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ノルベルト・エリアス(Norbert Elias, 1897年6月22日 - 1990年8月1日)は、イギリス国籍でユダヤ系ドイツ人の社会学者、哲学者、詩人。主な業績に文明化の過程研究がある。目次 ドイツ帝国東部のブレスラウ(現在のポーランド領ヴロツワフ)にて、織物工業を営む一家に生まれた。アビトゥーア取得後にドイツ帝国軍で勤務したが、ストレスで体調を崩し、療養のためにブレスラウに帰郷した。その後、ブレスラウ大学(現ヴロツワフ大学)に進学し、心理学、哲学、医学を専攻し(ただし、医学に関しては予備試験に合格後、専攻を取り消した)、一時期ハイデルベルク大学にも在籍した。リヒャルト・ヘーニヒスヴァルト指導下で執筆した卒業論文が認められ、1924年にブレスラウ大学を卒業した。この頃、当時のシオニズムに感化され、若手のシオニストとも交流した。 翌年、アルフレート・ヴェーバーの研究を手伝う目的でハイデルベルク大学に再び移ったが、最終的には同研究プロジェクトを離脱することとなり、フランクフルト大学のカール・マンハイムの研究助手となった。しかし、ナチスの台頭の影響でマンハイムの研究が打ち切られると、エリアスはパリを経て、ロンドンへ亡命した。ロンドン滞在中に、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにてマンハイムと再会し再び彼の助手を務めたが、宥和政策の影響でマン島へ強制送還された。釈放後はケンブリッジに移り、この時に『ドイツ人論』の執筆に着手した。1952年、研究家仲間の仕事を手伝う一環として集団分析協会の旗揚げに参加し、心理学について研究し、エリアス自身もセラピストの資格を取得した。 1954年から1962年まで、イギリスのレスター大学で講師として社会学を教えた。このときの教え子にアンソニー・ギデンズがいる。1977年にフランクフルト・アム・マイン市が創設したテオドール・アドルノ賞
1 生涯
2 日本語訳著書
2.1 単著
2.2 共著
生涯
1990年8月、アムステルダムの自宅で死去。93歳だった。
日本語訳著書
単著
『文明化の過程(上)ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷』赤井慧爾, 中村元保, 吉田正勝訳(法政大学出版局、1977年/新装版2004年)
『文明化の過程(下)社会の変遷/文明化の理論のための見取図』波田節夫, 溝辺敬一, 羽田洋, 藤平浩之訳 (法政大学出版局、1978年/新装版2004年)
『宮廷社会』波田節夫, 中埜芳之, 吉田正勝訳) (法政大学出版局、1981年)
『死にゆく者の孤独』中居実訳.(法政大学出版局、1990年/新装版2010年)
『モーツァルト――ある天才の社会学』青木隆嘉訳(法政大学出版局、1991年)
『参加と距離化――知識社会学論考』波田節夫, 道籏泰三訳(法政大学出版局、1991年)
『社会学とは何か――関係構造・ネットワーク形成・権力』徳安彰訳(法政大学出版局、1994年)
『ドイツ人論――文明化と暴力』ミヒャエル・シュレーター編, 青木隆嘉 訳(法政大学出版局、1996年)
『時間について』ミヒャエル・シュレーター 編, 井本〓二, 青木誠之訳.(法政大学出版局、1996年)
『諸個人の社会――文明化と関係構造』ミヒャエル・シュレーター 編, 宇京早苗訳(法政大学出版局、2000年)
共著
エリック・ダニング 共著 『スポーツと文明化――興奮の探求』大平章訳(法政大学出版局、1995年/新装版2010年)
(ジョン・L・スコットソン)『定着者と部外者――コミュニティの社会学』(法政大学出版局、2009年)
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更新日時:2020年4月1日(水)23:36
取得日時:2020/11/06 03:07