氏の説明では命題函数(あるいは述語)と命題が混同されているので、余計に誤解に拍車をかけているかもしれません。しかしいずれにしても構文論 (syntax) と意味論あるいは解釈 (semantics) は分けて考えるのが通例だと思います。--2009年3月25日 (水) 03:29 (UTC)
「命題(題をつける意)」と「至上命題」の扱いについて

見出しに掲げた内容について、直近の編集で意見の対立があるようなのでトピックを立てました。参考:現時点の最新版、2010-11-28T10:21:43の版

私の意見としては、まず「命題(題をつける意)」について、この記事では定義文にもあるように proposition という意味での命題の概念を解説したものですので「題をつける」意味合いでの解説は不要。現時点の最新版にあるようにotherusesでの誘導が適切と考えます。

次に「至上命題」について、これについても本記事で扱う概念との関係性が不明の為、解説は不要と考えます。仮に、「この上ない命題(proposition)」という意味の言葉であれば、単に「至上」と「命題」のをつなげた複合語の解説となる為、「ウィキペディアは辞書ではありません」の方針に照らして解説不要。「課せられた問題」という意味であれば、本記事で扱う命題の概念との関係性が見出せません。従って「命題」から「問題」への誘導も不要でしょう。また、至上命令と混同した誤用であれば、その概念はむしろ「命令」に紐づくものであって本記事での解説は不要に思います。--hal* 2010年11月29日 (月) 09:07 (UTC)誤字訂正--hal* 2010年11月29日 (月) 15:20 (UTC)[返信]現在のotherusesによる誘導先を見ていますか?「命題(題を付けること)」と「命題(課せられた課題)」に誘導されているなら、私もotherusesでいいと思います。しかし、現在の誘導先は、どちらも「命題」との関係が見た目上全く不明な記事です。もっとも、「命題(題を付けること)」と「命題(課せられた課題)」には、単独の記事にするだけの特筆性はないように感じます。したがって、「命題って何だろう?」と思って知識が乏しい状態でウィキペディアで「命題」と入力した人のためにも、この記事の中で「命題(題を付けること)」と「命題(課せられた課題)」について、1つの節くらいで触れておくのがベストだと考えます。ウィキペディアを使う人の身になって考えましょう。現在の状態で、分かりやすいですか?ただ、あんまり本質的な議論じゃないことは確かですね。早めに合意を形成できたらと思います。--カレル・シュタミッツ 2010年11月29日 (月) 11:49 (UTC)修正--カレル・シュタミッツ 2010年11月29日 (月) 12:55 (UTC)[返信]当然ですが、誘導先は見ています。もちろんウィキペディアを使う人の身になって考えていますが、「命題」って何だろう?と辞書代わりにウィキペディアを使う人のことは考えていません。また、現在の状態では分かり難いので上記の通りの意見を述べました。ところで、「命題」に「課せられた問題」という意味はあるのですか?辞書で見つからなかったもので・・・。--hal* 2010年11月29日 (月) 15:20 (UTC)[返信]「命題って何だろう?」的な利用者が、そう特別な存在だとは思えません。むしろ、知識の乏しい人にこそ分かりやすく誤解のないようにするべきではないでしょうか。いいですか?この記事に、他の用法が1節取って説明されていても誰も誤解しないし、分かりにくくもならないんですよ。それに対し現在の版は、知識の乏しい人には分かりにくく、最悪誤解さえ招きかねない。優劣は明らかだと思います。実際、私が編集する前は「題を付ける」という意味が載っていなかったために、某掲示板のウィキペディアについてのスレッドでは、「題を付ける」の意味で「命題」という言葉を使っていた人が、この記事を示した上で、言葉を知らない人だとして馬鹿にされていました。私の版では、そのような誤解を事前に防ぐことができます。「課せられた問題」という用法は、辞書に載っていたりいなかったり、さらに誤用だと明示する辞書及び研究論稿もあります。そういったことも、私が調べて記事に載せたんです(私より前に載せていた人もいましたが、文献に基づいていないようで削除されました)。誤用かどうかの論争は、国語辞典を見ても分からないことであり、とても意味がありました。それらがotheruses化で、この記事からのみならず、ウィキペディア全体から消えてしまいました。--カレル・シュタミッツ 2010年11月29日 (月) 16:36 (UTC)[返信]ご返信有り難うございます。すみません、私勘違いをしておりました。過去の版も見ていたのですが、「課せられた問題(課題?)」という意味は「至上命題」の意味として辞書に載っているのかと思っていました。ではなく、「命題」の意味としていくつかの辞書に載っているのですね。有り難うございます。さて、お話頂いた事例ですが…、確かにかわいそうですね(笑)。しかしその原因は、Wikipediaが辞書と勘違いされて使用されたが故の事となりますね。仮に本記事を「ウィキペディアは辞書ではない」の方針から外れて辞書の体で編集したところで、他の殆どの記事では基本方針に則って編集されるでしょう。そうするとWikipediaを辞書と勘違いした人の問題は他の記事でも同様に起こり得る。そうしてその時、例外的に辞書として書かれたこの記事はそうした誤解に一役買うことになってしまいます。従ってやはり賛同できません。--hal* 2010年11月30日 (火) 07:02 (UTC)[返信]

