ノート:ハワード・フィリップス・ラヴクラフト
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ラヴクラフトとソニアの関係

「H・P・ラヴクラフト大事典」によると、ラヴクラフトが離婚の書類に署名しなかったため法律上は離婚していないとあるのですが、どうでしょうか。
ソニアはその後別の男性(恐らくデイヴィス氏)と結婚していますが、事実上これは重婚らしいです。
--Gennpakucthulhu
会話) 2013年10月24日 (木) 11:45 (UTC)[返信]
改名提案 (2004)

記事名ですが、ラヴクラフトの表記の方が一般的だと思うのですが・・・HassY 17:55 2004年3月6日 (UTC)

自分でも何言ってんだかわからんので追記:つまり、記事名変更(移動)の提案です。HassY 11:06 2004年3月8日 (UTC)

移動しました。青心社クトゥルーシリーズ・国書刊行会版全集ともに「H.P.ラヴクラフト」です。こういうときは ⇒http://books.or.jp か NII opac で調べると便利ですよ>一般的表記 Aphaea11:10 2004年3月8日 (UTC)ありがとうございました。確かに書籍等では「ラヴクラフト」表記ですが、ここに投稿している方々の考え方はどうなのかなと思ったもので。 HassY 03:38 2004年3月9日 (UTC)

フィリップスなのでは?NiKe 02:56 2004年5月21日 (UTC)確かにフィリップスのようですね。書籍などでもH.P.ラヴクラフトと略される場合が多いので気付きませんでした。 HassY 02:05 2004年5月23日 (UTC)やはり。では、記事名の変更を提案します。NiKe 06:19 2004年5月23日 (UTC)創元推理文庫「ラヴクラフト全集1」の訳者あとがきでフィリップスとなっているのを確認しました。移動に賛成します。Carbuncle (talk) 00:11 2004年5月24日 (UTC)ご参考までですが、ジャック・サリヴァン編(高山宏・風間賢二日本版監修)『幻想文学大事典』(国書刊行会、1999年2月。ISBN 4-336-04108-3)でも、項目名は「ラヴクラフト, ハワード・フィリップス」です。222.150.230.89 00:36 2004年5月24日 (UTC)

それでは、記事を移動してよろしいでしょうか? 特に反対が無ければ今夜にでも。NiKe 22:43 2004年5月28日 (UTC)

移動しました。さて、リンク元をチェックするか……。NiKe 01:09 2004年5月30日 (UTC)遅ればせですが、お疲れ様です。--Aphaea 2004年8月6日 (金) 14:23 (UTC)[返信]



経歴節に記載の引用文について (2006)

