この「アポロ計画」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。
日付選考・審査結果 記事を書くにあたりNASA等のサイトで確認すると、NASAのロケットや宇宙船の正式名称には、ローマ数字(Applo XIII、Saturn V 等)を使うのが正式のようです。しかし、メディア等ではアラビア数字で表現(アポロ13号、サターン5型等)するのが普通で、一般にはこちらに慣れている人が多いと思われます。 マーキュリー計画/ジェミニ計画/宇宙開発事業団の記事では正式呼称を尊重してローマ数字を採用しました。しかし、Shift-JISにある全角のローマ数字はご存知「機種依存文字」とされる文字コードであるため、慣例に従い英字で表しました。いまのところ記事名となっていないものが大部分なのですが、今後ミッションごとの記事を書こうと思っており、このままローマ数字でいくと、 などの問題があるため、この際アラビア数字に統一したほうが良いと考え直しました。 一応、「正式呼称が望ましい」という原則から外れるため、この案についてご意見を下さるようお願いします。 今回の編集ではこの趣旨もあり、アラビア数字表記に合わせてあります。 なお、アリアンでは、アラビア数字が正式と思われるので最初からそうしています。但しエンジン名称には一部ローマ数字が使われています。いまのところ個別記事として切り出していないためと、製造元の表記を尊重したためです。これも方針が決まれば改訂したほうがよいと思います。 あと、ギリシャ・ローマ神話の登場人物の名前との切り分けも課題ですが、それはまた別途ということで。sphl 03:41 2003年4月25日 (UTC) まず、英語での正式名称がローマ数字表記であっても、日本語での正式な訳語がアラビア数字である可能性はあると思います。ただ、日本語での正式な訳語があるかどうかわかりませんが。あえてできそうなことと言えば、専門家の間で何か表記についての意見があればそれを参考にする、というぐらいでしょうか。どちらでもいいのであれば、他の要素を考慮して決めるのがいいのだと思います。 ただ、理由は僕には察しかねますが、宇宙開発事業団のサイトから、日本のロケット(H-II)や人工衛星(ADEOS-II =「みどり II」)も正式名称にはローマ数字を用いていることがあるのを知りました。(僕はそもそも「気象衛星ひまわり」などがだと思っていたのですが違うようですね。。)「だから外国のロケットも同様に表記すべきだ」ということにはなりませんが、これはあるいは専門家ではローマ数字による命名が慣例化しているせいかも知れない、と思いました。だとすると、訳語もギリシャ数字がよいということになるかも知れません。(sphlさんはご存知でしょうが、他のかたのためにも一応参考にしたサイトを挙げておきます。 ⇒[1] ⇒[2][]) また、ローマ数字を使うことの問題の一部は、リダイレクト作成や別称(「アポロ3号」とか)の併記によってある程度は解決できそうです。完全には解決できず、不便さが残る可能性があるかも知れませんが。 神話の登場人物(や神)などとの切り分けは例えば「アポロ計画」の中に後で、「これはギリシャ神話の太陽神アポロンの名をとって名づけられたもの」という類の一文&リンクが入っていれば済むのではないでしょうか? 神様は番号がついてないですし。:-) 記事名は正式名称の方が望ましいし、優先する、という原則は基本的には「記事名をめぐる議論や論争を減らして時間の浪費を防ぐ」「ある程度の格式ある表記を選ぶ」などの利点があるのだと思いますが、争いの余地がほとんどなく、格式上も問題ないということなら、まあいいんではないでしょうか。 以上、結論についてはご提案できませんが、考える参考になれば幸いです。Tomos 07:06 2003年4月25日 (UTC) ◆Tomosさんコメントどうも。> まず、英語での正式名称がローマ数字表記であっても、日本語での正式な訳語> がアラビア数字である可能性はあると思います。 なるほど。そういう発想は思いつきませんでした。確かに字母が違う国ではそもそもそういうところから判断しないといけませんね。 > ただ、理由は僕には察しかねますが、宇宙開発事業団のサイトから、日本のロ> ケット(H-II)や人工衛星(ADEOS-II =「みどり II」)も正式名称にはロー> マ数字を用いていることがあるのを知りました。 そうです。実は宇宙開発事業団の記事でも同じ理由でH-IIAなどとしました。 理由は知りませんが、少なくとも正式名称はローマ数字であることは間違いないようです。しかし、メディアでの表記にH-2等が多いことも事実です。 