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過去ログ1
過去ログ2この記事は記事らしくない文体で書かれている(案内のように見える)ために百科事典の記事というよりはウィキペディアへの招待、といった感じがします。書き直してみようと思います。Tomos 02:38 2003年8月20日 (UTC)
どこをどういじったらよいかを考えていて一番困ったのは「方針」のセクションです。ウィキペディアの運営体制についての説明があるのはよいと思うのでそれに置き換えるのはどうでしょうか。かなり大幅な変更になりそうですが。説明すべき点は、次のようなものでしょうか。
プロジェクトはJimbo Walesによって資金を提供されており、ユーザーアカウント停止など一部の事項については彼が最終権限を持っていること。観点の中立性の方針も、彼によって全ウィキペディアの共通方針とされていること。
Developer権限やサーバへのアクセスなどは一部の人に限られており、ソフトウェアの改変や非常時の対処などは彼らに任されていること。但し、ソフトウェアの仕様変更については公開・自由参加型の議論が行われていること。
各言語毎に管理者がおり、削除、ページの凍結、「荒らし」とみなされたユーザのアクセス禁止など一部の権限が管理者だけに与えられていること。但し、権限の付与、取り消しはユーザ一般の話し合いによって決まること。また削除や凍結についても関係者の話し合いによって決まることになっていること。
執筆方針については「観点の中立性」がフォーマットや表記上の問題に関しても多くの方針が存在していること。これらの大半は利用者間の話し合いで決定、改変されるものであること。
関係者間で論争が起きた場合にはノートでの話し合いが行われること。
落書きの類は多いが、大きな問題にはなっていないこと。
登録ユーザがアクセスを禁止された例は英語版でも少ないこと。
常連投稿者の一部は、各種の方針の決定や変更の議論に参加しており、このようなユーザ層が実質的なプロジェクトの舵取りをしているとの見方もあること。
このように改変すると、「方針」についても触れますが、今あるような「ウィキペディアはこんな方針で運営しています」という案内ではなくて、「プロジェクトは実際のところどの程度オープンなのか」という疑問に答えるような説明になると思います。
Tomos 03:41 2003年8月20日 (UTC)
特に提案や反論などないようですが、「誰が何をどう決めているのか?」を念頭におきつつ方針のセクションはかなり書き換えてみました。ご意見などありましたら書き込みをよろしくお願いします。Tomos 20:59 2003年10月7日 (UTC)
類似のプロジェクトのところに関心空間の記述があってもよいような気もします。何と説明したらよいかわかりませんが。
先行例のセクションは削ってしまってもよいような気もします。これがあると、ウィキペディアが歴史上注目すべき達成であるかのような感じがします。実際そうなるかも知れませんが、今の時点ではちょっと時期早尚の感があります。独立させて関連記事扱いにするのが適切だと思います。
もうひとつ、挙げられている例が英語版の例中心なのもやや気になるところです。
「オープンコンテント方式」って複数形の方が良い気がするんだけど。コンテントはいっぱいあるから。Nemunemu
<引用始め>
アンケート結果をみると、約7割の方が信用しているという意見のようです。3割の信用していないという方のその理由が投稿されていますのでいくつか引用します。
>ヌーペディアが失敗した反省から徹底オープンなシステムを採用したことはユニークな着想ではあった。だが、どんなバカ者や電波でも自在に出入りでき、あまつさえ彼らによる破壊行為そのものの跳梁跋扈を効率よく食い止める手段がないようでは、真面目で良心的な編集行為も賽の河原の石積みである。このまま単純に項目が増え続けてもゴミの山になるだけだ。ヌーペディアほどシビアでなくていいから参加資格に制約をかけなければいけないし、管理者には好ましからざる参加者を独断で排除できる権限が必要。<
>調べたい情報は、ひとつのサイトだけで完結させるのではなく、googleとかで複数の情報を調べて、自力で情報を選別したりまとめないと危険な目に遭う。特にWikipediaのような、誰でも書き換え可能で虚偽の情報も流せうるサイトは、一番信頼できない。<
