ノート:チンギス・カン
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英語版からのコピーについて

(ほかでも同じ事を書きましたが)こういうほとんど未翻訳の英文を載せるのは、一般の記事ではヤメにしませんか? まだスタブの方がましだと思います。全部、日本語にしてから載せましょうよ。あるいは訳した文だけ載せるとか。るがこむ 20:10 2003年6月27日 (UTC)
問題点と推敲

差分を見ても僕がどの部分を直したか全然わかるようになっていないので、問題があるかも知れない箇所などを挙げておきます。専門用語や固有名詞にうといのでそれらについてはあまり変更していません。(というかできないです。)また、変更しなかったものの気になった点を少し挙げておきます。知識のある方が推敲する際の参考になれば、と思います。
帝国の建設のセクション


1段落目

この称号は世界を支配する者という意味を持つ。 という訳文を追加。英語ではUniversal Rulerとあり、いろいろな形に訳せそうです。


2段落目

2文目の言い回しを少々変更。時制など。dominionを支配力と訳し変えましたが、適切ではないかも知れません。


3段落目

最後の2文の言い回しを少し変更。developed technique は攻城法を編み出した、というぐらいの意味ではないかと思うのですが、戦術を発展させたとやや抽象的なままにしておきました。自信ありません。


4段落目

直さなかったところなのですが、「モンゴル軍は三軍に分かたれて」は原文ではwith three armies なので、3部隊を率いて、みたいな意味もありうるのではないかと思いました。が自信がないのでそのままにしました。

また、西夏(カラ・キタイ)とありますが、他のウェブページでは西遼(カラ・キタイ)という表記も見ました。西夏は誤記である可能性もあると思うのですが、自信はないので一応ここに書いておくにとどめます。


5段落目

モンゴル軍の到来によって内乱が触発され とありますが、原文では agentという語が使われています。これは何か密偵とか工作員の類を連想させる語なのですが、これまた自信はないのでここに書いておくだけにします。

Tomos 23:13 2003年8月6日 (UTC)

残りの部分も訳文を推敲しました。今回は原文を消さなかったせいで変更点がわかりやすいと思います。ちょっと急いでいるので今回はこれまで。Tomos 23:32 2003年8月6日 (UTC)Tomosさんが推敲で保留にされていたところを直しました。四段落目は『モンゴルの歴史』(宮脇淳子著)に「1213年、モンゴル軍は三軍にわかれて南下し、90もの都市を略奪した」とあったのでとりあえずそのままにしておきました。最後の節はほとんど自信がないので推敲してもらいやすいよう英文を残しておきます。Safkan 07:21 2003年8月7日 (UTC)

1段落目

「チンギス」は岡田英弘の「世界史の誕生」によれは、「烈しい、厳しい」という意味のトルコ語だそうです(Webで誰か他の人の裏づけはないかと思って探しましたが見当たりませんでした。岡田サンは結構独特の説を唱える方なので..でもモンゴル史は本職なので一応信用。)。ただし彼が即位するときには、天を治める存在から天命を受けて地上の支配者となる、というような宣託を受けたそうですから、「世界の支配者」というのはそういう意味で書かれと考えられます。それを現す漢語はちょっと見当たらないようで、ちょっとどう書けば良いのか私も思いつきません。sphl 10:27 2003年8月7日 (UTC)
源義経前身説について

義経のことは義経の項だけに書いて、ここに書くべきではないと思いますが。らりた 2005年7月17日 (日) 13:36 (UTC)[返信]本文にくっつけてみて、かつ隠しておきました。Safkan 2006年4月15日 (土) 13:08 (UTC)[返信](上の続き)あ、履歴をみて既にらりたさんの意見を受けて編集されたあとだと気づきました。うーん、削りすぎましたかね? 個人的には、全部が源義経の項にあれば十分な程度の情報だと思うんですが。Safkan 2006年4月15日 (土) 13:12 (UTC)[返信]
歴史的評価

を書き出してしまうと、また主観を書き込んでしまう人が出てくるのかもしれませんが、個人的にちょっと評伝(岡田さんの)を読んでいて参照にしまして、ソ連時代の評価とか歴史的評価の変遷がまとめてあってくれれば良いなと、ちょっと感じました。編集には協力できませんが、一利用者の意見として。--でここ 2006年5月4日 (木) 23:18 (UTC)[返信]
チンギス・ハーンのアラビア文字表記

以前「チンギス・ハーン」のアラビア語、ペルシア語表記を書き込んだ者ですが、先月の半ばにその部分が殆ど削除されていることを最近知って大変驚きました。「チンギス・ハーン」の表記についてなるべく13、14世紀の原資料や現在までに刊行されている校訂本などの綴りに従って書いたつもりだったのですが、あまり煩雑になってはいけないと中途半端な書き方をしてしまったせいか、とても残念です。この綴りを踏まえて、ひと昔前まで使われていた「ジンギス・カン」がなぜ現在研究者の間で「チンギス・カン」と書かれるようになっているのかとか、「チンギス・『ハーン』」とどう違うのか、研究者によって表記がまちまちなのはどうしてかといった問題を、アラビア語、ペルシア語文献や、ウイグル式モンゴル文字やパスパ文字モンゴル語の資料などの最近の研究を踏まえて一項目書こうかと思っていたのですが、それも煩雑になりそうなので必要無いでしょうか? あるいは別にコンテンツを作って書いた方が良いでしょうか? --Haydar 2006年5月23日 (火) 16:29 (UTC)[返信]個人的には「あり」だと思います--toroia 2006年6月5日 (月) 17:05 (UTC)[返信]ざっくり削った張本人です。まず、日本語の百科事典でモンゴル人の名前のペルシア語表記を細かく論ずる必要があるのかと考え、また、正直に申し上げると、百科事典の1項目であまりこまごまと論証するのは煩雑だと判断したという次第です。削ったあと、6月に入ってから改めて「名前」という節を増やしましたが(この時点ではこのノートに気付いてませんでした。すいません)、この内容では少ないでしょうか? なお、「カン」と「ハン」と「ハーン」 についてはここよりハーンで論じたほうが良いと考えます。Safkan 2006年6月7日 (水) 12:33 (UTC)[返信]
ハーンとカンについて

ノート:モンゴル帝国に於いてハーンの称号について、当時使われていた適切な語に改める旨の合意がなされました。ですのでこの項目をチンギス・カンに移動したいと思います。一週間をまって実行します。文中の用語に関しては移動が終わってからにしたいと思います。先述の合意自体に反対の方はご意見をお願いいたします。らりた 2008年3月16日 (日) 11:56 (UTC)[返信](賛成)コメントが遅れて大変申し訳ありません(汗 ノート:モンゴル帝国でも述べました通り、項目名をチンギス・カンへの移動に賛成です。Haydar 2008年6月9日 (月) 16:09 (UTC)[返信](追記)ノート:モンゴル帝国でも述べました通り、「チンギス・ハーン」と「チンギス・カン」などの記述の揺れについての事情は、ある程度項目に反映した方が良いように思いますので、定義部分の形式も含めチンギス・ハーン#名前の大幅な改訂、少なくとも他のモンゴル皇帝、王族たちの項目の書式との整合性をつけるような措置はやはり必要かと思います。


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