基本的にはNASAやNASDAの正式表記に従うのが自然だと思っていますが、先に書いたとおり、ローマ数字そのものだと問題が出る(Unicodeにはあるようですが、手元の環境では入力できないものですから)などの問題もあるので、一般的に「百科事典」として使う場合どうあるべきか、という観点から他の方のご意見をいただこうと思いました。 > 神話の登場人物(や神)などとの切り分けは例えば「アポロ計画」の中に後で、> 「これはギリシャ神話の太陽神アポロンの名をとって名づけられたもの」とい> う類の一文&リンクが入っていれば済むのではないでしょうか? 神様は番号> がついてないですし。:-) ロケットの記事自体はそれでいいのですが、たとえば、ジュピターに「3.アメリカの初期のロケットの名称→ジュピター (ロケット)」といれて、参照する記事ですべてジュピターとかかないといけないのが鬱陶しいかなあと。#一応、一般性から見て、神様のほうが先客なので:-) 修飾無しで参照できるほうがいいと思います。 引き続きご意見募集中。sphl 08:24 2003年4月25日 (UTC)記事を作成しましたので、リンクを調整しました。219.107.157.105
1.2009年8月10日月間強化記事賞受賞・良質な記事自動選出
宇宙船やロケットの表記について
英字だか数字だか区別しにくい
ソートすると番号順に並ばない
検索時にヒットしない(知らずにアラビア数字を入力した場合)
sphlさんこんにちは。とりあえず意見を募集しているということなので来てみました。
結論としては、アラビア数字を用いるべきか、ローマ数字にすべきか、僕には判断がつけられないのですが、判断がつかないなりにも、あれこれ書けることはありそうなのでそれについて書きます。
あとは、「とりあえずアラビア数字で作成して反対意見が出たらまたその時考える」という手もあるにはあります。正式でない表記を記事名に採用して「も」よい、ということになっていますので。
2009年7月20日 (月) 02:56(UTC)、英語ページの翻訳を元にこのページを大幅に加筆修正しました。内容は英語ページにほぼ準拠しております。--Uhock 2009年7月20日 (月) 02:59 (UTC)
[返信]危惧していたとおり、さっそくこのページについて編集合戦が始まりかけているようです。 翻訳した人間として証言させていただきますと、元の英語ページには「アポロ計画陰謀論」なるものに関する記述は、一行たりとも存在しません(よろしければ、つけ合わせしてみてください。ほぼ忠実に翻訳しておりますので)。 断言はできませんが、同説は日本の一部のオカルトマニアの間のみに流布する一種の都市伝説であり、こんなものをまともにWikipediaで取り上げている国は、日本以外には存在しないのではないかと思われます(英語以外のページは見たことがないし、それ以外の言語は知らないのでよく分かりませんが)。 少なくとも、百科事典で取り上げるべき内容のものではない、と私は考えます。--Uhock 2009年7月21日 (火) 08:40 (UTC)
"Kjrz"というユーザーが陰謀論を煽るなどの荒らしを行っています。ブロックなどの処置をお願い出来ないでしょうか。 ぽんぽこウィッチ(会話
) 2022年1月13日 (木) 12:11 (UTC)[返信]当該利用者の編集について、Wikipedia:論争の解決のための場を以下に用意しました。 --S.A.J.(会話) 2022年4月5日 (火) 05:49 (UTC)[返信]先日より、Kjrz (会話) を名乗る利用者によって「全6回の有人月面着陸に成功したとNASAは発表した」「地球以外の天体に到達したと称する事業であった」という記述が執拗に追加されています(太字部分)[3][4][5][6][7]。当該利用者はより客観性の高い表現であると主張していますが、アポロ計画が事実でないかのように印象操作する表現は客観性があるとはいえず、Wikipedia:妨害的編集に相当します。
参考として、Wikipedia:中立的な観点では以下のように述べられています。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}あらゆる関連する観点を、同じような支持度や重要度があるようには扱いません。中立的な観点は、ウィキペディアの編集者が観点について独自の価値判断を下すことを禁じています。これは、一方の観点が他方の観点よりも優れていると主張すること(つまり、彼我の見方について価値判断をすること)のみならず、2つの観点ないし全ての観点が平等であると主張する(相対主義でもって、先ほどとは別の価値判断をしようとする)ことをも禁じていることを意味します。