ノーサンプトンシャー
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ノーサンプトンシャー


地理
様態典礼および非都市カウンティ
リージョンイースト・ミッドランズ
面積
総面積
行政区画24 位
2,364 km2 (913 sq mi)
22 位
カウンシル所在地ノーサンプトン
ISO 3166-2GB-NTH
ONSコード34
NUTS 3UKF23
人口統計
人口
総人口 (2018年中期推計値)
人口密度
行政区分33位
747,622
316/km2 (820/sq mi)
15位
民族構成95.1% 白色人種
2.0% アジア系
1.2% 有色人種
政治

ノーサンプトンシャー州議会
www.northamptonshire.gov.uk/
国会議員

ピーター・ボン (C)

マイケル・エリス (C)

クリス・ヒートン=ハリス (C)

フィリップ・ホロボーン (C)

アンドレア・レッドサム (C)

デービッド・マッキントッシュ (C)

トム・パースグローブ (C)

ディストリクト

サウス・ノーサンプトンシャー

ノーサンプトン

ダヴェントリー

ウェリングボロー

ケタリング

コービー

イースト・ノーサンプトンシャー

ノーサンプトンシャー(Northamptonshire, 略称:Northants)はイングランド中部の内陸部にある地域で、ノーサンプトンシャー州 (the county of Northamptonshire、Northamptonshire county) とも呼ばれる。ウォリックシャー州、レスターシャー州、 ラットランド州、ケンブリッジシャー州(ピーターズボローを含む)、ベッドフォードシャー州、バッキンガムシャー州(ミルトンキーンズを含む)と隣接する。リンカンシャー州との境界線は、イングランドで最も短い(19メートル)。州都はノーサンプトンである。

ノーサンプトンシャーは歴史的な建造物と家が多種多様であることからよく「旦那と尖塔(squires and spires)」の州と呼ばれてきた。

ノーサンプトンシャーの花は、キバナノクリンザクラである。
地理

ノーサンプトンシャーはイングランド中部地方としては高地に位置する。ここにはセヴァーン川とワッシュ川の分水嶺がある。ノーサンプトンシャー北西部に重要な水源地が数箇所あり、そうしたものにニーン川(ワッシュ川に注ぐ)とエイヴォン川(セヴァーン川に注ぐ)がある。1820年代には「他のどこからも流れてこないちっぽけではあっても只一つの小川」と自慢されるところだった。それでもノーサンプトンシャーの最高地点は、225m(738ft)のあまり高くないアーベリーヒルである。

ノーサンプトンはノーサンプトンシャーでは人口194122人を有するずば抜けて大きい都市で、ケタリング(85223人)、ウェリングボロー(48428人)、コービー(48025人)、ラッシュデン(25849人)、ダヴェントリー(22367人)と続いている。ノーサンプトンシャーの人口の殆どは、四つの大都市(地図の第2区、第4区、第5区、第6区を参照)のある中央部を南北に走る地域に集中している。西部(第1区と第3区)と東部(第7区)は、主として小さな町に村が多くある農村部である。ノーサンプトンシャーは南西から北西に走る細長い州である(ソークオヴピーターズボローを加えるともっと細長い)。
地名

ここに挙げるのは、町の検証のある人口5000人を越える主な村落やその他の有名な地名である。村落の完全な一覧は、ノーサンプシャーの地名一覧(英文)を参照のこと。

ブラックレー、ブローンストン、ブリックスワース

コービー

ダヴェントリー

ケタリング

ロングバックビー

ネーズビー、ノーサンプトン

アウンドル

ピッツフォード

ローンズ、ラッシュデン

シルバーストーン

タウセスター、スラプストン

ウィーデンベック、ウェリングボロー

ピーターバラ

ピーターバラを含むソークオヴピーターバラは、歴史上ノーサンプトンシャーと関連があり、ノーサンプトンシャー主教管区はここの大聖堂に集まっている事実がある。
歴史

ケルト族が入植する以前から開拓が行われ、古代ローマ帝国期の村落とローマ街道の痕跡が幾つか残っている。最も有名なのは、ワットリング街道が通っていて、今日タウセスターにある「ラクトドルム」と呼ばれるローマ時代の重要な村落があった。他にノーサンプトンにはローン近郊のニーン渓谷沿いにローマ時代の村落があった。

ローマ人が去ると、アングロ・サクソン族マーシア王国に併合され、ノーサンプトンは統治の中心地としての機能を果たした。9世紀にデーン人(ヴァイキング)に侵略され、簡単に言えばデーンロウに含まれることになったが、後にサクソン族に返還を要求された。

ノーサンプトンシャーはアングロ・サクソン年代記1011年)に初めてHamtunscireと記録された。Northは更に南にできた有力なHamtun(サウサンプトン)とノーサンプトンを区別するために付け加えられた。

後にロッキンガム城がウィリアム征服王のために作られ、エリザベス朝(エリザベス1世)まで王国の要塞に使われた。跡地のフォサリングヘイ城は、メアリー1世が処刑される前に収監されていた所である。

バラ戦争中の1460年ノーサンプトンの戦いが行われ、ヘンリー6世が捕えられた。

清教徒革命のときはノーサンプトンシャーは議会派を強く支持し、王党派はノーサンプトンシャー北部で1645年ネイズビーの戦いで壊滅的な敗北を喫した。チャールズ1世は後にホールデンビーに幽閉された。

18世紀19世紀は、ノーサンプトンシャーの各地で工業化が進んだ。ノーサンプトンと周辺地域は、大規模な靴製造業と革製品製造業ができ、19世紀末には間違いなく靴の製造において世界の中心であった。北部は大規模な鉄鉱石採掘が発展した。20世紀1930年代)、コービーは製鉄業の大中心地として作られた。それでもノーサンプトンシャーには農村地帯が広く残っている。

第二次世界大戦後、南ミッドランド地区の開発が求められ、コービーは1950年、ノーサンプトンは1966年にニュータウン法によるニュータウンとして指定された。この結果、両市とその周辺は大きく成長することとなった。
政治
下院議員

ノーサンプトンシャーからは下院議員が6人選出されている。2005年の選挙で2人が労働党、4人が保守党である。
州政府

シャーの付くイングランドの殆どの州のようにノーサンプトンシャーは政治機構が2階建てになっている。ノーサンプトンシャーはノーサンプトンに拠点のある選挙で選ばれた州議会があり、同じくそれぞれに評議会のある7地区に分かれている。

地区名はコービー、ダヴェントリー、東ノーサンプシャー、ケタリング、ノーサンプトン、南ノーサンプトン、ウェリングボローである(地図を参照のこと)。東ノーサンプトンシャーの地区議会事務所は、スラプストンに本部があり、南ノーサンプトンシャーはタウセスターに本部がある。ノーサンプトンシャーも数多くの教区がある。

2005年までノーサンプトンシャー議会は73の小選挙区で、1993年から労働党が与党で、その前は1981年から各政党が伯仲していた。農村地区(ダヴェントリー、東ノーサンプトンシャー、南ノーサンプトンシャー)の議会は、保守党が強いのに対して都市部は他の党派と拮抗している。2003年の地方選挙で労働党はコービーを獲得しただけでケタリング、ノーサンプトン、ウェリングボローを失った。州議会は4年ごとに全議席が改選され、前回2005年5月5日に行われた選挙で与党は労働党から保守党に移った。州議会は「議長と内閣」制度を使い、地域委員会がある。

ノーサンプトン自体は独立行政区でないイングランドで最も人口の多い都市部にある点でやや変わっている(もっと小さい地域が独立行政区になっている地区が数箇所あるのに)。


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