>『そは永久に横たわる死者にあらねど、/測り知れざる永劫のもとに死を超ゆるもの』
これはどういう文章なのでしょうか。前後の文脈から全く判断できないのでラヴクロフトについてこれから調べようと思っている自分にはサッパリわかりません。わからなきゃ自分で調べろ!というつもりであれば百科事典にそんな記事を書いてほしくない。調べる道具が百科事典でしょう。--222.7.248.221
2006年5月29日 (月) 09:57 (UTC)[返信]狂えるアラブ人アブドゥル・アルハズレッドの著書「ネクロノミコン」から引用されている詩句です。『クトゥルフの呼び声』に登場します。--Nipisiquit 2006年11月18日 (土) 22:04 (UTC)[返信]確かに、この詩句が経歴のところになぜ(何の説明もなく)記述されていなければいけないのか、その理由が判りません。説明をつけるか記述を削るべきではないでしょうか。また、前後関係からいくと(この項目への記述については)引用ではなく利用のような気がします(う?ん、初版からありますね)。 By 健ちゃん 2006年12月31日 (日) 05:36 (UTC)[返信]失礼しました。前のコメントで、アブドゥル・アルハズレッドも「ネクロノミコン」もラヴクラフトの創作であることを書き忘れていました。ファンなら知っている事実だと思いますが、百科事典にはふさわしくない記述でしょうか。注釈をつけるべきかな。--Nipisiquit 2007年1月2日 (火) 16:00 (UTC)[返信]百科辞典としてはやはり、この詩句を残すのであればなんらかの説明をいれるべきだと思います。ただ、「『ネクロノミコン』の一節」というような説明では「なぜ」ここに記述されているのかという理由が判らないので、そのあたりも入れたものが欲しいですね。また、著作権に関しても、原文はともかく訳文については保護期間ではないでしょうか。その点でも引用としての要件を満たす必要があるのではないでしょうか(とはいえ今修正しても初版からあるという事は最悪は全削除‥‥‥)。 By 健ちゃん 2007年1月3日 (水) 13:23 (UTC)[返信]この詩句を置いておくとすると長たらしい説明を加えることが必要となりそうですし、これがこの項目にあるのはどうしても不自然なようですね。ネクロノミコンが存在しているのでそちらに移すのが妥当かも知れないと思うのですが、いかがでしょうか。--Nipisiquit 2007年1月3日 (水) 13:57 (UTC)[返信]英語版によれば、この詩句は時折ラブクラフトの墓碑に書き込まれているそうです。ファンからの手向けといったところなのでしょうか。日本語版はその説明が抜けているのでなんだか分からなくなっているんですね。 -- NiKe 2007年1月3日 (水) 15:14 (UTC)[返信]英語版から墓碑についての記述を翻訳し、詩句を移動してみました。--Nipisiquit 2007年1月17日 (水) 14:38 (UTC)[返信]
ラヴクラフトの政治思想について

定本ラヴクラフトの書簡部分にヒトラーの「我が闘争」を友人に絶賛している部分がある。wiki本文と矛盾するのだが、文面が編集しずらいのですがどうしたら良いか分からない。

同じく定本ラヴクラフトの書簡部分にソビエト社会主義連邦の大批判がある。「アングロサクソンには到底受け入れがたい思想であり、共産主義者は私を平和の破壊者などと批判してくる。私は自由な創作活動が出来ればあんなものが存在しても痛くも痒くもない」と友人に手紙を送っている。wiki本文に晩年社会主義にとあるが友人への手紙の内容と矛盾するが、晩年なので和解したのかそうでないのか判明しない。この編はどう編集したらよいだろうか?

--ハムスター218.118.233.127 2011年5月27日 (金) 21:42 (UTC本文に上記の内容を()で囲み文章挿入をしました。定本ラブクラフト全集の書簡部分なのですが、出典先リンクの仕方がいまいちわからないのでお願いします。10巻です。

--ハムスター218.118.233.127 2011年5月30日 (月) 08:30 (UTC)[返信]何度か見に来るのですが、私が記入した項目がノートに表示されないのはなんで何でしょうか?あといくつか本文の内容とラヴクラフト書簡においてラヴクラフトが語ってる内容と異なる内容がるのですが、晩年になって考え方を大きく変えたという話は聞いた事が無いのですが、その辺はどうなのでしょうか?この辺りは自己研究になるので編集には問題かるかなと思って、詳しい人にその辺が書いてある書物があるか聞きたいです。無い場合はやはり、書簡ではこう述べていると言う書き方の方がいいのでしょうかね?

--ハムスター218.118.233.127 2011年6月1日 (水) 04:33 (UTC)[返信]

