ノート:吉本隆明/過去ログ1
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意見表明では?

 吉本信者は、吉本の偉さ、凄さを、丸山や埴輪、小林、江藤などとの違いをことさらに述べ立てるが、外部者から見れば、五十歩百歩、どんぐりの背比べでしかないようなことで、実際には争っているといっていい。(実際には、ヘーゲルがどうしようが、漱石がどうしようが、それへの理解が深かろうが、浅かろうが、大した問題ではない)

 そういった日本軍国主義、マルクス主義的(マルクス的)左翼思想にかぶれやすい人たちを熱狂的信者にしたが、これは、吉本の思想の語り方が、宗教的色彩を帯び、かつ詩情をこめているからである。実際には、思想的に一貫性があるとはとても言いがたく、難解な言葉で、煙に巻いているだけだともいえる。山本哲士を中心とする、吉本継承派も、吉本の思想は、一切引き継いでいないが、難解な言葉を弄して、学生相手にいい加減な商売をやる体質だけは引き継いだ、と言える。それならそれとして、匿名の百科事典の場で意見表明されても誰も説得できません。
あまりに辞書百科事典的記述から離れすぎていると思いますので、ご自分の立場を明記したサイトでやるべきでは?--ミウ
2006年5月19日 (金) 15:47 (UTC)

「(江戸時代の気質みたいなものは、本当には吉本は分からないはずである。)」という文がありましたが、「江戸時代の気質みたいなもの」とは一体何か不明であること、それは「父親が東京生まれであればわかる」という理屈には何ら根拠がないこと、また、父親は天草出身と書くだけで三代続いた江戸っ子でないことは明らかであり推測まじりの文をあえて付け加えるまでもないこと。よって削除しました。 --忠太 2006年5月20日 (土) 01:24 (UTC)

思うところと、Wikipediaで求められること

吉本思想がどうであったかではなく,その思想で映し出された現在の世界がどうであったか,または,吉本思想に触れて自分も自身の手で世界への認識を少しでも深めたい,広めたいという意欲を抱けたかということが重要で,別に吉本思想でなくても,誰それの思想であっても同じであり,そのような我々の欲求にこたえてくれるものであれば,固有名詞は問題ではないと思います。

この投稿には制約があるのですか吉本隆明に論理的に批判するのが趣旨なのか。たまたま、定年まじかの人間が懐かしい名前を思い出し生存しているのか確認したかったのでインターネットで検索したらここにあたった。ふと、何か書いてみたくなった。論争する気はなし。吉本隆明の著作を読みながら私自身が哲学的に正邪をとうより、あなたはどうして生きていかれるのか、吉本隆明に聞くというより私自身、どうすればよいのか自問自答しながらサラリーマンとして勤めて30有余年たち、定年近くなりふと吉本隆明の言葉に触れたいと思った。触れたから言って今の十分の琴線に触れるとは思わないが、ひとつの興味があります。--219.123.117.236 2008年6月6日 (金) 11:48 (UTC)私の家には吉本隆明氏の著書が100冊近くありますが、その思想について論じることは本当に難しい。 なぜなら、マルクス、親鸞、ユング、漱石、聖書、フーコー…と、彼の思想を的確に評価するにはそれらにもキチンと当たって、さらに、それに対する反論にも当たって、客観的に論じる必要があるが、はっきり言って吉本氏の文体も難解で、普通の生活を送っている人には不可能です。 そうすると、「信者」か「アンチ」かと云う風に分かれがちです。 本文については少し違和感がありますが、私自身は初期の思想に深く触れていなく、また多くの出典とされている「全集」を持っていないので、少しづつ、気が向いたら編集してみます。(吉本氏の思想理解の助けには、「身体の比較社会学T/U」勁草書房 大澤真幸 著が参考になりました。) --山本山815 2008年12月15日 (月) 06:43 (UTC)
一次資料が多すぎるのでは?こんにちは。早速の加筆、ありがとうございます。本項目もそうなのですが、人物伝は日本語版Wikipediaで弱い分野なので、きちんとした文献に裏付けられた執筆は大いに望まれています。ことに本項目は、「吉本がああ言った、こう言われた」式のエピソードを軽い気持ちで書き加えていく編集者が多いために、散漫な文章になっているところが多々あります。本来ならば、吉本自身が書いたり書かれたりした一次資料ではなく、そうした論争なりやり取りを総括的な記述した中立信頼できる二次資料を用いてまとまりよく書かれなければならないのですがそうなってないのが現状です。Wikipedia:存命人物の伝記などにも留意しつつ、より良い百科事典の執筆をお願いします。--おーた 2008年12月15日 (月) 12:34 (UTC)おーたさんこんにちは。残念ながらご期待に添えるかは怪しい気がします。 というのも上の話で言えば私は「信者」に当たると考えられるからです。残念ながら目を通しているのは一次資料に偏っています。 私の本文の編集はご覧の通りです。 ただ本文は、偏りがあるように思います。 実は引用されている『全集』の内容は、私の持っている文献の半分近くを占めているのですが、出会ったことのない本文記載が多々ありました。(もしくは言葉が同じでも、ニュアンスが相当違う。) 余裕が出来れば「出典」の『全集』にあたり、確認したいと思っています。 ただこれまでの編集者は、「本当に吉本隆明の著書に目を通したのだろうか?」と正直疑問に思ってしまいました。 そして、『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』『ハイ・イメージ論』といった中心的な思想の内容に全く触れず、吉本氏への批判が中心になっています。 批判は必要です。たとえ「信者」だったとしても、称賛内容ばかりでは気持ち悪くて読むに堪えません。 しかし、このページは「吉本隆明」氏のページであるはずです。 まず氏の思想を紹介し、そしてそれについての批判の記述に移るというのが順序なのではないでしょうか?(中立的な観点は、そうすることで得られると考えます。) 「文句ばっかり言ってないで、お前がやれ!」 そうです。私もそう思っています。 しかし、長いスパンでボチボチやって行くことはお許し下さい。(文章が長いですね、努力します。)--山本山815 2008年12月15日 (月) 19:49 (UTC)こんにちは。「本当に吉本隆明の著書に目を通したのだろうか?」と正直疑問に思ってしまいましたとのご意見は、コミュニティとして重く受け止めるべき指摘だと思います。いい加減な引用が結構あることは私自身、ある記事の出典を精査してみて痛感してた点でもあります。本記事の出典に一つ一つ当たりながら、正していくという作業をやっておられる山本山815さんの作業には、敬意を表します。ただですね、申し訳ないんだけど山本さんの本文の書き方は細かすぎるのです。というか、一次資料の引用が多すぎると思います。そうした吉本発言の引用に対して批判者の発言の一次資料引用が付けられ、それに対する吉本の反論が付けられて、、、といった具合に不要な追加編集を誘引し、不要に記事が膨らんで可読性が著しく損なわれるといったことも、Wikipediaでは良くある話ですし、過去に私がこの記事を閲覧したときもそうなっていました。


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