--⇒Shougiku Wine
2006年2月1日 (水) 19:23 (UTC)[返信]現在、「[[alphabet(日本語へのリダイレクト)]]([[日本語]]、[[:en:alphabet]])」となっていますが、日本語版でアルファベットが最初に書いてあるのは違和感を覚えますし、やや冗長に感じますので「[[日本語]] ([[:en:alphabet|]])」としたほうがよいように思います。(五十音順に並べ替えるべきというわけではありません。)注意書きが本文にもコメントアウトもされていますし、原語表記されていればアルファベット順というのもわかるかと思うのですが。--BitBucket 2006年2月2日 (木) 06:39 (UTC)[返信]
こういうのは適切ではないですね。原語で記事をたてないことになっていますので、そもそも不要ですから、現在あるリダイレクトも削除依頼に出す必要があります。また、英語版へのリンクですが、日本語版の記事があるものはその記事から他言語にリンクがありますので、ここに記述する意味はありません。よって、日本語の記事があるものについては「* [[日本語記事]] 」、ないものについてのみ「* [[日本語]] ([[:en:alphabet|]])」とすべきです(日本語版ができ次第 ([[:en:alphabet|]])を撤去で)。というか、そもそもこれらの膨大な一覧自体まったく必要がない(現在の字引的な説明を充実させるほうが先決)のでばっさり削除で良いと思いますけれど。sphl 2006年2月2日 (木) 09:28 (UTC)[返信]何度か「* [[日本語]] ([[:en:alphabet|]])」の順に直しましたが、そのつど英語版のコピーに戻されてしまいます。Shougiku Wineさんの考え方は納得しかねます。まず、アルファベット至上主義がよく分かりません。「ヴィルトゥオーゾの姓名はアルファベットで綴られるから、アルファベットを尊重すべきだ」「多くの場合にカタカナ表記された日本語読みは、正しくない」と言いますが、日本語としてアルファベットを用いるときは、それはローマ字である場合か、あるいは(バンド名やブランド名のように)意匠的な場合のいずれかでしょう。もちろん、カナ表記の外国人名に不適切なことが間々あるのは事実ですが、それを言ったら外国人がローマ字の日本語を「正しく発音できない」ことがあるのですから、お互い様です。また、すでに日本語版の項目がある場合にも、英語版がリンクされるのは、日本語版の執筆者に対して礼を失していると思われます。それから、英語版でヴィルトゥオーゾとして上がっている人名は、いくつか問題があります。@ハイドンがリュートの超絶技巧の名手だったとなっていますが、間違いではないでしょうか。あるいは事実だったとしても、わざわざ取り上げるに値するほど有名な常識でしょうか。A日本人のクラシックのアーティストが少なすぎ、このままでは日本語版として通用させることはできません。Bクラシックのアーティストについて、アメリカ偏重のきらいがあります。たとえばパールマンは下手なヴァイオリニストではないにせよ、超絶技巧の持ち主とまで言えるでしょうか。それだったら、アッカルドとか、ほかに適切な例はいくらでも挙げられます。最後に、「■投稿する前に以下を確認して下さい■/あなたの文章が他人によって自由に編集、配布されることを望まない場合は、投稿を控えて下さい。」と書かれていることを、Shougiku Wineさんに確認していただきたいものです--- 間久部緑郎 2006年2月2日 (木) 13:46 (UTC)[返信] 一見したところでは以下のことが気になりました。
この項目に関して
まず、ヴィルトゥオーゾとして誰を載せるか、載せないかは典型的なPOVで、この記事の個別人名列挙自体、不適切ではないのかとの思いを禁じえません。もちろん、セルゲイ・ラフマニノフがヴィルトゥオーゾの一人であることに異論はありませんし、ジョルジュ・シフラは私でも挙げる名前です。フランツ・リストもそうであった、というのは同時代の文献を読んでも間違いないところです。しかし、20世紀後半以降の、録音の多く遺された演奏家で、ここに挙げられていない人名を私でも50人か100人追加することができそうに思うのです。そんなリストに何の意味があるのでしょう。
"their real names should be respected"という松菊ワインさんの説は不可解です。例えばラフマニノフならСергей Васильевич Рахманиновが尊重されるべき表記になるんですが、可読性の点で問題が大きいと思います。
「特にクラシック音楽界においては、ヴィルトオーソ自身が、他の極めて優れた音楽家を何らかの形でヴィルトオーソと公認することで新たなるヴィルトオーソを誕生させていき、そうやってヴィルトオーソ自身の持つ権威が受け継がれ、緩やかに世代交代していくという伝統がある」の部分に関しては、そのような個別例はあるにせよ、それが「伝統」とまでなっているのかどうか、私には疑問があります。
「ヴィルトゥオーゾ」という言葉の語源、19世紀のピアノ、ヴァイオリンなど数例の典型例(例えばサラサーテは多くの作曲家をインスパイアした、リストやショパンの華麗なテクニックはピアノという楽器の進歩と密接に結びついていた,云々)を残して、あとはばっさりカットする、というのはどうでしょうか。--にごう 2006年2月3日 (金) 13:26 (UTC)