現在の版を支持します。まず、ウィキペディアは辞書ではないということを指摘します。リンク先には「用語の複数の異なる定義や語法を解説するような百科事典の記事はまれです」とあります。そのため、Yhiroyuki さんは辞書であるウィクショナリーにその役割を担わせたのでしょう。本項を曖昧さ回避にするのもひとつの手でしょうけれども、特別:リンク元/命題がざっと見てほぼ(あるいは完全に)全てが本項の主題に関することであることから、それも適切でないと思います。なお、至上命題が本項へのリダイレクトになっていましたが、ウィクショナリーへのソフトリダイレクトにしました。冒頭の Otheruses も(やや変則的ですが){{Otheruses|[[論理学]]、[[哲学]]の用語|その他の用法|wikt:命題}} の方が良いように思います。--白駒 2010年11月29日 (月) 20:29 (UTC)[返信]白駒さんの案に賛同します。Otherusesもこの方がスマートですね。--hal* 2010年11月30日 (火) 07:02 (UTC)[返信]命題という言葉一般についての解説だと誤解されないため、定義文を「[[論理学]]あるいは[[哲学]]において'''命題'''(めいだい)とは……」のようにする、という手もあるかも。とアイデアだけ。--cpro 2010年11月30日 (火) 07:21 (UTC)[返信]アイデアを頂きました。また、公式などと同様に Template:See Wiktionary を用いました。これらに限らず、一般名詞でもある数学用語の扱いって難しいです。数学屋さんだと、一般名詞だということに気付かないことさえあるです。 --白駒 2010年12月5日 (日) 15:40 (UTC)[返信]
2021年1月18日 (月) 11:36版における加筆について

日本語として適切に記述されておらず百科事典の記述として不適切ですので一旦リバートしてあります。問題は「立言」「定立」という語それ自体ではなく、投稿された文字列が日本語の文法構造として正しく記述されておらず、意味が通じないということです。@「或る肯定的判断並びにそれに準じる命題を、立言若しくはそれに準じる方法で具現化すること。」(何について説明しているのか不明)A「そして、それによる肯定的判断」(指示語が何をさしているのか不明)B「両者を定立と呼ぶ」(両者が何と何をさしているのか不明)C「独自の分割に基づく修辞を有している人物」(意味不明の文字列)D「論理学では意味の研究は盛んではない。少なくとも、論理の研究以上に優先されているという状況は存在しない。」(根拠不明の主張。すくなくとも主張を裏付ける、直接的にそう記述された、信頼できる検証可能な引用元が必要。)の5点について改善して頂くようお願いいたします。--大和屋敷会話) 2021年1月20日 (水) 02:54 (UTC)[返信]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef