ノート:ガリレオ・ガリレイ
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この「ガリレオ・ガリレイ」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。

日付選考・審査結果
1.2004年2月29日秀逸な記事認定選考制度以前の認定
2.2010年5月8日秀逸な記事の再選考維持
3.2015年10月6日秀逸な記事の再選考除去

(自分で書いておいてなんですが)ガリレイという略し方の部分を全部ガリレオに変えました。また、振り子の長さと周期に関する記述をはずしました。これについては根拠も出せるのですが、それが信用できるのかどうか若干自信なくなってきた(笑)。Modeha 05:51 2004年3月23日 (UTC)
業績

業績の部分なのですが、力学史的にみると、次のものはどれも重要だと思います。1。落体の法則で、質量に関係ない、ということのほか、もっと定量的な関係、つまり速度と時間が比例し、したがって距離が時間の二乗に比例することも示していると思います。そして、その仕事が、スコラ哲学のマートン・ルールの特殊例になっていること、にもかかわらず、ガリレオの発見はそれとは独立になされたらしいこと、も重要だと思います。2。また、投射体の運動の法則を明らかにしたこと(勿論、空気の抵抗や地球の自転などの効果を無視した上でですが)はとても重要だと思います。 なぜなら、2。1 アリストテレスの運動学の最も明らかな欠点が投射体の理論だった。(力が加わり続けないと物体は動き続けない、ということに明らかに反している)中世の運動学の発展は、投射体の理論の修正と運動学の定量的記述の模索、という二本の柱からなっている。その総仕上げ的意味合いがある。2。2 投射体の理論の導出は、その運動を水平方向と垂直方向に分解し、垂直方向は落体の法則から、また水平方向は慣性の法則による等速直線運動と求めて、最後に合成する、というものだった。この手法、つまり運動を慣性運動とそこからのずれに分解するという手法は、フックを通してニュートンにも影響を与えました。(この手法を理解するまで、ニュートンは惑星の運動を遠心力と重力の釣り合い、という観点から考察していた。)3。慣性の法則。力が加わらない限り、物体は円運動を続ける、というもの。

また、振り子の法則も、アリストテレスの理論と本質的に捕らえ方が異なることは注記しておいてよいのではないでしょうか。それから、望遠鏡の観測結果がなぜ、地動説に有利に働いたか、理由の説明が必要だと思います。(2005年7月25日 (月) 16:41の版 219.110.202.202さん)
分割

「#ガリレオ裁判」の部分が記事の大半を占めて、それ以外の業績や生涯がかすんでしまっているのではないかと思います。en:Trial of Galileoのように分割・独立させて、こちらではその概要のみ記述してはいかがでしょうか?--miya 2005年12月17日 (土) 03:53 (UTC)[返信]

連絡ありがとうございます。該当箇所の大部分を執筆しましたが、日本語版では現段階では分割の必要性は感じません。英語版も、分割されたのは今月8日のようです。さらに、記事が巨大化して全体をメンテナンスすることが困難になったことや、記事への攻撃を防ぐことなどが、ノートページで分割の理由としてあげられていますが、日本語版ではどちらの心配も現時点では起きていません。もっと書き足せば分割してもよいと思いますが、分割するために加筆するというのもなんだか変に感じます。加筆が要求されている記事だというのには同意しますので(もっともmiya氏はそんな要求はされてないようですが)私はそちらの方面でご協力いたします。Modeha 2005年12月21日 (水) 10:33 (UTC)[返信]
それでも地球は動いている

「それでも地球は動いているというのは創作」というのが朝日新聞にありました。
検邪聖省

「ローマ教皇庁検邪聖省(以前の異端審問所が名を変えたもの)」とありますが、厳密に言えば誤解を招く記述と思います。というのは、1542年設置の検邪聖省(ローマ異端審問所)は、異端審問#ローマの異端審問によると、それ以前の異端審問所とは多少性格の異なる組織だからです。--T.Kimura 2006年12月20日 (水) 01:50 (UTC)[返信]
ガリレオの太陽観測法

 本文の次の記述にある()内のガリレオの太陽観測法には、大いに疑問があります。「なお、ガリレオは晩年に失明しているが、これは望遠鏡で太陽を直接見たためだと考えられている(ただし、1610年代には既に望遠鏡の接眼レンズの先にスクリーンを置く手法は開発されていた。この方法を発明したのはガリレオではないが、他の観測者があまり知らなかったこの方法を用いることによって、ガリレオはより詳しく太陽黒点を観測することができた)。」

 スクリーンに太陽像を映すには、接眼鏡の外にあるスクリーンに実像を結ばなければなりませんが、ガリレオが発明し、観測に使った望遠鏡は、接眼鏡に凹レンズを用いたいわゆるガリレオ式望遠鏡であり、接眼鏡の外には実像を結ぶことはできません。ガリレオ式望遠鏡を使う限り、観測者は接眼鏡より対物レンズ側にある虚像を観察するしかありません。つまり、直接覗く観測法しかとれないことになります。接眼部に凸レンズを用いたケプラー式望遠鏡ではスクリーンに太陽像を映すことが可能ですが、ガリレオはケプラー式望遠鏡を使っていたとの証拠はなさそうです。一方、失明の原因として書かれてある「望遠鏡で太陽を直接見たため」ということと、ガリレオ式望遠鏡を使ったことは非常に整合性がありますので、本文では上記記述の()は取り除いておくことをお薦めします。 --利用者:osm2 2007年11月23日 (金) 07:07 (UTC)[返信]

該当部分を執筆した者ですが、この、「スクリーンに太陽を映す」という方法は、ガリレオが発明したものではありません。同時代の他の学者が発明したけれど、論文発表はせずに口承でやり方が伝えられ、その方法を知る数少ない研究者がガリレオだったという意味です。文中にも、ガリレオがこの方法を編み出したとは書いていません。より正確には、中国の学者がピンホールカメラで黒点を観察したという記述が(ガリレオ以前の時代に)あるようです。確かケプラーもピンホールカメラで黒点を観察していますが、自身は水星か金星の太陽面通過と誤解し、あとからあれは黒点だったに違いないと訂正していたような気がします。いずれにしても根拠文献はすぐには出てきません。すいません。また、ガリレオの時代にケプラー式望遠鏡は実在しましたから、「ガリレオはケプラー式望遠鏡を使わなかった」というのは論理に飛躍があります。ガリレオは2つ以上のガリレオ式望遠鏡を作りましたから、2つ以上の凸レンズを入手あるいは製作することは可能だったはずだし、ケプラーの論文は全部読んでいるはずですから、読んで部品が調達可能だった以上は検証はしたと推測するのが当然でしょう。また、太陽面の観測には精密な鏡筒も必要ありません。Modeha 2008年9月24日 (水) 13:41 (UTC)[返信]
宗教裁判とガリレオの言葉

「ある説では、科学者としての信念を曲げざるを得なくなり、宗教裁判後に「この世で私は死人である」、と言ったとも伝えられている。」という加筆が2007年2月5日にありました。これは誰の説なのでしょうか。202.26.186.80 2008年2月6日 (水) 09:27 (UTC)[返信]
失明の理由

ガリレオは太陽観測によって失明したという記述がありますが、これの信頼できるソースを探しています。というのは、これは後年太陽を観察するひとたちの間で作られた話の可能性があるからです。

裁判によって謹慎生活を送ることを強いられてから、4年後に目を痛めてまず片目、ついで両目を失明しています。


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