ノート:マリー・アントワネット
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202.252.104.67氏の「フェルゼンと恋におちる」との表記は、その最後に何の脈絡もなく書かれていましたが、「『スウェーデン人貴族、フェルセン』は、14歳で政略結婚させられたアントワネットの、後に愛人となった人物」で、ヴァレンヌ事件となった、国王一家逃亡に自腹出資したのです。表現は短かすぎて稚拙に感じるかもしれませんが、「いたずら」まではいかないと思います。彼がここまで書かなかったことが、誤解の元凶ともいえますが...。 WR 2004年7月4日 (日) 06:40 (UTC)[返信]前後して同一IPからフランスに明らかないたずらの書込みがあったので同様にいたずらと判断いたしました。史実に思い至らなかったのは事実ではありますが...--KZY 2004年7月5日 (月) 15:07 (UTC)[返信]フランス、履歴をみました。無意味な行為があった後に書き込みをされると、実際、落書きにみえます。自分も偶然、寸前にフランス革命関係のTV番組を観ていなければ気付かなかったと思います。ここでは記事のしようがない為(歴史上の人物の不倫関係を書くとキリがないので、)一応、歴史の事典を確認した上で、愛人が重要な位置を占めている、ヴァレンヌ事件の方に書きました。 WR 2004年7月5日 (月) 23:03 (UTC)[返信]

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃないの」を発言したのは、ルイ15世の内親王ヴィクトワールです。アデレイド内親王ではありません。なお、このヴィクトワール内親王やアデライド内親王は『ベルサイユのばら』でも登場していて、ルイ15世の愛人デュ=バリー伯爵夫人に対抗するためにアントワネットに入れ知恵する意地悪おばさん3人組として登場します。--Eroica 2006年8月15日 (火) 02:39 (UTC)[返信]

--211.124.11.62 2008年5月25日 (日) 03:05 (UTC)マリー=アントワネットはマリー=アントアネットとも言います。[返信]


目次

1 出典について

2 全名について

3 概要について

4 編集について

5 ソックパペットの可能性があるアカウント

6 参照文献の整理について

出典について

タンプル塔では、幽閉生活とはいえ家族でチェスを楽しんだり、子供の勉強を見るなど、束の間の家族団らんの時があった。10皿以上の夕食、30人のお針子を雇うなど待遇は決して悪くなかった。
「異国へ嫁した姫君たち」マイケル・ケント公妃マリー・クリスチーヌ(糸永光子訳) 時事通信社ISBN 4788789447 に記載あり --
ムーチミン 2008年4月5日 (土) 10:08 (UTC) [返信]
全名について

導入部に全名として「Marie-Antoinette-Josephe-Jeanne de Habsbourg-Lorraine d'Autriche」があげられていますが、「de Habsbourg-Lorraine」と「d'Autriche」は同時に用いられるものでしょうか。
正式な家名(のフランス語表記)は「de Habsbourg-Lorraine」であるが一般に「d'Autriche」(「オーストリアの」)の名前で呼ばれている、つまり「全名はMarie-Antoinette-Josephe-Jeanne de Habsbourg-Lorraine。一般にはMarie-Antoinette d'Autricheの名で知られる」のような表記が適切なのではないかと。
どなたか詳しい方がいらっしゃいましたらご確認いただければ幸いです。
--
Nao Costas会話) 2020年12月24日 (木) 03:06 (UTC)[返信] 日本ではマリー・アントワネットとルイ16世妃の彼女を主に指しますが、ドイツ語圏で使用される女性名で18世紀にも同名の方(例:神聖ローマ皇帝の皇女のマリア・アントーニア・ヴァルプルギス・フォン・バイエルン)がいらっしゃるので、ページの改名を提案し国名を入れる形で「マリー・アントワネット・ドートリッシュ」、導入部に全名としては家名での表記「マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アプスブール=ロレーヌ(フランス語名:Marie-Antoinette-Josephe-Jeanne de Habsbourg-Lorraine)」がよいかと思います。

「de Habsbourg-Lorraine(家名)」と「d'Autriche(国名または土地名)」は同時に用いることはほぼないかと思われます。--Ka-i-ka-zu(会話) 2021年11月23日 (火) 14:46 (UTC)[返信]
概要について

概要のマリー・アントワネットの性格についての記述ですが、山上正太郎先生のマリー・アントワネット評のみの記述となっており、他のフランス史学研究者や同時代の人物が残した記述などをソースも含めて併記し、最新の学術研究を踏まえて中立性を確保すべきと考えます。また、フェルセンとの手紙の内容に関しては現在も研究が進んでおり、フェルセンはルイ16世にとっても良き相談相手であったと考えている研究者が国内外に存在するため、「情愛に溺れた」という表記の仕方が過剰であるとも思えます。ぜひ、お詳しい方に議論いただき、より良い記事の作成をしていただきたいと考えております。 Hkrk05(会話) 2021年11月15日 (月) 12:54 (UTC)[返信]山上正太郎先生は2010年に没されており、先生のマリー・アントワネット評はかなり古いと推察できます。さらに、NDL onlineで調べてみましたが、山上正太郎先生の著作にマリー・アントワネットその人を取り上げた伝記がないようです(ナポレオン・ボナパルトの伝記はありました)。なので、山上先生のどの著作からマリー・アントワネット評を採用したのか知りたいところです。場合によっては、先生のマリー・アントワネット評そのものも中立性の観点から疑問符がつくと思われます。


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