失礼ですが、それは何年何月何日付の手紙なのでしょうか? 『定本ラヴクラフト全集』書巻篇の基となったアーカムハウスの書簡集全5巻を確認してみたのですが、ラヴクラフトの友人のヘンリーというのが何者かもわかりませんでした(ヘンリー・S・ホワイトヘッドもしくはヘンリー・カットナーのことかと思ったのですが、そうでもないようです)。たぶん私の見落としだと思うのですが、より正確な典拠をお願いします。心苦しいのですが、くだんの追記はいったんコメントアウトとさせていただきました。--221.170.131.222 2011年6月11日 (土) 12:27 (UTC)[返信]ラヴクラフト自身がロシアおよび社会主義、特に共産主義を否定している手紙は何通かあるのですが、全て探すのが面倒なので一通例に上げます。定本ラブクラフト全集10巻の150通目 P55?P60 ヘンリー・ジョーンズ・ワトソン宛1931年6月5日です。内容的には友人の意見を受け入れつつもアンチテーゼの形で共産主義の考え方を否定しいるものです。「ロシアは、紛れもなく、アングロサクソン人が到底手本にすることができない国なのです……。」と云う手紙の最後の文を見ても分かる通りソ連を受け入れてはいません。

--ハムスター218.118.233.127 2011年6月20日 (月) 10:04 (UTC)[返信]どうも、221.170.131.222です。ウィキペディアのアカウントを取得いたしました。以後よろしくお願いします。ハムスターさん、ご教示ありがとうございます。ひとつ指摘させていただくと、ヘンリー・ジョーンズ・ワトソンではなくヘンリー・ジョージ・ワイスが正しいですね。さて、その手紙が書かれたのが1931年であることを念頭に置きつつ、以降のラヴクラフトを見ていきましょう。1934年10月28日付のクラーク・アシュトン・スミス宛書簡(アーカムハウスの書簡集第5巻所収)より「ソビエトには、西側諸国が見習うべき点が多々あります」「財力を得ることのみが人間の価値を決めるというブルジョアの理念をかつて封建主義者として否定したように、今日の私は社会主義者として否定しております」1935年2月10日付のロバート・バーロウ宛書簡(O Fortunate Floridian 所収)より「1931年以降、私は社会主義者と呼んでも差し支えないであろう存在になっております──あるいはロシアではボルシェビキと区別してメンシェビキと呼ばれることになるかもしれません」1936年8月に書かれたC.L.ムーア宛書簡(アーカムハウスの書簡集第5巻所収)より「本物の社会主義が求められている状況なのに、この期に及んでもルーズヴェルト大統領は気が進まないようです」「産業的に機械化された世界においては、社会主義は不可避です」ですから、ソビエト連邦はアングロサクソンの手本にはならないとラヴクラフトが1931年に発言していたことを記述するのであれば、自分が社会主義者であると後に認めたことや、米国においても社会主義が実現すると確信するに至ったことも一緒に書かないといけないでしょう。なお前述のワイスは社会主義シンパであり、晩年のラヴクラフトが社会主義に傾倒したのには彼の影響もあったのかもしれないとS.T.ヨシはAn H. P. Lovecraft Encyclopedia で指摘しています。--Nephren-Ka 2011年6月20日 (月) 12:53 (UTC)[返信]ゆえに「社会主義が台頭し始めた当初は」と云う言葉を付けておいたのですが。1931年時点ではと直しておきます。いろいろな面でラヴクラフトの考え方が180度変わったと思われる、内容が少々ありますがそれは他の人に任せます。--ハムスター218.118.233.127 2011年6月22日 (水) 11:56 (UTC)[返信]まず、ラヴクラフトが社会主義に転向したのがワイスの影響によるものだというのはヨシの推測に過ぎないので、断定しないでください。また1931年6月5日付のワイス宛書簡からの引用ですが、原文を確認したところ「共産主義者は私を平和の破壊者などと批判してくる」という記述は見当たりません。「貴族主義の伝統は無条件に存続するべきだと盲信している人々と私が議論するのをごらんになりさえすれば、私の理念や心情が陳腐からは程遠いものであることがおわかりになるでしょう。そのような反動どもは私のことを絶望的なまでに非人間的な半ボルシェビキと見なしているのです!」(If you ever saw me arguing with the blind upholders of an aristocratic tradition for its own sake, you would realise how far from stereotyped & derivative my own ideas & sentiments are. Such reactionaries regard me as a hopelessly non-human semi-bolshevik myself!)という逆の記述ならあります。


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