>所詮オタクの落書きノート。本文は余所のページからの無断転載が多い。どこかの識者は、日本のWikipediaはカルト分野だけは詳しいと嘲笑っていたらしい。 Wikipediaに投稿する事が生きがいで、それがステータスだと勘違いしているウィキペディアンと言う存在自体も問題。特に過去の朝鮮戦争等、日朝関係問題の書き換え合戦をはじめとした、ウリナラが有利になるように記事を書き換えてしまうウリペディアンが多数存在するなどの要因で、百科事典としての信頼性は皆無。<
>自分が知っている完全に正しい事をちゃんと書いても、その事を知識として知らない人が個人の意見として否定したり、削除してそれを説得するのに非常に時間がかかり、無駄な時間と労力が費やされていると思う。ばかばかしくてでちゃんと書く人が途中でやめてると思うと全然信用できない(個人の意見)<
>悪意による書き込みを防ぐことができない。記名制にしても効果はなさそう。どんなに優れたシステムでも、悪用する者はいる。<
>長所が短所。誠実で知識のある人間が、間違えを修正しても、天然あるいは悪意のある人間がさらに修正しほうだい。履歴情報なんか本物かわからない。書き込みに、せめて銀行口座作る並の身元確認を求めるか、ある程度の量、時間が経った項目をチェック後一度FIXし、そう簡単に修正できない様にするしかない。とにかく、いつまで経っても、誰にでも修正できるという点で、ゴールが無い。<
>不適切な情報があったとしても多くの人の目に晒されることで淘汰され、いずれ落ち着くところに落ち着く━━当初のもくろみとしてはそういうことだったと思う。しかし今となっては夢のまた夢、ユートピアの維持はやはり難しい。価値あるチャレンジだったので、正直、くやしい。 署名を入れれば責任の所在は明らかにはなるだろうが、その記者に粘着して書き換える人間が現れて、低次元の泥試合が始まることもある。そもそも、ウソを書いてる当人自身は大真面目、というのはよくあることで、「ウソ八百の署名記事」も世間には珍しくない。また、出典の明記にしても、偏向した資料を紹介する意図をもって行われたらなんにもならない。こういったことは、既存の掲示板や質問サイトなどにいくらでも例がある。 もちろん、「ウソをウソと見抜ける人」にとっては、少々怪しい情報でもそれなりに利用価値があるものだが、そうなってくるとWikipediaも他のサイトや旧来のメディアと変わりないということになる。<
>正確な情報と便所の書き込み級の内容がひとつの文章のなかに混在することが可能になった記念的なプロジェクトである。情報の水準が混在するページでは、自分が読んでいる解説のどこが正確で、どこがそうでないかを見分けることが、単独の著者による情報源よりもはるかに難しい作業になる。
<引用終わり>----以上の署名のないコメントは、221.171.65.40(会話
日本語版の情報がほしいですね。いつはじまったとか。識者の投稿を期待します。Aphaea20:54 2004年5月16日 (UTC)それは、関連ページからリンクされているウィキペディア日本語版ですね。 ----以上の署名のないコメントは、Kk 覚えてる事を全部Eメールに書きました。英語ですけどこちらへどうぞ: http://mail.wikipedia.org/pipermail/wikipedia-l/2004-August/016582.html ⇒[1]などによると、Googleから支援の申し入れがあるとのことですが、書かれませんか?--っ [Cafe] [Album] 2005年2月26日 (土) 13:20 (UTC) 上記2つの版について、悪戯と思われる書き込みがありました。revertしておきましたが、個人名や住所(本物かどうかはわかりませんが)がありましたので、特定版削除の必要があると思われますので、ここに書いておきます。現在、特定版の削除はできないようなので、そのような版がある、というお知らせをいたしました。--Ninomy 2005年3月12日 (土) 10:18 (UTC)
本文中>一方でウィキペディアが常につねに編集可能であることにより、自身の関与が常に及ぶわけではないことをもって」の部分は文章を直した方が良いと思います。----以上の署名のないコメントは、60.236.239.177(会話/Whois)さんが 2008年2月17日 (日) 14:22(UTC) に投稿したものです(モトカル(会話)による付記)。
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2005年3月12日 (土) 09:48の版
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