この記事は2009年11月9日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 利用者:青鴉/人工言語
本文の更新とノートの過去ログ化について
本文の更新について
2007年6月以前で提案された「保護解除に関する議論」及び「個々の言語の掲載を求める書き込み」を過去ログ化(もしくは削除)することを推奨します(「人工言語掲載基準について」は今後のために、そのままにしておいてください)。こちらについても、編集される方がどなたもいらっしゃらなければ私が行ないます。
以上に関し、異論のある方は代わりのご提案をお願いいたします。--クロ 2007年10月25日 (木) 05:31 (UTC)[返信] 現在、「人工言語野」は閉鎖されており、(URLこそ変わらないものの)別サイトへジャンプしますので、リンクを解除いたしました。また、中立かどうかは判断いたしかねますが、人工言語に関するサイトということで、新規にリンクを3つ追加いたしました。これらを削除しても私は差し戻したりしませんが、「人工言語野」はリンク解除のままにしておいてください。--クロ 2007年10月24日 (水) 17:37 (UTC)
利用者:青鴉/人工言語より概要・歴史などの記事を追加しました。--青鴉 2007年10月27日 (土) 03:52 (UTC)[返信]
外部リンクの更新について
「本文の更新について」を提案いたしましたので、これが解決するまで本文の「差し戻し」、「削除・変更」はお控えください。仕切ってしまって申し訳ございませんが、くれぐれも、これに異論のある方は代わりのご提案をお願いいたします。--クロ 2007年10月25日 (木) 05:31 (UTC)[返信] 久しぶりにこちらに書かせていただきます。個々の人工言語の(それもネットにしか存在しない)掲載が認められないのであれば、「新生人工言語論」はいかがでしょうか?書籍では存在しないものの、いまや韓国でも知られています。人工言語作成に関する事典として、ウィキペディアに掲載されるに足るかと思われるのですが、皆様のお考えをお聞かせいただけたらと思います。--クロ 2007年5月22日 (火) 16:30 (UTC)
「新生人工言語論」はどこに掲載できますか?
新生人工言語論は少なくとも2chにおける堂々巡りの議論を沈静化させた実績があると思います。ウィキペディアに載せれば人工言語の前提知識として界のレヴェルを底上げする効果が上がるかと。(ただ何年たっても「新生」というのは語弊があるので、全体としては「人口言語学」の方がいいかもしれませんが)--末広 保護解除議論で出た掲載基準の案を以下にまとめておきます。 架空言語について 私は、商業出版された書籍が存在するから、というのは独自研究でない言語だという根拠にはならないと考えますが、どうでしょうか?典拠にはなりますが、独自研究でない、というのはそういうことではないと思います。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月3日 (土) 17:10 (UTC)
人工言語掲載基準について
ネット上だけの人工言語はWikipediaに掲載すべきでない
独自研究でないことが必要(公理?)
内容に基づいて掲載・考慮の対象とする(却下?)
Wikipediaは人工言語の内容を検討する場ではない(合意成立?)
実績ある言語研究団体から言語として認められている
商業出版された書籍が存在する
商業出版された作品中の言語であることが最低条件
独立した記事とするには、言語資料が商業出版され、確認できることが必要
条件を満たさないならば作品の項目中に書くに留めるのが適切
社会的に広く認められていない人工言語と、WP:NORで問題にされている独自の調査・研究・解釈との間には大きな隔たりがあるので、NORの基準をそのまま用いるのは不適当だと思います。第一に、独自の調査・研究・解釈はなにかを主張するものですが、人工言語はそうではありません。例えば、トキポナの作者は「トキポナという言語が存在し、その特徴は…」と主張している訳ではなく、言語仕様そのものをwebで公開しているのです。従って、トキポナという言語が存在するということは、webにアクセスできるなら誰にでも簡単に確かめられる事実であり、決して独自の研究ではありません。このあたりは、web上で公開されているソフトウェアに関する記事と事情が似ていると思います(例としてSylpheedを挙げておきます)。また、関連文書としてWP:V#自主公表された情報源:公式サイトがあります。第二に、「自説に(または贔屓の人工言語に)注目を向けたい」という動機の投稿がなす害が、独自の調査・研究・解釈の場合と比べてずっと軽微です。例えば、歴史上の事件についての珍解釈が記事中で幅をきかせたり、物理的な現象についての記事に取るに足りない個人理論に依拠した解説がつくようでは、百科事典として使いものになりませんが、(極端な例として)誰も興味を持たない個人言語の記事が作成されても大きな害はありません。(もちろんコストがゼロだと言っている訳ではありません。記事が増えれば例えば保守は大変になるでしょう)。この二点を勘案すると、例えば「実績ある言語研究団体から言語として認められている」という基準は厳しすぎてWikipediaがこの分野で豊かに発展するのを阻害し、益が少ないと思います。最大の費用対効果のためには、掲載の基準をずっと低くとるべきだと考えます。具体的には、根拠に乏しい荒っぽい基準ですが、「webのみで発表されている言語については、独立した複数のサイトで研究・紹介されているものに限る」というものを思いつきました。 -- Lalx 2007年2月13日 (火) 08:38 (UTC)[返信]
NORの存在意義を考えれば、Wikipediaで人工言語の内容を検討することは不適切だと考えられます。つまり、私たちに必要なのは、内容に踏み込まずに、記事の乱立を防ぐためのの基準です。