ノート:アーリア人
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現在の記載内容について3点疑問があります。本項では、「この項ではイラン・アーリア人、インド・アーリア人と、それらの先祖だけをアーリア人と呼ぶ事とする」「民族としてのアーリア人は絶滅した。現存する近縁としてはパシュトゥーン人、ペルシャ人、タジク人」とありますが、
1.「先祖だけをアーリア人」と*定義*しているので、「民族としてのアーリア人は絶滅した」との記載は不要だと思います。そもそも、イラン系民族は、アーリア人を継承しているので、「絶滅した」という言葉は安易に使用すべきではないと思います。

(「古代ギリシア人は絶滅した」、「古代中国人は絶滅した」という、議論を呼ぶ内容なので、現段階では「絶滅」という表現は避けた方が良いかと思います)。
2.「近縁としてはパシュトゥーン人、ペルシャ人、タジク人」となっていますが、彼ら以外にクルド人、コーカサスやアナトリアに残るイラン系言語を話す民族なども含めて、言語的にイラン系言語に同化した民族である可能性とイラン・アーリア人の末裔である可能性の二つがあり、この部分を整理して記載した方が良いかと思います。

3.現存する近縁がペルシア語利用民族だけという点についても気になります。インド・アーリア人の末裔に関する状況も記載すべきではないでしょうか・

議論を呼ぶかも知れない内容なので、本文の修正はせずに、ノートに記載するに留めます。ご意見のある方はご記載ください。将来、意見がまとまったところで、本文修正の是非を検討できれば、と思います。
ドラヴィダ人との矛盾

歴史の記述が,ドラヴィダ人の記述(下記)と矛盾しています.

紀元前53000年頃、(ドラヴィダ人が)アフリカ東岸からインド南西部に移住する。 さらに北、東へと広がって行く。紀元前2600年頃、インダス川流域(現在のパキスタン)にインダス文明を形成する。複数の都市よりなる文明である。紀元前1800年頃から、紀元前1500年頃にかけてインダス文明の都市は放棄される。気候の変化が理由だと言われる。紀元前1500年頃から、イラン高原からアーリア人のインド北西部への移住が始まる。

内容の是非ついてはわかりませんが,二説あるなら両方の主張を客観的に記述するのがWikipediaの方針かと思います.--tosendo 2012年1月18日 (水) 09:26 (UTC)



IPユーザーさんの一連の改稿について

正直、編集合戦は本意でないのでここらで一時撤退しますが、なんだかどうにもこちらの言っている趣旨が伝わらないようで……大幅な改稿をするのであれば要約を付記して欲しい、それが満たされていないので“一旦”差戻す、と言っているだけなんであって、同じことをオウム返しにこっちに言われても困るんですよね。内容についても、どうも過去の編集履歴と鑑みても問題あるように思えるのですけれど、まあその辺は他の良識ある方にお任せします。それでは。


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