ノースダコタ大学
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ノースダコタ大学チェスター・フリッツ図書館
モットーLux et Lex (ラテン語: 光と法)
種別州立大学
旗艦大学
スペースグラント
設立年1883年
上位機関ノースダコタ大学システム
資金2億7860万ドル(2018年)
教員数823人
学生総数13,847人[1][2]
学部生10,519人[2]
大学院生3,212人[2]
所在地アメリカ合衆国
ノースダコタ州グランドフォークス
キャンパス市街地 - 550エーカー(222.6ha[1]
スクールカラー緑・白・黒・灰色[3]
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ニックネームファイティング・ホークス
公式サイトhttps://und.edu/

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ノースダコタ大学(ノースダコタだいがく、University of North Dakota、略称: UND)は、アメリカ合衆国ノースダコタ州グランドフォークスにある州立総合大学。州創設に先立つこと6年、1883年ダコタ準州に創立した、同州最古の大学である[1]。同学はリベラル・アーツ教育を行う大学として始まり、その後規模を拡大して学術的研究も行う大学になった。

同学は8つの学部と大学院を有している[4]。また、州唯一のロースクール[5]メディカルスクール[6]を含め、同学は様々な専門職プログラムや特別プログラムを提供している。中でも、同学は航空宇宙学部に最も力を入れている。また、同学のキャンパス内には、1983年に同学に編入される以前はエネルギー省の管轄下にあったエネルギー・環境研究センター[7]や、農務省の人間栄養研究センター[8]といった、連邦の研究機関も置かれている。

ノースダコタ大学のスポーツチーム、ファイティングホークスは、NCAAのディビジョンIで競っている。中でも、男子アイスホッケーチームは全米屈指の名門として知られ、全米優勝8回を誇る[9]。男子アイスホッケーチームは、キャンパス内に立地するラルフ・エンゲルスタッド・アリーナを本拠地としている。
沿革旧学長邸(1919年)。「オックスフォード・ハウス(Oxford House)として、1973年国家歴史登録財に指定されている[10]

ノースダコタ大学はノースダコタ州創設に先立つこと6年、1883年に創立した[1][11]。グランドフォークスの初期の入植者の1人で、ダコタ準州議会議員のジョージ・H・ウォルシュは、グランドフォークスに「ノースダコタ大学」という名の新しい公立大学を創設する法案を準州議会に提出した。公の場で「ノースダコタ」という語が用いられたのは、この法案が初めてであった[11]。最初の授業は1884年9月8日に行われた。大学最初の校舎であるオールド・メインには、教室、教職員室、学生寮の部屋、および図書館が全て1つの校舎内に入っていた[12]。初期のノースダコタ大学は、グランドフォークスから西へ2マイル(3.2km)ほど離れたところに、周りを農場や原野に囲まれた、わずか数エーカーのキャンパスを有するにとどまっていた。キャンパス外に住む学生は、午後にのみ運行された列車、もしくは「ブラック・マリア」(Black Maria)と呼ばれた、大学が運行する馬車バスで通学していた[13]20世紀初頭のキャンパスの光景がいくつか描かれた絵葉書

大学の規模が大きくなるにつれて、キャンパスには校舎が次々と建設され、グランドフォークス市中心部と大学とを結ぶトロリー網も整備されていった。その一方で、大学は様々な困難にも直面した。1918年には、ノースダコタ州だけでも1,400人の死者を出したインフルエンザの流行により、ノースダコタ大学は全米でも最大級の被害を受けた。同年、キャンパスを第一次世界大戦に出征する陸軍兵士の基地とするため、授業が全面休講となった[14]世界恐慌の最中には、ノースダコタ大学は、学内で肉体労働に携わる学生に無料で寄宿舎を提供した。鉄道の車掌車を利用したこの寄宿舎は「キャンプ・ディプレッション(恐慌)」と呼ばれ、1台あたり男子学生8人を詰め込んだ[15]。「キャンプ・ディプレッション」の学生は食堂で通常の食事にありつくことはできず、無料で与えられる残飯で腹を満たさざるを得なかった。しかし、グランドフォークスの市民はしばしば、「キャンプ・ディプレッション」の多くの学生に、家や食卓を開放した[15]

第二次世界大戦中は学生数が775人まで激減し、そのほとんどは女子で占められた。しかし終戦後は復員兵が大量に入学し、学生数は一転して急増、一気に3,000人を超え、教室や学生寮は逼迫した[16]1958年には、男子アイスホッケーチーム(当時のスポーツチーム名はファイティング・スー)が初優勝を果たした[17]1968年にはジョン・D・オデガード航空宇宙学部が創設された[18]。その一方で、1960-70年代にかけては、ノースダコタ大学でもベトナム反戦運動公民権運動など、学生によるデモが相次いだ。中でも、1970年5月、オハイオ州ケント州立大学州兵がベトナム反戦運動参加学生に銃を乱射した事件に対する抗議として全米各地で起きたデモは、グランドフォークスでも1,500-2,000人を集めた、史上最大級のものとなった[19]

1980年代に入ると、学生数の増加、学生層の多様化、専門職大学院の認定、新たな修士号・博士号授与プログラムの創設など、ノースダコタ大学はあらゆる方面で発展した。研究施設の新設や航空宇宙学部の発展に伴い、キャンパスも広がった。また、学内にコンピュータをはじめとする先端技術が学内に広まり、学生と教員の両方がその恩恵を受けた[20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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