ノート:元号一覧_(ベトナム)
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曖昧さ回避のための記事名

中国・日本の元号などとの曖昧さ回避のためにつける括弧内の文字列について、どのようにしたら良いと思われますか? 『元号はやわかり 東亜歴代建元考』(松橋達良、砂書房、1994年)によると、ベトナム史を通じて同名年号は、以下の2つだけです。

順天 - 李朝(1010年-)、黎朝(1428年-)

大定 - 李朝(1140年-)、陳朝(1369年-)

ということは、これ以外はすべて「ベトナム」あるいは「大越」「越南」などで通してしまうことも可能です。これに対し、中国の元号が「中国」ではなく、各王朝名をつけていることとのバランスから、王朝名とするのも合理的だと思います。ただ、「陳朝」「李朝」というのではそれがベトナムの王朝であることが一目瞭然というわけではない点からちょっと不親切ではないかとも思う一方、「大瞿越丁朝」「大越陳朝」というのも冗長な感があり、結局、どうしたらいいのか分からなくなってしまいました。--oxhop 2007年4月20日 (金) 14:25 (UTC)[返信]難しいですね。どうしましょうか。ベトナムの各王朝の項目の中に、歴代君主と元号の項目への赤リンクがすでに作成されていて、私も手を入れています。君主はすでに立項されているものもあり、李朝は「廟号 (李朝)」、陳朝は「廟号 (陳朝)」、後黎朝は現状では漢字姓名、カタカナ姓名、カタカナ廟号などばらばらとなっています。元号については私が「大越李朝」「大越陳朝」「後黎朝」をつけました。曖昧さ回避が必ずしも分かりやすさを目的にしているのではなく、別の項目と区別できればよいと考えるなら、元号の場合は「ベトナム」で十分なのかもしれませんが、君主記事に連動して王朝名を採る(国号は李朝・陳朝だけつける)のが個人的な好みです(客観的根拠はないです)。すでに天徳 (前李朝)という記事もありますね。--Novo 2007年4月20日 (金) 18:40 (UTC)[返信]事後報告で申し訳ないですが、西暦年記事・曖昧さ回避記事では大定 (李朝)にリンク修正をすすめてしまいました。南宋の元号記事のメンテ中に大定 (金)経由で大定に突き当たり、リンク元をたどってこちらの議論に気付いた次第です。--田英 2007年4月21日 (土) 13:57 (UTC)[返信]「李朝」「陳朝」でもいいような気もします。君主の項目で「李朝」「陳朝」となっているのは、李氏朝鮮の君主には「朝鮮王」がついており、陳朝の君主は諡号なのでバッティングしないからのようです。王朝の記事では「李氏朝鮮」と「李朝大越国」、「陳朝」と「陳 (南朝)」というふうに区別しています。自分の好みにはとくにこだわりませんが、方針を決めておく必要はあると思います。--Novo 2007年4月21日 (土) 14:25 (UTC)[返信]なるほど。では、(前李朝)、(丁朝)、(前黎朝)、(李朝)、(陳朝)、(胡朝)、(黎朝)、(莫朝)、(阮朝)ということにしましょうか。なお、西山朝は該当無しで、胡朝は「紹聖」でたてるなら曖昧さ回避が必要、「紹成」でたてるなら回避不要で該当無になります。--oxhop 2007年4月22日 (日) 13:25 (UTC)[返信]了解しました。李朝大越国陳朝黎朝の元号赤リンクは改める必要がありますね。ベトナム元号は、史料が少ないこと、避諱の研究がすすんでいない(諱に諸説がある)ことがあって、異説が多いので、立項は慎重に考えたほうがよいと思っています。何か網羅的な二次資料を基準にしたほうがいいかもしれません。--Novo 2007年4月22日 (日) 19:54 (UTC)[返信]

専門家の手によるもので、かつ、誰でも参照できる、ケ洪波『東亜歴史年表』に依拠して立項して、関連する記事の中で異説を補充、という形ではどうでしょうか。これなら共同作業もしやすいと思いますので。--oxhop 2007年4月27日 (金) 16:09 (UTC)[返信]はい、基本的に同意しますが、ケ洪波は一番初めの「天徳」を「大徳」としています。「大越史記全書」(正和本。校合本は未確認)では「天徳」でしたので、「大徳」とした例がどこにあるのか調査中です。全体の信憑性を確認するために、他の典拠と対照する時間を少しいただけませんか。--Novo 2007年4月28日 (土) 00:53 (UTC)[返信]わかりました。調査の方、よろしくお願いします。--oxhop 2007年4月28日 (土) 13:19 (UTC)[返信]

用字の異同をごく簡単に調べました。ケ洪波年表と山本達郎年表を対照し、違うところだけ大越史記全書正和本とコンサイス世界年表にあたって確認しました。莫朝末期ははっきりしないものが多いので一応全部見ました。

 ケ洪波山本正和本コンサイス
英武昭勝(李朝)英武昭聖英武昭勝英武昭勝記載なし
紹明(李朝)1138年旧9月1137年旧9月1138年旧10月1137年
寶符(李朝)寶符(注記:『越史略』は貞符)寶符貞符貞符
天資寶祐(李朝)天資寶祐
(天嘉寶祐注記あり)天資寶祐天嘉寶祐天資寶祐
治平龍應(李朝)治平龍應
(治平應龍注記あり)治平龍應治平龍應治平龍應
大治(陳朝)太治大治大治大治
紹成(胡朝)紹成紹成紹成記載なし
天興(黎朝)天興(注記:『明史』は天與)天興天興天興
寶定(莫朝)(寶定 1592)記載なし(寶定 1592年旧12月)記載なし
康祐(莫朝)(康祐 1593)記載なし(康祐 1593)記載なし
乾統(莫朝)(乾統 1593?1625)乾統(1593?1625)(乾統 1593年旧3月?1625年旧6月☆)記載なし
隆泰(莫朝)記載なし記載なし記載なし記載なし
順コ(莫朝)(順コ 1638?1677)(順コ 1638?1677)(順コ 1638年旧正月☆?記載なし)記載なし
コ元(黎朝)記載なしコ元(1674年旧10月?1675)コ元(1674年旧10月?1675?)コ元(1674?1675)
泰コ(西山朝)泰コ(1778?1788年旧11月)記載なし記載なし記載なし

※元号がカッコ内に入っているものは私年号扱い ☆大越史記本紀続編(景治三年版)

変換が面倒なので区別しませんでしたが、山本とコンサイスは日本略字体です。なお、ケ洪波に記されている改元の月は、山本ではもっと詳細に載っています。

紹成については、紹聖とあるのは今のところ松橋達良しか見ていませんが、彼がなぜ紹成をとらないのかはわかりません。隆泰も松橋にしか出ていません(ほかの史料をあたってみるべきですね)。松橋の本は異説に詳しいですが出典明示が十分でなく、また全体に誤字や誤解が散見されるので、私個人は依拠できないと判断しています。


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