ノーサイド_(曲)
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「ノーサイド」
麗美楽曲
収録アルバム『REIMY』
リリース1984年1月21日
レーベル日本コロムビア
作詞者松任谷由実
作曲者松任谷由実
プロデュース松任谷正隆
カバー
松任谷由実(1984年)
他、下記参照

『REIMY』収録順

こごえる心
(2)「ノーサイド」
(3)霧雨で見えない
(4)

「ノーサイド」
松任谷由実楽曲
収録アルバム『NO SIDE
リリース1984年12月1日
レーベルEXPRESS
作詞者松任谷由実
作曲者松任谷由実
プロデュース松任谷正隆
NO SIDE』収録順

SALAAM MOUSSON SALAAM AFRIQUE
(1)「ノーサイド」
(2)DOWNTOWN BOY
(3)

視聴動画
「ノーサイド」 - YouTube
リリック動画
「ノーサイド」 - YouTube


「ノーサイド」は、松任谷由実作詞・作曲、松任谷正隆編曲の楽曲。麗美のアルバム『REIMY』(1984年1月21日発売)の収録曲として最初に発表され、松任谷由実のオリジナルアルバム『NO SIDE』(同年12月1日発売)にセルフカバーが収録された。
音楽性

タイトルの「ノーサイド」とは、ラグビー(特にラグビーユニオン)において、試合終了のことを指している語であり、その名の通りラグビーの試合終了直後の情景を歌ったスローナンバーである。
制作

元々は松任谷正隆がプロデュースしていた麗美への提供曲だった。アルバム『REIMY』収録版は歌詞の時期の部分が2月となっていたが、楽曲が発表された1984年当時、2月に開催される日本のラグビーは早稲田慶應明治のOBを含めたオール早慶明戦のみで、シーズンは1月15日に行われる日本選手権で終わっていると後に知り、松任谷由実が録音する際には「冬の日」に歌詞を変えたという。

この曲が生まれたきっかけについては、複数のメディアによれば、全国高等学校ラグビーフットボール大会での「伝説の一戦」といわれる[1]、1984年1月7日に行われた第63回大会決勝・天理大分舞鶴戦であると言及されている[2]。この試合は、後半ロスタイムに入り大分舞鶴がトライを決めて18-16にまで迫り、決まれば同点で両校優勝となるコンバージョンキックを主将のFB福浦孝二[注 1]が左に外し、その直後ノーサイドの笛が鳴っている。

2010年朝日新聞の取材に対し、松任谷はこの光景をテレビで見ており、「どんなに悔やんでも、高校生が部活を辞めたら、次のシーズンは、自分と同じゼッケンをつけて駆けてゆく誰かを見ていることになる。その情景が思い浮かんで、ぐっと来てしまいました」として、この曲の着想を得たと述べている。一方で、歌詞の中に「長いリーグ戦締めくくるキック」のフレーズがある[注 2] ことを踏まえ、『日刊スポーツ』は当時早稲田大SOだった本城和彦を指して「『ノーサイド』誕生のきっかけの1つ」と述べている[4]。さらに、この曲が収録された『REIMY』が発売されたのはこの試合のわずか2週間後の1984年1月21日であり、この曲は試合前に完成していたはずであると一部週刊誌に指摘されている[5]
ラグビーの試合会場での披露

2013年12月1日、改修工事前の国立霞ヶ丘競技場にて行われた最後の早明戦関東大学ラグビー対抗戦グループ最終戦・早稲田大対明治大)の試合終了後に行われたセレモニーに松任谷由実が出演し、『?ノーサイド・夏?空耳のホイッスル』(『NO SIDE』収録)の歌詞朗読に続けて、松任谷正隆のピアノの演奏をバックに、この曲を披露した[4]
紅白歌合戦での披露

2019年12月31日放送の『第70回NHK紅白歌合戦』にて松任谷由実により、発表から35年を経て初めてテレビで歌唱された。当日は日本で開催されたラグビーワールドカップ2019に出場した日本代表のメンバーの前で披露され、歌唱後には日本代表の田中史朗が感極まって涙声になり、松任谷も「この歌に、こんなチャンスを与えてくれてありがとう! トップリーグ見に行きます!」とコメントした[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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